約束された災厄の日に

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 臨時分校の教室に、いつもどおりの騒がしい朝が来る。  黙って椅子に座っているのは、せいぜい私ぐらいのものだ。  疎開でこちらに越してきた子供たちはまだ遊び盛りで、落ち着きがない。低学年の子たちは通学中に捕まえたという昆虫を片手に掲げて大騒ぎをしているし、少し大きな他の子たちもおしゃべりに夢中でいる。  森に囲まれた片田舎の大らかな空気のせいか、ここの子供たちはみんな声が大きい。慣れていなければ耳を塞ぎたくなるほどの喧しさとは裏腹に、室内には空席が目立っていた。  公民館にホワイトボードと学習机を据えただけの簡易的な学習教室。  本来であれば地域住民の集会やゲートボール大会に使われるこの空間は、二十名にも満たない子供達だけで使うには少々広すぎた。大は小を兼ねるとはいうものの、机に向かう環境としては意識が散漫として、あまり集中できる環境ではない。  その一番後ろ。固い椅子に座り、私はSF小説の一頁に目を落としていた。  十数年前に出版されたらしい文庫本は、公民館の本棚に置かれていたものだ。保存状態はけして良好と言えず、黄色く変色した紙からは独特の臭気が漂っている。紙面に押し詰められた小さな文字の連なり。そこには、自立歩行をするようになった食人植物が世界中で人間を襲い始めたシーンが描かれていた。逃げ場のない人類は徐々にその数を減らされ、追い詰められていく。世界の端へ、端へ。  始業を告げるアラームが鳴る。  栞を挟んで本を閉じ、私は顔を上げる。  おばあちゃん先生はまだ姿を見せていない。  何かあったのだろうか。 不安に駆られ、私は教室に居る子供たちの数を確認してみる。  六、七、八……。大丈夫、誰もいなくなっていない。  ホッと胸をなでおろした瞬間に、公民館入り口の扉がガラリと開いた。  二つの人影があった。  小柄なおばあちゃん先生と、もう一人。知らない誰か。 「みんな、おはよう。遅れてごめんねぇ」  だだっ広い室内をゆっくりと歩き、おばあちゃん先生は黒板代わりのホワイトボードの前で立ち止まった。  いつもならば朝の挨拶の号令をかけるタイミング。騒がしくしている子供たちも、「起立、礼」の声を聴けば、少しは大人しくなる。  けれど、今日は様子が違った。  子供たちはみんな、号令より前に静まり返っていた。  沈黙の理由は、きっと私と同じ。  おばあちゃん先生の隣に立つ、知らない人物。  白いシャツを纏った彼の背中。いや、そこにある異形に目を奪われていたからだ。 「今日は新しいお友達を紹介します。……それじゃあ、ダイゴくん。自己紹介をお願いね」 「分かりました」  おばあちゃん先生が手渡した黒いマーカーを受け取り、少年はボードの方に向き直る。  くるりと翻った背中から、確かに翼が生えていた。小さく折りたたんでいるようだが、シルエットからして普通の人間とは違うことは明らかだ。うっすらと光を放ってふわふわと浮かぶ白い羽が、風も無いのに空気中を滑っていくのが見えた。  片翼だけでも二メートル以上はあるだろう。  飛行だけを目的としているようには思えない、威圧的にも感じる神々しさ。  私は前に一度、これに似た翼を見たことがある。  灼熱の星が降り注ぐ東の空。凶兆を孕んだ茜色の雲に背にして、天使が翼を広げていた。業火に追われて逃げ惑う人々の上空に浮遊し、感情のない瞳でこちらを見下ろしていた。 「ダイゴと申します。皆さんよろしくお願いします」  少年はこちらを向き、深々とお辞儀をした。  垂れた頭の少し先には、輝くリングが浮かんでいる。 「はい、ありがとう。それじゃあ皆さん、ダイゴくんに歓迎の拍手をしましょう!」  そう言っておばあちゃん先生は、ぱちぱちと手を鳴らした。  まばらな拍手はそれ以上ひろがることなく、やがて室内の緊張に飲み込まれていった。
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