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『1』
「まもなくホームを快速電車が通過します。白線の内側までお下がりください」
電車が置き去りにしていった強風に思わず身を縮めた。暦はもう春だが日が落ちればまだ肌寒く風も冷たい。
春が来ても、妻と息子は未だ実家から戻らない。何度迎えに行っても門前払い。やってられない。
「幼稚園はどうするんだ」と尋ねたら、「こっちで行かせます」と返ってきた。どうかしている。こんな別居状態を一体いつまで続けていくつもりなんだろうか。
けれど、正直に言えば清々しているのだ。息子に会えないのはとても辛いが、妻との息苦しい生活から逃れられて身も心も軽い。
身体が軽いのはよく眠れるようになったお陰もあるだろう。毎晩隣室で繰り広げられていた音楽会が、ある日ぴたりと止んだからだ。どうやらたくさんの苦情を受けて大家が動いたらしい。というのは、同じ階に住む一ノ瀬さんから聞いた話だ。
よく眠れるようになれば、仕事にも身が入る。
やっと不運が終わったのか、先月ついに営業成績1位に返り咲いた。ベストな形で新年度を迎え、俺は係長に昇進。
それを喜んでくれる家庭は傍になくとも、今の俺には1人故の安寧がある。
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