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初めまして、お初にお目にかかります。わたくしは名乗るほどもないしがない男。お国のために身を賭す特高でございます。
特高とは特別高等警察であり、我が祖国のために害をなす内側からの癌を駆逐する役目を賜っております。
相対する者は大逆罪に当たる者たちとはいえど、だからこそそれなりの信念を持ち合わせた厄介な人間がほとんどでございます。それこそ、己の命を賭けてそちらもそちらでこの国のためを思い刀を抜くのでしょう。
そのため、我々の仕事が穏便に済むことの方が少ないのです。大抵が刀傷沙汰になって、流血沙汰になって、死傷者が出ることが当たり前。それも致し方なしと、毎日の業務に励んでおりました。
けれど、いくらお国のためといってもそんな惨憺な日々を過ごしていれば精神は磨耗していくもの。昨日共にいたものの首が翌日には飛んでいたなんて、日常茶飯事でございました。己の使命の重荷に耐えきれずに自刃を選んだ者もいました。
そんな友人たち、上官たちを散々見て参りました。わたくしもそんな者たちと、中身は何ら変わりません。何せしがないただの男です。豪胆で強靭な精神などはなから持ち合わせてはおりません。
わたくしもそろそろ、かの友人らの後を追うものだとそう思っていました。けれど、そんなわたくしを気にかけてくださる方がいらっしゃったのです。
尊いお方なために名前を呼ぶことは憚られますが、お嬢さんとお呼びしております。
その方は、見回りの最中に亡き友人を思って池の前で呆然としていた私を見て労いの声をかけてくださいました。
初対面のはずであるにも関わらず、何と懐の深い方でしょう。その瑞々しい声にどれだけわたくしが救われたことか。
腰まである手入れされた艶やかな黒髪にきちんとした装いから、出自のちゃんとした方であると一目でわかりました。
しかし、わたくしは人目を盗んでその方との逢瀬を重ねました。
そして、此度ようやくそのお嬢さんと共に暮らすまでに至ったのでございます。これほど幸せなことはございません。何という果報者でしょう。
お嬢さんは、高貴な家の出でいらっしゃるからか、中々に手のかかる高値の花でいらっしゃいました。しかしそれも、わたくしから見れば可愛らしいわがまま。全て叶えて差し上げたい一心でした。
あそこの店の装飾品が欲しい、地方の名産の織物が欲しい、などさまざまなことをわたくしに申しつけられました。
もちろん全て叶えて差し上げましたとも。ただ、たった一つどうしても私には叶えて差し上げられないお願いがございましたが、それは追々解決致しましょう。
そして、此度のお嬢さんからのお願いはある洋菓子が食べたいというものでした。卵と砂糖と牛乳を溶かし混ぜ焼き蒸したものに、これまた砂糖で甘く焦がしたカラメルをかけて食べるのだそう。わたくしには馴染みのないものではございますが、お嬢さんにしてみれば家でも食べたことのある親しみ深いものだそうで。何でもとあるミルクホールのその洋菓子がそれはそれはお好きだとか。
現状、お嬢さんは大変体が弱くていらっしゃいます。そのミルクホールにお連れすることは叶いませんが、それに近しいものをご用意すると約束いたしました。
しかし、わたくしは洋菓子なんて作ったことも食したこともございません。材料も当然ここにはございません。
ならば、わたくしが直接そのミルクホールに赴いて作り方を教わってくれば良いのではないかと思いつきました。お嬢さんの口に入るものは全て私が手ずから作りたいのです。高貴なお嬢さんのためであるならば、そこの菓子職人も手を貸してくださるかもしれません。
