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霊威を示す緑色の稲妻も、天意を告げる低い雷鳴もなかった。暗い夜空はただ泥のように分厚く濁った雲によって覆われていて、闇を含んだ大気には針で刺すような静寂が満ちていた。僅かな光を求めて夜の蛾が飛び交い、それを狙った小さな蜥蜴が草むらの中を蠢動していた。
ミゲルは、じっと地面に伏せていた。彼はまだ若いはずだった。しかし、その十五歳という実年齢にしては彼は見るからに老けていた。日頃の農作業で真っ黒に日焼けした肌はひび割れていて、潤いはなく、皮膚の下には一切の脂肪がなかった。赤黒い痣に覆われた手足はいたって細く、粗末な野良着に身を包んでいる体には、ほとんど骨と皮しかなかった。その皮の上には無数の切り傷があった。傷は、あるいは塞がり、あるいは血を滲ませていた。
その目だけが光っていた。ミゲルの両の目は爛々としていた。猛獣よりも飢えた目で、赤子よりも怯えた目だった。このところミゲルはろくな食事を取っていなかった。最後にまともな食事をしたのは半月ほど前で、それから今日までは病気で死んで平たくなったカラスの死骸の骨髄と、蜥蜴を焼いたものと、野草を食べてなんとか生きてきたのだった。
あるいは、飢えという感覚そのものがミゲルを飢え死から遠ざけているのかもしれなかった。それほどまでに彼は飢えていた。おそらく飢えを感じなくなった時に、自分は飢え死するのだろう。彼はそう思った。だから、ある意味では飢えは彼にとってはありがたいものだった。
飢渇はミゲルに限った話ではなかった。彼の村にいる全員が飢えていた。死にそうなほどに彼らは飢えていたが、やはり彼らもまだ飢えを感じることができているがゆえにまだ飢え死しないで済んでいた。ミゲルは、彼の周りで地面に伏せているであろう村人たちのことを思った。息遣いは聞こえてこなかったが、飢えの気配だけは濃厚に伝わってきた。飢え、衰えた細胞が発する臭気が、闇の中に充満していた。
それでも、ミゲルには希望があった。どこかで誰かが独り言のように言った。
「天使が来るのだ」
そうだ。ミゲルもそう思った。すぐそばの丘の上で天使を呼ぶ準備をしている神父を見ながら、彼はそのことを既に確信していた。
◯◯◯
その年のナヴァーラ地方の夏は酷い旱魃だった。暑熱は耐え難いほどで、作物はほとんど成長することもなく枯れ果てた。旱魃だけではなかった。害虫が湧き、病気も流行った。それが果樹やオリーブの樹をも全滅させた。
食糧を得るために、ミゲルの村の農民たちは次々と財産を売り払った。鍋、釜、小型のナイフ、婚礼用の礼装、家具……彼らは最後まで家畜だけは手放さないでいた。家畜が消えれば、来年の耕作は不可能になる。だが、やがてそれもなくなった。事態は未来のことを考慮していられるほど余裕のあるものではなかった。それでも村はまだ村としての体裁を保っていた。
秋になると、軍隊がミゲルの村にやってきた。軍隊は皇帝に反抗する地方貴族が率いるもので、彼らは有無も言わさず村を略奪した。村は皇帝に属する勢力であると見なされたからであった。男は槍で突かれ、刀で切りつけられ、銃の標的にされた。女は暴行と凌辱を受けた。老人と子どもは小さな納屋に追い込まれた後、火で焼かれた。
その軍隊はまったく興奮した様子もなく、ただ淡々と、あたかも朝起きて洗面をし、用便をし、口をゆすぐかのようなまるで不自然なほどの自然な雰囲気で、ミゲルの村を劫略した。家々には火がかけられ、ほんの僅かながら蓄えられていた食糧はすべて持ち去られてしまった。
わずかに生き残ったのは、ミゲルとその他十数人の男たちだった。老人と子どもはいなかった。彼らはいずれも生きたまま焼かれて灰になっていた。女たちは四人生き残っていた。全員が酷い傷を負っていた。数日も経たずに女たちはみんな死んでしまった。そのうち二人は自ら命を絶った。焼け跡から見つけ出してきた鉄製のスプーンで、二人の女たちは自らの胸をえぐり、心臓を傷つけたのだった。
