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「結婚するならバーノン辺境伯様しかいないと思っておりました」
俺は上目遣いでしとやかに微笑む。
俺のこの言葉は嘘じゃない。だって強大な権力となる司教の子孫の爵位を持っているのは、ライオネル・バーノン辺境伯ただひとりだ。
俺の政略結婚の相手は、こいつしかありえない。
「そんな嬉しいことを言ってくれるのか」
辺境伯が俺に微笑みかけてきたとき、強い風が吹いた。野暮ったい黒い前髪が風になびかれ、辺境伯の顔が露わになる。
思わず俺は目を奪われた。
辺境伯の顔は傷だらけだ。でも、それを除けば、かなりの男前だ。澄んだ大きな目も、筋の通った鼻梁も、唇の形だって悪くない。むしろ、かっこいい部類に入るんじゃないだろうか。
「一生、大切にする」
辺境伯は強風などびくともせずに、俺だけを真っ直ぐに見つめている。
「俺の生涯をかけて、あなたを幸せにすると誓う。本当に、本当に俺と結婚してくれてありがとう。心から歓迎する」
辺境伯は大真面目に、俺に気持ちをぶつけてくる。
なんだ。始まる前からこいつ俺に惚れてるんだな。
やっぱりこの俺の容姿は武器になる。辺境伯は王都に来たときに、たまたま俺を見かけてこの容姿に惚れたのだろう。遠くから見ているだけなら、俺の人柄まではわからないからな。
俺は心の中でほくそ笑む。
これなら案外早くカタがつくかもしれない。
「ありがとうございます。バーノン辺境伯」
俺はいつもどおりの完璧な笑顔を見せる。アルファから可愛いと評判の、とっておきの笑顔だ。
こうでもしなきゃ、俺は平静でいられない。
自分を偽れ。本心を見せたらそこでゲームは終わり。
辺境伯の言葉なんかに惑わされるものか。こいつとの結婚生活は一年間だけ。それもただの政略結婚だ。
『一生、大切にする』
それなのに、さっきの辺境伯の言葉が頭から離れない。
クソッ。俺とともに生きることを望むようなことを言うな。俺はお前からすべてを奪いに来た悪党だぞ。
「呼び方はライオネルでいい」
「えっ?」
「今日、俺たちは結婚するんだ。それなのにバーノン辺境伯とは他人行儀だろう?」
あー。そういうことか。
「そうですか。では敬愛の意味を込めて、ライオネルと呼ばせていただきます」
「ああ。敬語も要らない。ノアと対等な関係になりたい。どうだろうか?」
へえ。いいんだ。まぁ、そのほうが俺にとっても好都合だ。
「ありがとう。じゃあそうさせてもらうよ」
俺に対等な関係でいることを簡単に許して、あとで後悔しても知らないぞ。こいつはさっきから自分で墓穴を掘ってばかりだ。俺に好意を示して、対等でいることを許して、案外チョロい男だ。
「あの、ノア様すみません。それは婚礼の儀に出席なさるときの服装ですか?」
辺境伯の後ろに控えていた、茶色い髪の男が突然、口をはさんできた。
見れば凛々しい顔をした青年で、騎士団の紋章を正装の胸の位置に着けていることから騎士だとわかる。しかも、あの紋章は騎士団長クラスの者に与えられる印だ。
「そうだが?」
この完璧な婚礼服にケチをつけられるとは思わず、俺は明らかに不快な顔をする。
「他の婚礼服に着替えていただけますか? 以前使った少し古いものですが、城には何着か用意があります」
「は?」
茶髪の騎士は何を言ってるんだ。失礼な奴だな。
「この国の創生者のひとり、バーノン司教の時代からの掟なのです。式典の際は赤を身に着けてはなりません。赤は司教の色とされ、それを身に着けることが許されるのはライオネル様ただおひとりだけです」
「えっ? なんだよそれ」
そんな身内のルールなど知るものか。王都では、式典のときに服の色の制限などない。婚礼で赤を着ることは何の問題にもならない。
しかも替えの衣装は誰が使ったかもわからない古着とは。ありえない。そんなものを着て結婚式に望めというのか。
「エルドリック、気にするな。着替えずにそのまま式を執り行う。それでよい」
ライオネルが茶髪の騎士、エルドリックを制する。
「ですが、ライオネル様……っ! それではライオネル様の威厳が。まるでノア様が司教の力を継ぐもののように見られてしまいます」
慌てるエルドリックに対して、ライオネルは至極冷静だ。
「構わない。もともと俺は今日、赤を着るつもりはなかった。ノアが赤を着ているのなら、ちょうどいいじゃないか」
ふたりの話を聞いていて、俺は内心笑いが止まらない。俺をかばうなんて、ライオネルは相当なバカだ。これは本当に公爵の地位に俺が立つことになりそうだ。
「ライオネル、それじゃ申し訳ないよ」
俺は控え目なオメガのふりをする。アルファは庇護欲が強い。だからアルファ受けがいいのは、健気で大人しい感じの従順オメガだとどっかの本に書いてあった。とりあえず控え目な発言をしておけば、俺に対する印象がよくなるだろう。
「いいんだ。せっかくノアがこの日のために用意してくれた服だ。俺はその気持ちがとても嬉しい。王都では赤い婚礼着でも何の問題はないのだから、ノアもそのままでいい。周りに何か言われたら俺を呼べ。俺が説明する」
「ありがとう、ライオネル」
俺は可愛いオメガのふりをして、可憐に微笑む。
そんな俺たちふたりの態度をみて、エルドリックは仕方なしとでも言いたげなため息をついた。
「ライオネル様。いくら世継ぎが欲しいからって、そこまでしなくても……」
エルドリックの愚痴を聞いて、俺はピンときた。
そうだ。ライオネルには親戚兄弟がいない。天涯孤独のような立場だ。
ライオネルとしては、創始者である司教の血族を絶やすことはできない。
ライオネルは、なんとしてでも結婚して自らの世継ぎが欲しかった。それなのに、見た目が恐ろしくて全然嫁が来ない。だから今回の、俺との結婚は願ってやまないものなのだろう。
だからさっきから俺を手放さまいと必死なのか。
「ノア。そのように親しげに、お前に名前を言われるのはとても嬉しい」
ライオネルはぎこちなく微笑んだ。
またこの笑い方だ。
だからさっきからそれ、怖いって。ライオネルは獲物を見つけた怪物みたいに恐ろしい顔をしている。
「行こう、ノア。今日は俺とお前の記念すべき日だ」
ライオネルは上機嫌で俺を城の中へと招き入れる。
本当に可哀想な男だ。今から結婚する相手は、お前が望んでいるような嫁じゃない。
俺は見た目は麗しい人間だが、中身はそうじゃない。
俺こそ、本当の怪物だよ。
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