しかし現在我々は帝都からはだいぶ離れた特殊な土地に屋敷を構えております。当然帝都まで行くには遠出となるでしょう。数日はかかってしまう。
今に始まったことではございませんが、お嬢さんはこうして叶えることが中々に難しく時間がかかるお願いをわたくしに申しつけることが好きなのです。私を困らせて喜んでしまうようなお優しくとも魔性の方なのです。まるでかぐや姫のよう。
けれど、もちろんお嬢さんのお願いは叶えてみせますとも。
そしてわたくしは洋菓子の材料の調達と、そのレシピを調べるために帝都へと向かいました。
少々問題はありましたが、無事に洋菓子の材料を手に入れて数日ぶりに帰宅したわたくしは、真っ先にお嬢さんの元へと赴きました。予定よりも早く帰って来れたことに、わたくしは上機嫌でした。
「ああ、やはり。困った御方だ」
しかし屋敷へと戻るとお嬢さんはお部屋にはいらっしゃいませんでした。それどころか、屋敷の中にすらいらっしゃらないようでした。
度々行われるこのかくれんぼもお嬢さんの好むものでした。それに毎回付き合わされるのも可愛らしいですが、御身を心配するこちらの身にもなっていただきたい。
体が弱い彼女のことです。そう遠くには行けるはずなどございません。
わたくしはお嬢さんが向かったと思われる場所へと向かいました。おそらく、この屋敷の裏の山にある鳥居に向かったのでしょう。お嬢さんはかくれんぼの最後には必ずそこへと向かうのです。お気に入りの場所なのでしょう。確かに、山の頂上付近にある鳥居からの霞がかった朧月は絶景でございます。風流な方です。流石、高貴な出の方はこうしたものも自然と身につけているのでしょう。
「お嬢さん。ただいま戻りました。もう帰りましょう。お体に障ります」
古ぼけた神社の大きな祠の前にお嬢さんは座り込んでおりました。やはり体力が限界なのでしょう。お辛いでしょうに。今宵の月見はよしておきましょう。もう少しで鳥居まで行けたというのに、残念でしたね。
けれど、屋敷まではわたくしがお連れいたします。もう大丈夫です。ついでにこの何度目かわからないかくれんぼも終わりにいたしましょう。
またも、わたくしの勝ちですね。
お嬢さんをお部屋にお送りしてから、私は洋菓子の製作に取り掛かりました。材料は用意いたしましたが、作り方は結局分からずじまいだったのです。料理人が案外非協力的で、中々口を割ってはくださいませんでした。しかし、店の大事なレシピを教えてくれというのも土台無理な話でしょう。失礼なのはわたくしの方だったのかもしれません。反省しなければ。
しかし、分からなくてもお嬢さんのお願いは叶えなくてはなりません。まずは卵と牛乳と、と材料を溶かし混ぜます。隠し味も忘れずに。そして、焼き蒸すというのがよくわかりませんが固めればよろしいのでしょうか。でしたら冷やし固めてみましょう。
おや、分からないなりにも案外形になるものですね。これならばお嬢さんも許してくださるでしょうか。
お嬢さんのお部屋へと向かうと、お嬢さんは窓に足をかけて外へと出かけようとしていました。またですか。ここは2階なのに。私が目を離すとすぐこうだ。急いで後ろから抱き込み、窓から引き離します。お嬢さんの纏う洋菓子より甘い香りに目眩がしました。
「お嬢さん、そんなことをしては危ないですよ。貴女のご要望通り、洋菓子を作ってまいりました。是非食べてくださいませ。貴女のために用意したのですから」
「離して!くそ、こんな早く帰ってくるなんて思わなかったのに!化物め!」
ああ、なんと酷いことを。貴女様が寂しく感じることのないようにと急いで帰ってきたというのに。それに、伴侶に対してその言葉遣いは何でしょう。いただけませんね。高貴な方だというのに、ここにきてからこのように行儀を崩されることが多くなりました。まずはいただきます、でしょう?
