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子供に薬を飲ませるのに罪悪感を持つ必要は無いと思う編
さて、眠いって辛い編で息子が正式に自閉スペクトラム症(ASD傾向強めのADHD)と診断されたのは八歳と十一ヶ月の頃だったと書いたが、更に正確に書くと2024年7月31日のことだった。
回りに回って三件目の児童精神科の先生は三時間にも渡る丁寧なカウンセリングと診察の後で、ご自分がかけている眼鏡を外してこう仰った。
「この眼鏡を外したら僕は視覚障害者。自分に合う薬を探すのは自分に合う眼鏡を作るのと同じこと。だから少しずつ息子くんに合う眼鏡をつくっていこうね」
そしてそんな児童精神科には珍しい牧歌的な雰囲気のクリニックに通い始めて八ヶ月。
現在息子はインチュニブ、メラトラベル、ストラテラを飲んでいる。
学校では落ち着いて先生の一斉指示を聞き取れるようになり、教室を飛び出したり、突然泣き出してしまうこともなくなり、非常に安定している。
息子に薬を飲ませるようになる前、私には早く息子に薬を飲ませて自分が楽になりたい反面、自分の都合で、型に嵌めるような形で薬を飲ませるのは果たして本当に〝正しい〟ことなのだろうか?と少しだけ躊躇した。
そして結論から言うと、何が正しいかは私には分からない。
しかし、私が、周りが困っている時、誰より困っていて苦しんでいるのは、恐らく多分他でもない息子自身なのだ。
それを本人に合う度の眼鏡の与えることで集団で上手くすごしていけて成功体験を積んでいけるなら、そんなの良いも悪いもない。絶対良いにきまっている。
と、私は思う。
こればかりは難しい問題で答えはないというか、各ご家庭の考え方だと思うけれど、あくまで私はそう思う。……と、いう話です。
薬を飲み始めた息子は家では相変わらずマシンガントークで多動で私にべったりですぐに泣くし、家に帰った途端プッツリと電池が切れたようになり眠りこけてしまうこともあるけれど、少なくとも先生方の話をきくかぎり、まるで別人のように話の通りがよくなり、自己を抑制して思慮深く振舞っているそうです。
もしかしたら学校では無理をしていて、家ではその反動がでているのかもしれないけれど、そういった予兆を感じた時は私は迷わず学校を休ませることかにしている。
それで一日好きなことをして充電してまた次の日学校に行けるのならそれで充分だと私は思うからだ。
そんなこんなで、三年生学校復帰編からここまであまり触れて来なかったが、実は息子は週一か週二か程度学校を休むのが当たり前で、いわゆる五月雨登校状態なのだ。
これが完全不登校よりも実は結構キツイ。
前日に「明日は行けなさそう」と申告があるパターンはまだいいが、朝起きて来て忙しなくトイレに駆け込み下痢を繰り返し、青い顔をして「……今日は休む」と言われたり、夕方になり「今日やっぱり行けば良かった」と泣かれるのは精神的にかなり堪えるものがあった。
次の章ではそんな心労が積もり積もって、私の心と身体がエンストしてしまった時の話を書こうと思う。
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