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1.策士オメガ
美しい、という言葉は聞き飽きた。
愛の告白をされることは日常茶飯事。
でも俺が欲しいのは、愛なんかじゃない。そんな一時的な感情に振り回されて生きていくなんて荒唐無稽だろ。どうせ人は裏切るんだから。
俺は自室にある、大きな鏡の前で自分の姿を確認している。
金色の絢爛な刺しゅうの入った赤色の上着も派手でいい。婚礼衣装の出来栄えは問題ない。職人に何度もやり直しをさせた甲斐があった。
次に俺は自分の顔をあちこち眺め、プラチナブロンドの髪をかき上げ、エメラルドグリーン色の瞳を瞬いてみる。
「完璧だな」
鏡に映る俺は、口角を上げ、自信に満ちた顔をしている。
思ったとおり、これ以上ないくらいに完璧だ。
手入れの行き届いた柔い白肌に、造形美のように完璧な顔のパーツ。多少の好みはあっても、これを醜いと言う奴はいないだろう。
よし。これならどんなアルファだって虜にできる。
俺、ノア・フォーフィールドの唯一と言ってもいい武器は、この類いまれなる恵まれた容姿だけ。
第二の性のうち、俺はオメガ性だ。能力の高いアルファはどうしても地位が高くなる傾向があり、貴族はアルファの割合が庶民よりも多い。その中で世継ぎを産めるオメガの貴族は希少だ。貴族は基本的に爵位のある者から結婚相手や側室を探すため、俺のもとにはオメガと結婚したいアルファからの求婚が途絶えない、というわけだ。
ま、もちろん容姿がいいのも、貴族アルファに人気の理由だが。
性格は最悪だと周りからよく言われる。俺は人に合わせたりお世辞を言ったりするのは苦手だし、別に誰かを助けたいとも思わない。
みんな偽善者ぶってないで正直になれよ、と言ってやりたい。人間誰だって自分が一番可愛いに決まってる。己の利益を追求しているだけなのに、どうして「悪役令息ってノアみたいな奴のことを指すんだろうな」と陰口を言われるのか、俺はいまいち理解できない。
「ノア様。お支度は整いましたでしょうか?」
コンコンと俺の部屋の扉をノックする音が聞こえ、年老いた従者のハリードが出発の刻だと告げてきた。
聞かれるまでもない。俺を誰だと思ってる。完璧に決まってるだろ。
「行ってくるよ、キール」
鏡で姿を確認したあと、鏡台の引き出しを開けて、中から古びた赤い革製の首輪を取り出す。この首輪は剣で斬られていて、今は輪っかの形はしていない。
いつもはこの赤い首輪を軽く胸に抱きしめ、出発の挨拶をして出かけるのが俺のルーティーンだ。
でも今日は、ふと手が止まる。
俺はしばらくのあいだ、この部屋に帰ってくることはないだろう。
婚礼に備えて俺は一切の無駄を省いた完璧な荷造りをした。このキールの首輪はどう考えても不要なものだ。
「一緒に行くか?」
なぜかわからないが、最近ほとんど思い出さなくなったキールの顔を鮮明に思い出した。それが、キールの訴えのような気がした。
俺は赤い首輪を手にして懐にしまい、部屋を出る。
この部屋を出たら少しの油断も許されない。一挙手一投足に気を配って、完璧に振る舞わなければならない。
隙なんて見せるものか。俺はもう二度と、誰にも心を許さない。信じられるのは自分自身だけだ。
「おお、なんて美しい。さすがは絶世のオメガと言われたノア様の婚礼衣装です」
廊下で待機していた白髪の従者ハリードが、俺の姿を見てすっかり見惚れている。
だが俺にはその褒め方が引っかかった。
「美しいのは衣装だけか」
ここで下手に出てはいけない。少しのミスでも指摘して権威を見せつけていかなければならない。
「た、大変申し訳ございませんっ。もちろん美しいのはノア様です。ノア様がお召しになっていらっしゃるからこそ、衣装も輝いているのでしょう」
「もういい。早く馬車を出せ。時間の無駄だ」
ハリードも俺にいつまでも怒られるのは嫌だろう。今日はこのくらいで勘弁してやる。
「はい! 準備は整えてございます! どうぞこちらへ」
廊下を歩きながらも、ハリードは「いつもノア様は完璧でございますね」としつこく褒めてくる。
