第5話 あのワンルームで 【最終話】

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 淳くんは腕の中の私をじっと見つめた。視線が絡まって、ちゅっとキスをされる。 「高校生にしては落ち着いた雰囲気で、ブラスバンド部に所属してて、すごく頑張り屋さんな子だった。でもちょっと子供っぽいところがあったり、笑った顔が可愛くて……告白もできなかったんだけどね。思い出してみるとみかんさんにちょっと似てるかも。その子、卒業前に家の都合で海外へ行っちゃってそれっきりなんだけど……」  スラスラと答える淳くんに、すうっと体の中心から覚めていく感覚がした。足元に絡みついていた波が引いていく。  淳くんは嘘をついている。  私たちの高校にはブラスバンド部なんてなかったし、卒業前に海外へ行くため中退した子もいない。そんな子がいれば次の日には噂でもちきりになるくらい田舎の狭い場所だったから。  客の私が、気持ちよくなれる嘘をセラピストとしてついてくれている。  本当に、なにひとつ、私のこと覚えてないんだ。  最初から分かっていたことなのに、なぜか胸が痛んで、腑に落ちた。  私の青春に淳くんはいたけれど、彼の青春に私は全く存在していなかった。ただそれだけのこと。  当然か。私は長塚淳くんではなくて、ジュンくんを買ったのだから。 「みかんちゃんの初恋はどんなだったの?」 「んー……忘れちゃった」  なにそれずるい、とジュンくんが拗ねて私の頬を指で押した。 「ジュンくんはさ、子供欲しいって思ったことある?」  たぶん、性感マッサージを受けた客がセラピストに聞く話題ではないだろう。 「深く考えたことないなぁ。子供は好きなんだけどね」  そうなんだ、と相づちを打つ。  私は、子供が欲しかったのか。それとも、愛されたかったのか。  そんなことを考えていたら視界がぼやけてきて、疲労感からベッドに体が溶けていくような気がした。  あっ、とジュンくんが声をあげる。みかんさん、と呼ばれたけれど返事をするだけで目を開ける力がない。 「誕生日おめでとう、みかんさん」  頭を撫でられて、唇になめらかで柔らかいものが当たった。  私は三十二から三十三になったのだ。  ひとりではない、このワンルームで。ありがとう、と返事をするよりも先に、私は睡魔に負けて眠りに落ちた。
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