これは是非ともわたくしが手ずから用意した洋菓子を食べていただかなくては、これまでの苦労が泡というものです。
「嫌よ!誰が食べるか、そんなもの!赤くてぐちゃぐちゃになってて、絶対に食べれるものじゃないじゃない!それにこの酷い血の匂いは何!」
隠し味を少々入れすぎてしまったでしょうか。何せ、作り方がわからなかったのです。料理人が作り方を中々教えてくださらなかったものですから、ならばその腕の良い料理人の腕を材料にすれば良いと思って持ってきたのですが。大丈夫ですよ、ちゃんと小さなお嬢さんの口でも食べられるよう細かく刻みましたから。
さあ、お食べください。
早く。
「やめて、嫌!離して!こんなところにいたくない!こんなもの食べたくない!」
「往生際の悪いお方だ」
わたくしはひと匙、血で真っ赤にどろりと染まったそれを掬うと口に含み、そのままお嬢さんに口付けました。
お嬢さんはしばらくじたばたと手足をもがかせてたり爪を立てたりと子猫のように抵抗していましたが、抑え込み続けると息が続かなくなったのかぴたりと動かなくなりました。そしてその小さな口に舌をねじ込むとごくりと嚥下の音がきこえました。
口の中に血とお嬢さんの唾液が混ざり甘く香ります。ああ、貴女はどこも甘いのですね。
お嬢さんは見れば目は酸欠で虚で頬は上気して実に美味しそうでした。
「ああ、ああ。ようやく。ようやく食べてくださいましたね。これで貴女はこちら側だ」
はだけた着物からのぞく花弁のような跡が見え、無意識に笑みを深めてしまいます。これを付けたのはわたくしで、これを見ることができるのもわたくしだけという優越感に悦に入ってしまいそう。いやだいやだと言いながらも、お嬢さんはここにつれてきた時点でわたくしを拒むことなどできないのです。
胸元の白い肌に舌を這わせれば、どくんどくんとお嬢さんの鼓動を感じ、その奥の血液をめぐらす臓器である心臓が目に浮かび思わずのどが鳴りました。いつかお嬢さんの心臓にも歯を立ててむしゃぶりつきたいものです。いつになったら許して下さるでしょう。今から楽しみでございます。
わたくしの舌に感じ入って悩ましい声で息を吐くお嬢さんにくらくらして、今すぐ食べてしまいそう。何度も躾けた甲斐がありますが我慢しなければ。
しかしようやく反抗期の彼女と通じ合えましたが、何度も何度もわたくしから逃げ出そうとするのは困ったものです。
頑固なお嬢さんのこと、これからも隙あればわたくしから、ここから逃げ出そうとするのでしょう。
そんなことは許さない。
「そういえば、今回逃げ出しだ分の仕置きがまだでしたね。前回、前々回は臓腑を頂きましたが、今回はその右足をもらいましょうか」
「嫌よ!」
いきなり突き飛ばされたので、流石のわたくしも驚きました。ごとりと、つい頭を落としてしまいました。それを見たお嬢さんが悲鳴をあげます。いい加減これにも慣れていただきたい。
わたくしの首はとうに国に捧げて飛んだもの。後の全ては貴女に捧げるのですから。
「悪いのは、貴女ですよ」
全て貴女が悪い。あの池で、自分も友人も死んだことを受け入れられずに、水面に映らない自身を見ていたわたくしに声をかけたのは貴女でしょうに。
もがく彼女はすでに息が上がっていました。当然でしょう。何せ臓器の一つ二つ、なくなっているのですから。それでもこうして動けるのはわたくしとこの屋敷にいるからなのだと、いい加減わかっていただきたい。
貴女はもうここからは生きては帰れない。あの鳥居にたどり着けて現世に帰ったところで生きれない。
では、何度も逃げ出す悪い足をもらい受けましょうか。
「お願い、やめて……」
そんなに熱烈に見られてしまうと照れてしまいますね。求められるのは嬉しいことです。特高であった時にはついぞ経験できなかった眼差しに、つい興奮してしまいそう。
けれど、いつまでも焦らすのも貴女に毒でしょう。
「では、」
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