「当たり前のことを言うな」
褒めてくる奴には裏があるに違いない。
俺の機嫌を損ねてクビになりたくない、気に入られて褒美が欲しい、大抵はそんなところだろう。
だから俺はそれが無駄だと教えてやる。そんなことを言われても俺は喜んだりしない。
「はは。そうですね。ノア様は美しいに決まってますものね。でも、今日でノア様にしばらく会えないと思うと、どうしても胸にこみあげてくるものがございまして。私はノア様がこんな小さな頃から見守っておりましたので、親心のようなものが芽生えてしまい、本当に、本当にノア様のお姿がまぶしくて……」
ハリードは涙ぐんでいるが、これもきっと演技なのだろう。涙を流せる役者なんて、この世にあふれている。役者ではない俺でも、必要があれば涙を流すふりくらいは簡単にできる。
「今まで俺の面倒をみてきた褒美が欲しいのなら、俺じゃなくて父上に言え。それと間違っても俺はお前の子どもじゃない」
何が親心だ。よく言ったものだ。なんの力もない庶民のくせに。
こんなおいぼれになっても、この家の当主である父、エルマン・フォーフィールドは、ハリードを辞めさせたりはしない。「偏屈なノアのことを一番理解しているのはハリードだ」と言って老いた従者をいつまでもクビにしない。
「はい。わかっております。ノア様はエルマン様の大切なご子息であられます。子爵令息として申し分ない御方でございます。ライオネル・バーノン辺境伯様のもとに嫁いでも、どうか、どうか幸せにお過ごしください」
「それは嫌味か」
俺と辺境伯との結婚は政略結婚と知っての言葉がそれか。政略結婚なのに幸せになるはずがないだろう。どんな勘違いしてんだよ。
「いいえ。決してそのようなことはございません。オメガの幸せは昔から素敵な番を見つけることと言われております。ノア様は苦労の多い人生を過ごされていらっしゃったので、素敵な伴侶を見つけられたらいいなと、生い先の短い老人の戯れ言でございました」
「本当に戯れ言だな。俺は絶対に番わない。目的を果たしたら辺境伯と別れて帰ってくる。それまで長生きして、この家で俺の帰りを待っていろよ」
番うどころか、この身体に指一本触れさせるものか。辺境伯と辺境の地で一緒に暮らして一生を終えるなんてありえない。
「さようでございますか。どのような形でも、またノア様にお会いできればと思っております。そのために、長生きしなければなりませんね」
ハリードは俺に微笑みかけてくる。まったく、さっき俺じゃなくて父上にいい顔しろと教えてやったばかりなのに、俺に好かれようとしてどうする。媚びを売るなら権力のある奴にしろ。本当にどうしようもないジジイだ。
「ノア。支度ができたようだな。辺境伯の城へ出発しよう」
屋敷の玄関で父上が俺に、にこやかに声をかけてきた。
父上は見た目も温厚そうに見えるが、中身はもっと人がいい。
金もないくせに、自分の領地が飢饉に見舞われると税を納めなくても農民たちを許してしまう。出世欲もないから、家臣たちが集まる中央会議に出席しても何も主張せず、唯一の爵位である子爵の位も隣の領土を治めているユーデリア侯爵家に狙われて、奪われる寸前だ。
ここまでお人好しが過ぎると、呆れて物も言えない。このままではフォーフィールド家は没落してしまう。
こうなったら長男である俺がなんとかするしかないと、辺境伯との政略結婚を思いついたのだ。
「はい。準備は完璧です」
俺は父上に完璧な微笑みを返す。
ライオネル・バーノン辺境伯は不幸な男だ。
悪魔のような俺の正体に気づかずに、俺に求婚の手紙を寄越してくるとは。
辺境にいて中央にいなかったから、俺の評判をあまり知らないのだろう。
辺境伯は、これから俺にすべてを奪われる運命だ。
世の中、正直者はバカを見るんだよ。
この世を生き抜くためには、このくらいやって当然だ。
俺はこの政略結婚を完璧に成し遂げてみせる。この美貌と頭脳を使って、華麗にのし上がってみせる。
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