第1話 オナニー中に母から電話

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去年の誕生日は直前に飼い猫が死んだショックで記憶にない。  電話は終わったのに、苛立ちが収まらない。  アルコールが回ってきたのを言い訳に、削除したアダルトサイトのタブを惜しんでウェブアプリのアイコンをタップした。そこで、ふと目的を変えた。  元夫とのセックスレスに悩んでいた頃、同じ悩みをもつネット上の友達に教えてもらったサイトがある。  今なら決心がつく気がする。  履歴が残らないシークレットタブに一年以上前から開きっぱなしになっているサイトを迷いなく指が選択する。何度も自分を慰めるように訪れていたから指が覚えてしまった。 「ジュンくん……あー……」  黒を基調としたサイトの上部には【ダーリンクラブ 極上の快楽をあなたに……】と文字が光っている。  これは所謂、女性に性感マッサージを行う風俗店だ。その名の通り、性器の挿入行為はなく、指や舌で快楽を味わえるのだという。 【セラピストの紹介】をスライドすれば、白い雲のようなモザイクが入った三十三歳の男性の写真が現れる。  スーツ姿からコスプレ写真まで揃っていて、前回見たときは半袖Tシャツだったのに、今ではコート姿に変わっていた。  何度も読んだ彼の紹介文と写真を往復する。身長百八十三センチ、手入れが行き届いていそうな黒髪にトイプードルとじゃれる姿は顔が写っていなくても人懐っこさが伝わってきて、ぼやけた顔まで勝手に美しいものだと認識させられる。  顔は私のなかで無意識に若い男の子がはめ込まれた。友達から教えて貰ってサイトを覗いたあの日から、彼の雰囲気に目が離せない。  あり得ないことだと分かっていても似ている。  高校の時に少し気になっていた、隣のクラスの長塚淳くんに。  見れば見るほど、学生時代から常にクラスの中心にいそうな雰囲気といい、自分がかっこいいと分かっているようなポーズといい、私の好みなのだ。実際付き合ったことはないタイプだけれど、いいなと思うアイドルや芸能人はみんな彼のようなタイプだった。  ――本当に、よく似ている。  ずっと迷っていたけれど、今なら予約できる気がした。  けれど、以前見たときにはなかった質問とジュンくんの回答に申し込みボタンを押そうとした指が止まった。  Q.出身地は?   A.関東です。   もし、万が一、この彼があの長塚淳くんだとしたら?  高校卒業以来一度も会わず、そもそも連絡先も知らない元同級生と地元から快速電車で二時間以上離れた都内で再会……ドラマにあるような街中のカフェや仕事の取引先として偶然であればロマンチックかもしれないけれど自ら選んだ風俗店で、なんてこれ以上ない最悪のシナリオだ。  妄想だけがどんどん膨らんで、胃の奥がひんやりと冷えていく感覚がした。やっぱりやめようか、そうアプリを閉じようとした瞬間、母の声が蘇る。 『美香が心配なのよ。もう三十三になるじゃないの』  ぶわっと全身に鳥肌が立った。  アルコールがつんっと鼻の奥に抜けて気持ちが悪い。三十三にもなって、起こってもいないことで不安になり決断を鈍らせている自分が嫌になる。ベッドに座ると、ティッシュで包んでいたアダルトグッズが床に落ちた。  私がこんなことで悩んでいる間にも、母は愛犬を亡くしたかわいそうな恋人の昌義くんを慰めているのかもしれない。
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