不可解なことに、教会だけは燃え残っていた。教会といっても日干しの煉瓦と木でできた粗末なもので、神に仕えているのは年老いた神父が一人だけだったが、それでも教会は略奪後も何事もなかったかのようにその場に残っていた。ミゲルは、そのことについて生き残った男たちが会話をしているのを聞いた。
「神父はあの領主の大叔父だったらしい。だから無事だったのだ……」
「いや、そうではなくて、あの神父は昔、あの貴族の家庭教師をしていたとか……」
「この村に来る前に、いったいどこで何をしていたのか……」
「俺たちの村をあの軍隊に教えたのは、あいつなんじゃないか……?」
いずれにせよ、教会はそこにあって、神父もそこにいた。神父は数年前にいずこからともなくこの村にやってきたが、村人たちは神父に何ら関心を示さず、豊作の時にも無視をし、寄付もせず、凶作の時は慈悲と憐れみを乞い、それが拒絶されるとさらなる迫害を神父に加えたが、それでも神父はこの村にとどまり続けた。
何もかもが失われたが、それでも彼らは生きねばならなかった。だが、誰もその方法については分からなかった。他の地方へと逃散するにも、路銀はなく、馬車もなく、食糧もなかった。そもそも彼らは消耗しきっていて、この村から出れば数日以内に餓死するのは目に見えていた。こういう時に一番頼りになるのは村長であるはずだったが、村長は軍隊によって殺されていた。村長は生きたまま十字架に磔にされて、目の前で村人たちが殺され、犯されていくのをたっぷりと見せつけられた後に火あぶりにされた。
生き残った者たちは相談を重ねた。いつしか時刻は夕方を過ぎて夜になっていた。
ミゲルは、大人たちがどのようにしてこの事態を切り抜けようとしているのかはまったく分からなかった。分かったところで、彼には発言権などなかった。軍隊が来たその日のその時、村の見張り台にいたのはミゲルだった。しかし彼は、飢えと疲労で眠りこんでいた。半鐘を鳴らす暇などなかった。軍隊が去った後、彼は生き残った男たちに散々に殴られた。彼が殺されなかったのは、今後も一方的に殴る対象を男たちが必要としたからだった。
やがて男たちは、教会へ行くことにした。ここに至っては、教会の神父に相談する他なかった。ミゲルも男たちの後ろについて行った。先頭を行く男が教会の崩れかけた正面口に立つと、古びて亀裂の入った木製の扉を押し開け、中へ入っていった。男たちは教会に入った。ミゲルは中に入れなかった。外にいろと言われたからだった。
それでもミゲルは、彼らが何を話しているのか知りたかった。彼は教会にたった一つだけある窓の傍へ、なるべく音を立てないように近寄った。鎧戸もなく、ガラスもなく、ただ壁をくりぬいただけの窓の中からは、存外はっきりとした話し声が聞こえた。男たちは何やら熱のこもった口調で話し合っていた。
「……それでは神父様、あなたはこれを使えば我々は救われると言うのですね?」
「……神にとっての救いと、我々にとっての救いというものが根本的に異なることがない限り……それは確かだと言えるだろう。これはそういうものなのだから」
「……しかし、それが本当に来るという確証はあるのか?」
「……これが真なる意味での聖人の遺物ならば、あるいは。偽アナクシマンドロスの『教会史』と『年代史』の記述は信頼できる。教皇も教会もかの書物を公会議にて公認している」
「……それは、何をこの村にもたらしてくれる? 食糧か、それとも金か?」
「……そういったものをすべてもたらしてくれるかもしれないし、あるいはそうではないかもしれない。ただ、他の地方における似たような事例では、すべて最終的に……」
突然、大きな声が響いた。
「こんなガラクタに賭けないといけないのか!」
