約束された災厄の日に

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 新約聖書。  ヨハネの黙示録。  八章六節から、十一章十九節。  神の御使いである七人の天使は、それぞれの手にラッパを携えて現れる。  彼らが吹き鳴らすラッパの音色を合図にして、地上ではあらゆる災害が引き起こされる。  第一のラッパ、血の混じった雹と火が降り注ぎ、地上の三分の一を焼き尽くす。  第二のラッパ、山のような火の固まりが海に落ち、海洋生物の三分の一が死に絶える。  第三のラッパ、星が水源の上に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。  第四のラッパ、太陽と月、星の三分の一が打たれ、その分だけ昼も夜も暗くなる。  二十一世紀。  文明社会が発達した現代に、突如として天使たちは実体を伴って現れた。  彼らが吹き鳴らしたラッパの音色は、同時刻、地球上にあった生命全ての耳に届き、避けられぬ災害の始まりを告げた。号令と共に天変地異は起こり、聖書に記述されていた出来事は現実となって、この星を襲った。大地が焼け、海が血で染まり、水が毒に侵されて、多くの人が亡くなった。   「都市部は特にひどい有り様だって。物資を奪い合って暴動も起きてるし、とても人が暮らせる状況じゃない。疎開してきた子供たちはみんな、天使のラッパが天変地異のきっかけになったことは知ってるよ。……降臨した天使の姿を見た人もいるし。怖がられるのは当然。この村だって今はなんとか無事だけど、いつどうなるかは分からない。こうやってあんたが現れたんなら、第五のラッパも避けられないだろうしね」  スマートフォンの画面には燃える大地と逃げ惑う人々の姿を映した動画が流れている。ガラス玉のようなダイゴの瞳に長方形の光が映りこんでいた。見つめる表情には相変わらず変化がない。容姿がどれだけ似ていても、根本的に中身が人と違うのだろう。背中の翼と頭の輪。それだけに収まらない種としての隔絶が、私とダイゴの間にはあるようだった。 「……この音は何でしょう」 「え?」  画面を指さし、ダイゴが尋ねる。   「これです。この、胸を打つような」    気が付くと、スマートフォンから流れる動画がいつの間にか別の物に切り替わっていた。過去に視聴した履歴から、次に再生する動画を勝手にピックアップしたらしい。ダイゴの指の先にあったのは、ヴァイオリンの奏者を撮影した動画だった。 「音っていうか、音楽だけど。ってか、もういいでしょ。スマホ返して」 「オンガク、ですか。なるほど」  人差し指を顎に当て、何かを考えるような仕草を始めた天使の手から、私はスマートフォンを奪い返した。先ほどまでの慇懃な饒舌はどこへ、急に大人しくなったダイゴだったが、なぜかこの場を立ち去ろうとしない。  こうしている間にも、陽はゆっくりと暮れていく。時間がもったいなかった。私は招かざる同席者を放って立ち上がり、脇に置いていたヴァイオリンをもう一度構えた。  課題曲は決まっている。  メンデルスゾーン、『ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 第一楽章』。  父さんと母さんも大好きだった曲だ。  長い深呼吸をして、弦に弓を下ろす。  オーケストラの伴奏は無いけれど、頭の中に常在している想像の楽団は、常に私の後方に控えてくれている。  第一主題の提示。哀愁のあるメロディが、公民館の裏手から人気のない森の方角へと流れていく。弦の震えに伴って、静謐だった大気が徐々に波を打つ。細やかな三連符。指先の動きに意識を集中する。無心の境地で演奏ができるほど、私はまだヴァイオリンが上手くない。連続したオクターブの重音。難しい。ここを過ぎれば、次はオーケストラによる第一主題へと展開する。頭の中の楽団が一斉に楽器を構えた、その時。 「奏音さん……!」  突然名前を呼ばれた。驚いた拍子に弓がぶれ、予定外の動きに触れた弦が調子外れの音階を奏でる。   「ちょっと、邪魔しないで……、って」  演奏を中断して振り返り、私は再度驚いた。  そこに立ち尽くしていた翼の天使が、嘘のような滂沱の涙を流していたからだ。 「あ、あんた、どうした? どっか痛むの?」 「いえ、身体はどこも痛くありません。むしろ非常に好ましい感覚でいます。にもかかわらず、異常な状態を止められません。涙腺から分泌物が流れ続けています。あなたの持つ道具から発せられた、流れるようなオンガクを耳にした瞬間から、ずっと」  天使が私を見つめている。  相も変わらぬ無表情。それなのに、泣き腫らした目の周りだけが真っ赤だ。 「奏音さん、お願いがあります。私にオンガクを教えてください。知りたいのです。溢れるこの涙の理由が何であるのかを」  ダイゴは淀みなく、そう言った。  涙で濡れた瞳の黒色に、私の持つヴァイオリンの鏡像が映りこんでいた。
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