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「新しいお香、また仕入れたいんだけどなんかない?」
「ん、あるよ。いつものスティックタイプのでいい?」
「うん、スティックで」
菜々に言われて、ちょうど昨日から販売を始めたばかりのスティックタイプのお香を手に取る。紫色のそれは、いかにも「お香」という見た目をしていて、毎年発売すると同時によく売れる。王道のお香を菜々に差し出した。
「ラベンダーの香りなんだけど、微煙タイプだから、お店の中に煙が充満しなくて済むよ」
「おお、それはありがたい〜。うち飲食店だし、ちょうどいいわ」
「そうかと思ってね。でもお香の煙ぐらいだったら、そこまで害はないでしょ?」
「うん、まあね。ラベンダーに合いそうなデザートメニューでもまた考案しないと!」
「ふふ、そんなふうに簡単にメニュー考えちゃうんだから、菜々ってすごいよ
ね」
「そんなことないよ! でも素直に嬉しいわ。ありがとう。このお香、買わせてもらうね」
菜々はその場でクレジットカードでお香を買ってくれた。菜々にとって大事な商売道具になるので、私は丁寧に袋に入れて渡す。
「んじゃ、翔の件についてはまた連絡もらうってことで、よろしく!」
「はーい。またね」
元気に手を振って、私の店から出て行く朝香。手にぶら下がった『香風堂』のロゴが入った紙袋が、かすかに風に揺れた。
「さて、今日も頑張りますか」
正直、菜々から聞いたばかりの翔の話が頭の片隅から離れないのだけれど、開店時間は待ってくれない。レジ周りや商品陳列など、必要な開店準備に追われ、最後に店の前で看板と暖簾をチェックしてふう、と一息つく。
私が今、準備をしているのは線香・お香の専門店『香風堂』だ。海沿いの道に、店舗を構えている。株式会社香風堂がそのまま屋号として店を出している。私はその香風堂の跡取り娘だ。
株式会社香風堂ができたのは、今から約百二十年も前のこと。もともと淡路島では一八五〇年にお香作りが始まった。それから百七十年以上に渡って受け継がれ、今では日本の線香のうち、淡路島で生産したものがシェア五〇%以上を誇っている。この圧倒的な数字を前に、淡路島を代表する線香の会社の跡取りである私は、日々緊張しながら仕事に励んでいた。
……いや、励んでいるというより、追われてるってとこかな。
一人っ子である私は、生まれた時から香風堂の跡取り娘として育てられてきた。
それこそ本当に幼い頃は、「将来はお花屋さんになりたい」「パン屋さんを開きたい」なんて甘やかな夢を抱いていたことがあった。けれど、中学生になる頃にはそういった自由な発想はすべて潰えて、自分は香風堂の跡を継ぐのだ、ということしか考えられなくなった。考えたくても考えられないという状況は、やがて何も考えなくてもいいという諦めに変わっていく。親に言われるがまま、流されるがままに香りについて勉強したり、会社経営について教え込まれたりしているうちに、将来の夢などという言葉は、私の中の辞書から消え失せてしまった。
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