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不登校編
二年になってすぐ、正確に言うと五月の連休明けに息子は完全に不登校になった。
理由は簡単にざっくり説明してしまうと、一年生の担任からの引き継ぎ不足と二年生の担任との不適切な指導と相性の不一致だ。
この件に関しては学校と和解するまで十ヶ月近くを要し、一応和解しているので具体的な内容に関しては触れないこととするが、とにかく担任の指導に問題があり担任への不信感を募らせた息子は学校へ行けなくなった。
学校の校舎にすら入れなくなり、小学生を見るだけで怯え、戦争が起きるミサイルが飛んでくると泣いてパニックを起こし、睡眠障害も酷くなった。
私たちは夫婦で話し合い、息子に一年間学校を休ませ、家庭学習をさせることにした。
家庭学習、といっても私が息子に何かしたわけではない。
息子は勉強が得意な子で、三年生の問題集を買い与えると私が何も言わずとも自主的な勉強をしてくれた。
小学校入学直前から通っている児童発達支援個別学習塾の先生も「学力には何の問題ないので今は精神面のケアをしてあげましょうね」と仰って下さった。
その精神的なケア、というのが本当に難しかった。
頻繁に泣いてパニックを起こす息子を宥めるのは私自身も精神的にキツく、とてつもなく辛かった。
私は市の教育相談室でのカウンセリングに通い、学校とトラブル解決に向けてその都度アドバイスを頂きながら息子と向き合っていた。
動物園。
植物園。
水族館。
科学館。
プラネタリウム。
ショッピングモール。
私は長い長い休みを利用して色々な所へ遊びに行った。息子は中でも水族館がお気に入りだった。
家にいると息子は少しだけ元気がなかったが、外に連れ出すと笑顔で元気いっぱいになった。
私は実母の手を借りながらも、体力とお金の許す限り息子を外へとつれだした。
息子は「今しか出来ないことだね!」と何度も言っていた。
水面下では三年生からの学校復帰に向けてたくさんの大人達が動いてはいたが、私も夫も息子に対してそんな素振りはおくびにも出さなかった。
日頃仕事に忙しく、早朝から深夜まで働いている教師の夫も学校との話し合いには矢面に立ってくれ、何となく上手いこと話をまとめてくれて、これから一緒に頑張って行きましょうという形で色々有耶無耶にして良い感じにカタをつけてくれた。
しかし、新学期が近づくにつれて息子は案の定情緒不安定になった。
学校行くの怖い。
また嫌な先生だったらどうしよう。
また意地悪な子がいたらどうしよう。
と言って声を震わせながら大粒の涙を流した。
新学期に向けて、教育研究室のカウンセラーさんとスクールソーシャルワーカーさんと学校と連携をとりながら息子がまず校舎に入れるようにと、様々な作戦が立てられ、失敗したり成功したりを繰り返し、三月になる頃には学校の図書館や保健室には何とか出入りできるようになった。
これは偉大なる一歩だった。
そして三年生の始業式当日、息子は見事登校することに成功し、問題のある指導をした担任と話し合いの席で威圧的な態度で問題発言を繰り返した教頭は他の学校に異動した。
息子を職員玄関に現れた瞬間「あぁ!来てくれた!良かった!本当に良かった!」と飛び跳ねて喜んで下さった教務さんと校務さんの姿を私は一生忘れないと思う。
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