第二章 潮の香

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 クリームソーダを買って海に戻った後、私たちは気の済むまで生産性のない話をした。体育の先生が実はうちの担任を狙ってるんじゃないかとか、クラスメイトの南部(なんぶ)隼人がクラスの女子五人に告白をして全員に振られた話とか。どこからともなく流れてくる学校の噂話をしているだけで、翔との距離がグっと近づいた気がする。取り留めもない話を永遠としていられる関係が、私には心地よかった。  やがて少しずつ陽が傾いていき、夕暮れ時が近づいた頃、そろそろ帰ろうかという話になった。行きと同じく、帰りも長い時間バスに乗る必要がある。高校生なので、夕飯までにはお互い帰宅した方がいいだろう。翔が気を遣ってくれているのが分かった。  空っぽになったクリームソーダのカップを手に持って、砂浜をまた歩き出す。二人の影が斜めに伸びる。なんとなく、寂しさを覚えながらも「そろそろ歩道の方に出よっか」と私が提案した時だった。 「あのさ、朝香」  ザッと、翔が隣で立ち止まる気配がした。私はつられて「なに?」と彼の方を振り返る。先ほどまでとは違う、逡巡しているような、照れているような、なんとも言えない表情をした翔がそこにいた。長いまつ毛が湿り気を帯びているように見える。私の髪の毛も、とうの昔に潮風にべたついていた。 「俺、朝香のこと好きなんだ。よかったら、俺と付き合ってくれない?」  突然の告白に、目の前の景色ががらりと変わったような気がした。  気のせいだと分かっている。けれど、黄昏時の橙色の光や、先ほどまでずっとそばで聞こえていた波の音が五感からすべて遮断されるようだった。  朝香のことが好きなんだ。  俺と付き合ってくれない。  人生で初めて受けた告白に、暴れる心臓を抑えきれない。  それでも私は、目の前で耳まで赤くしながら照れくさそうに僅かに視線を逸らす彼のことを愛しいと思う。  本当は私だって、入学式の日に彼に話しかけられてからずっと、気になっていたのだから。 「……うん。よろしくお願いします」  パッと、花火が上がった時みたいに驚いた顔をして翔が私を見た。  今度は私の方が恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。 「……まじか」 「まじか、って何よ」 「だって朝香、好きとかそんなふうに思ってるって分かんなかったから」 「それはお互い様でしょ。私だってびっくりしたんだから」 「そっか。そうだよな」  二人して何を言っているのか、もう訳が分からない状況だ。ははは、と自分を落ち着かせるようにわざとらしく笑う翔が、やがて小さな子供みたいに嬉しそうににんまり顔を綻ばせる。 「やったー! 俺、朝香と付き合えるのか!」 「ちょっと、恥ずかしいからそんな大声出さないで!」 「え、だって、めちゃくちゃ嬉しいんだもん。朝香、俺のこと好きだったんだ」 「す、好きだよ! ってほら、恥ずかしいからやだって」 「いいじゃん。好きなら好きって言うもんだ。俺は何回だって言うぞ。朝香の こと、好きだ」 「う〜……」  私が抵抗しても、何度も好き好き言ってくる翔に、私は顔が真っ赤になるのを感じていた。でも嫌な気はしない。ううん、嬉しい。  翔と同じ気持ちだったことが、すごく嬉しくて、泣きそうだった。 私たちは手を繋いでバス停まで歩く。  先ほど繋いだ時とは違う、いやゆる恋人繋ぎだ。初めてその繋ぎ方をして、心臓が高鳴った。  やがて乗ってきたバスに揺られて、元来た道を戻る。  翔は疲れたのか、バスに乗ってものの十分もしないうちに眠ってしまった。  まるで夢みたいな時間だったな。  翔の頭が、私の肩にコツンと乗っかる。私は、その重みと温もりを肌で感じながら、自分が今「幸せ」なのだということに気づいた。  幸せは、潮の香りがした。
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