平安の二人

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平安の二人

女が最初に生まれた場所は、京都御所と呼ばれる天皇が住まう場所だった。そこで生まれた女は、幼名を「月子(つきこ)」のちに、「月葉(つきは)」という名を与えられた。 月葉は、天皇の皇女としてそれはそれは大切に育てられた。しかしそれは、天皇の娘だったからというだけではない。月葉は、生まれながらに大層な容姿に恵まれた。この頃は、夜になれば辺りは暗闇ばかりで、唯一の明かりは月の光だけだったため、人と出会ってもその判別などつかなかったが、そんな中でも月葉の容姿は見て取れるほど美しかった。そのため、幼名の「月子」と呼ばれる年の頃から『月光の君』と称されるほどだった。 それほどまでに美しい子であった月子は、天皇からの寵愛も一身に受けた。 平安の頃、皇后や皇女は、他の妃や彼女らの身の回りの世話をする女房と共に後宮に住み、天皇は、その宮殿の前に建つ清涼殿で生活していたのだが、月子に会いたい一心で、天皇は暇を見つけては月子が住む弘徽殿(こきでん)に通っていた。
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