3人が本棚に入れています
本棚に追加
続いて洗濯室を覗くと、ベンノが仕事をしていた。
「おや、ハヴェル坊ちゃま。何かお困りですか」
ベンノは目が見えないにもかかわらず、戸口に現れたのがハヴェルであると瞬時に判別できるようだった。
「ああ、いや。ちょっと屋敷の中を見て回っているんだ」
「左様でございますか」
ハヴェルは洗濯の手を止めて向き直った。
「どこでもご自由にお入りになっていただいて構いません。ですが、西棟突き当りにある塔にはお入りにならないよう」
「塔? そこには何があるんだい?」
「旦那様のお部屋がございます。旦那様は普段鍵を掛けておいでですので、そもそも入ることはできないと思いますが……」
ベンノは眉を顰めて付け加える。
「旦那様は昼夜研究に精を出しておいでで、昼間に眠りに就くこともございます。無暗に訪ねて、旦那様のお仕事やお休みを邪魔してはなりませんよ」
「わかった」
話が終わったと判断したのか、ベンノは洗濯を再開した。
ハヴェルはしばらく彼が仕事をするのを見守っていた。目隠しをしているにもかかわらず、まるですべてが見えているかのように自然に仕事をこなしている。無駄のない動きには感心せずにいられない。
「目隠しをしているのに、よくそんな風に仕事ができるね」
「ええ。慣れておりますので」
「やっぱり君は目が見えていないの?」
ベンノは一瞬手を止め、僅かにハヴェルを見るような素振りをした。
「そうですね」
「生まれつき?」
「いいえ。旦那様に潰されてしまいました」
「……え?」
旦那様というと、ベルクホルト卿のことだろうか。あの温厚な卿がそんなことをするとは到底思えない。たとえ何かの罰だったとしても、目を潰すというのはいくらなんでもやり過ぎだ。
ハヴェルは蒼褪めかけたけれど、ベンノがあまりにも素っ気ないことに気が付いて、冗談だったのだと受け取ることにした。不気味な使用人は、冗談も気味が悪いらしい。
気を取り直して、別の質問をする。
「そういえば、ベンノ。この家に女中はいないのかい?」
一般的なお屋敷であれば、洗濯は女中の仕事だ。大きなお屋敷であればあるほど、それぞれの家事には専任の使用人がいるものである。しかし、昨日からこの家ではベンノしか見ていない。
「おりません」
「料理人は?」
「おりません。すべてはこのベンノがいたしております」
「ええ? こんな大きな屋敷なのに? 大変じゃないのか?」
ベンノは手を止めて答えた。
「慣れております。それに、旦那様は屋敷に多くの人間がいることを好みませんので」
ハヴェルは何と答えていいのかわからず、労いの言葉を掛けて洗濯室を後にした。
ベルクホルト卿は人嫌い。ベンノの言葉に、ハヴェルは少なからず戸惑っていた。
朗らかに笑うベルクホルト卿からは嫌なものを感じなかったが、彼はこんな人里離れた山奥で暮らしているのだ。ある程度偏屈な人間だと聞かされても納得がいく。だが、それならどうして自分たちを引き取ってくれたのだろう?
やはり、ベルクホルト卿には何か裏があるのではないか……。
そこまで考えて、ハヴェルは邪念を振り払うために首を振った。
他人の親切を疑ってはいけない。どのみち、自分には他に頼れるものもないのだ。ならば信じるしかない。
最初のコメントを投稿しよう!