ミゲルは肩を震わせた。それは、先ほど先頭に立って教会へ入った男で、ミゲルを他のどんな者たちよりも手酷く殴りつける男だった。男は死んだ村長の次男だった。
だが、それに答える神父の声は、作ったかのように穏やかだった。
「それでも、救いを得るにはこれしか方法はない。我々の思惑を遥かに超えた慈悲を、天使は示してくださるはずだから」
しばらく、沈黙があたりに満ちた。ミゲルは自分の心臓が高鳴るのを覚えた。やがて、村長の次男が、いかにも疲れ切ったような声で言った。
「それなら、今日の夜にでもさっそくそれを使わせてもらおうじゃないか。このままでは、俺たちはもう三日と生きられないのだからな」
神父が厳かな口調で答えた。
「天使は必ず来る。心配しないことです。我々はすべて救われます。すべてを神に委ねましょう。さあ、みんなで祈るのです……」
神父が聖句を唱え、礼拝を始めると、男たちもそれに合わせて神の言葉を唱え始めた。窓の外のミゲルも、同じく祈った。古代の言語で紡がれるその聖なる誦句は、ミゲルにとってまったく意味が分からなかったが、聞こえるままに心の中で言葉を繰り返しているうちに、飢えとはまた異なった痛みのようなものが芽生えるのを彼は感じた。それは暗闇の中から突如として明るい場所へ出た時に目が感じるような、そういう鋭い痛みだった。
やがて祈りが終わり、男たちは教会から出ていった。ミゲルは陰からこっそりと男たちの様子を見守った。男たちは村の焼け跡へと戻っていった。ミゲルはそれを見届けた後、教会に入った。
教会には神父がいた。礼拝堂には床はなく、剥き出しの地面の上に汚く変色した藁が敷かれていた。中には神父がいた。神父は粗末な木製のテーブルに屈みこむようにして立っていて、手に持った布の切れ端で何かを一心不乱に拭いていた。
ミゲルが自分を見つめていることに気づくと、神父は彼の方へ振り向いた。神父はまったくの無表情だったが、目でミゲルに対して近づくように促した。ミゲルは神父の元へ歩み寄った。
神父は無言で、テーブルの上にあるそれを指さした。ミゲルには、それが何なのかまったく分からなかった。それは箱だった。ほんのちいさな小箱だった。金属に特有の光沢があり、ミゲルはそれを銀だと思ったが、あるいは何か他の未知の物質でできているのかもしれなかった。小箱の表面には宝石のようなものが三つ並んでいた。左から順に、それは赤・黄・青だった。何か細長いものが箱の上部から三本突き出していて、その先端は鋭く尖っていた。
神父はミゲルに言った。
「これは大天使ミカエルがこの世に残したと言われている遺物だ。『ミカエルの聖櫃』という。聖クリストフォロスが小アジアで飢えた人々の群れに直面した時、大天使ミカエルが降臨してこれを彼に授けたという。聖クリストフォロスはこの小箱を用いて天使を呼び、天使は尽きることのないパンと肉とワインで飢えたる民に『救い』を施した。そのように教会史では伝えられている」
そのように語りつつも、神父はあまりミゲルに対して興味を持っていないようだった。それでも神父は話し続けた。
「私がこれを手に入れた経緯について、お前に説明するつもりはない。ただそのために、私がこのような地の果てのごとき村に来ることになったということだけは話しておく。そして、今やこの小箱だけが、私にとっての救いと、お前たちにとっての救いをもたらすというわけだ」
神父はなおも布で小箱を拭き続けた。
「天使が来れば、必ずやこの村の惨状に目を留めるであろう。天使とは神によって、人間を助け救うために生み出された存在であると聖トマス・アクィナスも言っている。あるいは、天使は来ないかもしれない。実を言うと私は、そのどちらでもないと思っているのだが……」
ミゲルは神父が何を言わんとしているのか分からなかった。その使い方を知っているのかと尋ねると、神父はあからさまに侮蔑的な表情を浮かべたが、それとは対照的なまでに穏やかな口調でミゲルに答えた。
