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6-1
お見合いの翌日。樹はようやく事務所に帰ってきていた。
雛倉沙耶はもう少し何か知っていそうだったが、二度目があるかは怪しかった。仲人を通じて連絡先を渡すことにしたが、次の約束を取り付けられるかどうか。
雛倉沙耶の他にも、円城琳也について卒業アルバムで言及していた人物を何人かを調べてみよう。それから、とやるべきことを考えていると、事務所の扉がノックされた。
「こんにちは」
入ってきたのは、二十歳前後の青年だった。柔らかそうな黒髪に、涼しげな目元の若者だ。紺色のジャケットを羽織っているが、スーツではなく私服のようである。
「こんにちは。本日はどういったご用件でしょうか?」
樹は立ち上がり、青年にソファをすすめた。棚からミニペットボトルのお茶を取り、ローテーブルに置いて勧める。
「どうぞ。あいにく所長の直門尚幸は長期出張中でして、それでもよろしければご相談を承りますが……」
「失礼します」と腰かけた青年と、ローテーブルを挟んで樹も向かいに腰を下ろす。お茶には手を付けず、青年が口を開いた。
「問題ありませんよ。僕はあなたに用があってお訪ねしたんです。直門樹さん」
樹は青年を見つめた。まだ名乗っていないのに、青年は樹の名前を言い当てた。
樹は青年の顔をまじまじと見つめる。青年の口は弧を描いているが、目元は微塵も動かない。
「……私とどこかでお会いしましたか?」
「いいえ。直接お会いするのは初めてです。申し遅れました。僕は佐野といいます」
「佐野さん」
佐野、という名字に動揺する素振りのない樹に、佐野青年はそこで初めて目元が動いた。目を細め、樹を値踏みするように見つめる。
「佐野琳也です、と名乗ったほうがよさそうですね」
琳也という名前を聞き、樹は思わず目を見開いた。探していた人物と思われる青年が会いに来た。これは、素直に歓迎していいことだろうか。どう見ても、探されていることを察して喜んで姿を見せてくれたという風情ではない。もちろん、偶然直門探偵事務所に依頼に来た、という風でも。しかし、佐野と名乗ったのは。
樹の無言の疑問を察したようで、琳也のほうから説明を添えてきた。
「佐野は母方の姓なんです」
軽く片眉を上げ、なんでもないことのように琳也は言った。
「僕は円城の姓を名乗ることは許されなかったんですよ。最初の小学校では円城で通していましたけどね」
なるほど、と樹は頷いてみせる。だが、琳也が事務所を訪ねてきた理由がまだわからなかった。
「本日は、どうしてこちらに?」
「ああそうです、僕は自分語りなんてつまらないことをしに来たわけではないんですよ」
よくぞ聞いてくれました、と琳也は身を乗り出し、軽く開いた脚に肘を乗せて指を組み合わせた。
思わず身を反らせる樹。軽く微笑み、琳也は口を開く。
「樹さん、あなたにはこの件から手を引いてほしいのです」
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