第三章 波の音

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 十時にお店が開くと、ちらほらとお客さんがやって来た。静かに商品を見たいというお客さんが多いので、私はレジ奥で在庫管理などの仕事をしていた。時々、前回来た年配の女性のように、商品について教えて欲しいという人が来れば、すかさず接客に精を出す。営業トークは不思議なぐらいすらすらと口をついて出てくる。子供の頃から刷り込まれてきた「接客の極意」が、もう私の身体の一部になっているようだった。  彼がやって来たのは、お昼時を過ぎた、午後二時のことだ。 「やあやあ」  場違いな明るい声がして、その場にいた数人のお客さんが入口の方を振り返る。私も、びっくりしてそちらをじっと見つめた。 「翔……?」  そこにいたのは、紛れもなく天ヶ瀬翔だった。ちょうど夢に見たところだったのでドキリと心臓が鳴る。昨日、久しぶりに大人になった彼に会ったばかりだけれど、私の頭の中で、翔はいつも高校生のままだった。  「あ、ごめん。接客中だったかー」  周りをきょろきょろと見回して、お客さんがいることに驚いている様子だ。  そりゃお店なんだからお客さんぐらいいるわよ。ちょっとイライラしてしまう。昨日、「今度店の方に行くよ」なんて言ってたけど、まさか本当にやって来るなんて。しかも昨日の今日で。なんだってこんな昼間に、突然やって来たの?  翔はしばらく店内を見て回りながら、お客さんがいなくなるのを待っているようだった。そういえば、翔が香風堂に来るのって何回目だっけ……記憶をまさぐっていると、レジ前に彼の顔が突然にゅっと現れた。 「お客さん帰ったな。やっと話せる」 「話せるって……なんで今? てか、なんで来たの?」  頭の中に次々浮かんでくる疑問をついぶつけてしまう。自分でも分かるくらい言葉に棘があって辟易とした。 「昨日、話し足りなかったから。ここに来れば絶対会えると思って」 「……仕事中に来るなんて反則だし迷惑だよ」 「うわ、つれないなあ。でもそっか。そりゃ迷惑だよな。朝香、俺と再会しても嬉しくないみたいだし」 「嬉しくないっていうか……そういうんじゃなくて」  むしろ私は、翔が昨日の今日で香風堂まで押しかけて来たことがあまり理解できないんだけど……。  さすがにそこまでつっぱねることもできず、察してくれと祈った。翔は今、どういう気持ちなんだろう。彼の大きな瞳の奥に覗く深淵は、単に私と話す以上に何か別の意図がある気がして、彼の真意を測りかねた。 「と、とにかく仕事が終わるまで待っててくれない?」  私がそう提案すると、彼は「え〜」と不服そうに唸った。いい加減分かってよ、とまたもやイライラしてしまう。翔ってこんなに無神経なやつだったっけ。それともあれか、芸能界にいて、時の俳優としてちやほやされていたから、後回しにされることに慣れていないのかもしれない。  どちらにせよ、大人には大人の礼儀があるってことを教えてやらないといけない。
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