「私はそのためにこの半生を捧げたのだ。天使を呼ぶというその方法、そのために私は帝都での栄達も、修道院長になるという夢もすべて捨てた。お前のような農民には決して分かるまい、ただの薄汚い一個の生命にしがみつき、大地に傷を増やすだけのお前たちには……」
話を打ち切るように、神父は大きな声で言った。
「そうだ、今晩明らかになるのだ! この『ミカエルの聖櫃』の正体がな!」
そこまで話すと、神父はミゲルに対して、あともう少し準備に時間がかかると言った。天使を呼び出すのはその日の真夜中ということになった。
やがて、神父が小箱を持って教会から出てきた。男たちは神父たちの後ろに付いて歩き出した。ミゲルも、その最後尾についた。神父は村の近くの平原へ向かうようだった。月は雲で隠されていて、一寸先もはっきりとは見えなかったが、それでも彼らの足取りは早かった。
一時間ほどして、ようやく彼らは緩やかな小さな丘の麓に辿り着いた。神父は後ろにいる男たちに対して、丘の周りの地面に伏せているように告げた。そして、神父は小箱を持って丘の上へと登っていった。
丘の傾斜はごく浅いものだった。伏せた者たちでも丘の上はよく見えた。ミゲルもそれを見ていた。神父は小箱を丘の中心部に置き、細長い三本の突起物を折り曲げて直立させると、三つの宝石のようなものを順番に押し始めた。何回か手順を繰り返した後、突然、小箱が妙な音を上げた。それまでミゲルはそのような音を聞いたことがなかった。曰く形容しがたい、何か自然ではない響きを持つ音だった。
音が鳴ると、小箱が突然開いた。その中にあったのは、無数の小さな鍵盤のようなものと、小さなダイヤのように輝く丸い装飾だった。神父は迷うこともなく、流れるような手つきでそれを順番に押していった。
作業は十分ほど続き、そしてようやく終わった。今や小箱は光を放っていた。その光は黄金色で、あたりを眩く照らしていた。小箱からは、音楽ともなにともつかない、妙な音がずっと鳴り響いていた。聖なるものであるはずなのに、その音は飢えたミゲルたちの聴覚を苛んだ。深い眠りに就いている者たちを無理やりに呼び起こそうとするかのような、そういう切迫感を伴った響きだった。
ミゲルは、期待とともに待った。あの小箱の光と音とを天にいる天使が聞きつけ、ここにやってくる。天使は自分たちの前に降臨し、溢れんばかりのワインと、尽きることのないパンと、食べ切れないほどの肉を与えてくれるだろう……
一時間が経ったのか、二時間が経ったのか、それともそれ以上の時間が経ったのか、ミゲルには分からなかった。周りに伏せている男たちは、今や身動き一つしていなかった。それでも彼らが天使がやってくるのを待っているのが、ミゲルにはよく分かった。
いつしかミゲルは、光も闇もなく、音も光もなく、動きも存在もない世界の中にいた。「ミカエルの聖櫃」の光と音が、彼をそのような世界へ誘ったようだったが、彼としては、疲労と飢えのために夢の世界に落ちてしまったのだと思った。彼は混沌の中でずっと横たわっていた。
突然、光の柱が立ち昇った。朝日よりも赤く輝き、夕陽よりも暗く淀んだ光の柱だった。それは人の形をしていた。その背には純白の翼が生えており、頭には浄福なる輝きを放つ光輪が浮かんでいた。緩やかな白い着物を身に纏ったそれは、黄金の金具をつけた革のサンダルを履いた足を、一歩一歩前へ前へと進め、やがてミゲルの前に立った。
天使だ。
ミゲルはそう思った。しかし声は出なかった。天使はしばらくミゲルの顔を見下ろしていた。そして、静かに腰を下ろすと、懐から革袋と、パンと、布に包まれた肉を差し出した。ミゲルは手を伸ばしてそれを受け取った。革袋には赤いワインが入っていた。ミゲルはそれを一息ですべて飲み干した。彼はパンを千切ることもなく、それにかぶりつくと、ろくに咀嚼することなく飲み下して、次に肉の塊を口へ運んだ。
大量の食物が一気に食道を通過した。その圧迫感でミゲルは目に涙が浮かんだ。彼はワインをもう一度飲もうとした。先ほどすべて飲み干してしまったはずの革袋には、また元のようにワインがいっぱいに詰まっていた。
ミゲルは飲み、喰らい、そしてそれを飽きることなく続けた。飢えはいつの間にか消えていた。そして、ようやく一通りの欲望を満足させた後、ミゲルは天使の顔を見上げた。
天使の顔は乳のように白い光で覆われていて、その輪郭すらも掴むことは容易ではなかった。だが、ミゲルは確かに、その天使の顔に亡き母の顔立ちを認めた。母は五年前に産褥熱でこの世から去っていた。ミゲルは天使に向かって「おかあさん」と呼びかけた。天使は何も話さず、無表情のままだったが、声に応えるかのようにミゲルの傍に跪くと、その膝の上に彼の頭を乗せた。
天使はミゲルの頭を撫で続けた。ミゲルは幸福感に包まれていた。これ以上はないというほどの幸せな気持ちだった。旱魃の中、食物と水を求めて毎日駆けずり回ったあの苦労、村が襲われ、周りで村人たちが殺戮されて血飛沫が上がる中、必死になって敵に向かって命乞いをしたあの屈辱、男たちに殴打され、唾を吐かれ、鞭で苛まれたあの苦痛……それらがすべて消え、苦しみはすべて幸福へと転化し、彼の心を満たした。彼の目からは涙が零れ落ちた。
泣くミゲルに対して、天使はなおも頭を撫でつつも、何か歌を歌い始めた。それは主なる神を賛美する歌だった。ミゲルも、その言葉の意味は分からないまでも、それに合わせて歌い始めた。
ミゲルと天使は歌い続けた。神を讃え、神の愛と慈悲に感謝をする歌は、いつまでも続いた。いつの間にか、ミゲルもまた光となっていた。彼は天使と一体になって、幸福感に包まれたまま歌を歌い続けた。
◯◯◯
朝靄は乳粥のように濃厚だった。薄い薔薇色の朝日が、丸く平たい丘の上に降り注いでいた。その中で、一人の人影が蠢いていた。それは神父だった。彼は、もはや光も音も発さなくなったミカエルの聖櫃を回収すると、革製の袋に恭しい手つきで入れた。
神父は丘を降りると、何かを探し始めた。すぐに彼は、目的のものを見つけた。それは村の男だった。村長の次男だった。男は眠っているようだった。その顔には幸福感が満ち満ちていた。しかし、その腹部はまったく動いていなかった。神父は顔を近づけて、男が呼吸をしているか確認した。数秒してから、神父は確かめるように何度か頷くと、今度は別の男を探した。これもすぐに見つかった。神父は何度も同じことを繰り返した。
やがて神父は、最後の一人を見つけた。それはミゲルだった。ミゲルもまた、幸福感に満ちた顔をしていた。赤子のように満足しきった顔をしていて、口は甘えるように開いていたが、あるいはそれは何か歌を歌っている途中に眠ってしまったかのようでもあった。
神父は男たちを引きずると、その十数人を一列に並べた。ミゲルは列の一番右側に位置していた。神父はそれを見ると、うっすらとしつつも、しかし確かに満足しきったような顔をした。気を取り直したかのように神父は何度か頷くと、殊更に恭しい仕草で十字を切り、ロザリオを手にすると、低い声で聖句の朗唱を始めた。
だが突然、彼は途中で何かを思い出したかのように、侮蔑と憎悪に満ちた表情を浮かべた。彼は燃えるような目つきで、地面に列になって横になっている男たちを見渡した。
神父は何かを叫ぼうとしたようだった。彼は口を開いた。しかし、言葉は出てこなかった。激しい呼吸を整えてから、神父は吐き捨てるように言った。
「言っただろう、神にとっての救いと、人間にとっての救いが、はたして同じものかとな……」
そう言うと、神父は村へと去っていった。はたして燃え尽きた村に穴を掘る道具が残っているだろうかと、そのことだけを神父は歩きながら考えていた。
(「ミカエルの聖櫃」おわり)
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