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第3章 憑依と憑代
気が付いた時、瑠々は自分の部屋にいた。嫌な気分だった。と言うより吐き気さえしたのだ。
すると部屋に人がいることに気が付いた。
髪の長い女だった。
「あなたは誰?」
ぎょっとしながらも瑠々は静かに問い掛けた。
「私は神山美寿々と言います」
女は丁寧に名乗った。
「ど、どうしてわたしの部屋にいるんですか?」
今度は少し不満を滲ませながら、それでも丁寧に瑠々が見知らぬ女に尋ねた。
「覚えてないんですか? 私があなたをここまで運んだんですが・・・」
神山が言った。
「わたしを運んだ?」
「ええ」
普通に答える女。瑠々は始めて女の顔をまともに見た。若そうな女だ。しかも結構な美人である。
「いや、ごめんなさい。何のことか分からなくて」
瑠々は頭が混乱していた。突然自宅の部屋で気が付いて、今までのことを覚えていない。ただ、とっても嫌な感じだったことは確かだった。
「瑠々さんは人でありながら他人に憑依出来るんですね? 凄い能力だわ」
「なんで!?」
いきなり核心を突かれて瑠々は慌てた。そして言葉が出てこない。
「ああ。お父さんに頼まれたんですよ」
神山が言うことに益々混乱する瑠々。
「だって。父はもう・・・」
瑠々がようやく一言絞り出すと、神山はゆっくりと話し出した。
「あなたは面高チヨというお婆さんに憑依した・・・」
そこまで聞いて瑠々は思い出した。覚えていたくもない出来事だった。だから忘れていたのかも知れない。
「そうだった・・・」
瑠々は頭を抱えるように俯く。何も言わない神山を上目遣いに見ると、
「チヨさんはどうなったの?」
と震える声で尋ねた。
「幸い軽症で済みました。ですが・・・、ご主人の俊輔さんは」
神山が続けた。
「あのお爺さんね・・・」
「はい。思惑通り亡くなりました。トラックと正面衝突ですからね」
瑠々はゾッとした様子を見せたが、すぐに神山が瑠々を一突きする。
「復讐は果たされたわけで」
「ひっ!」
瑠々は息を飲む。何でこの人はそんなことを知っているのか。そう言えばお父さんに頼まれたと言っていたが、まさか。そんなはずはなかった。
「お父さんの仇ですからね」
「わたしは、わたしは、別に・・・」
「分かってます。あの男に、お父さんに頼まれたんですよね。俺を殺して、瑠々をこんな目に遭わせたあのクソジジイを殺してやりたい、ですよね」
瑠々は息苦しくなった。はあはあと肩で息をする。
「お辛いところ恐縮ですが、もうひとつ教えて差し上げるとですね、あのクルマの後部席にいた娘さんも亡くなりました」
瑠々は思わず言葉にならない声を上げてしまった。
「・・・! あの人、息子さんがいて・・・」
「そうなんですね」
瑠々は無関係の人まで死なせてしまった。自責の念に震えが来た。
「ああ。何てこと・・・」
「でも、そこもお父様の狙い通りなんでは?」
「狙い通りって、そんな。お父さんはあのお爺さんが憎いと。あれで何の罪にもなっていないのが許せないって」
「それで殺したんですか、ふたりも」
「え!?」
「欺されたんですよ。そう言う男ですよ、あの男は。藤川傑、最悪の男です」
神山はそう言った。やはり父のことをよく知っているのだろう。
「あの時、あの女性、石井スミ子さんは息子さんとスマホで話してた。わたしが誘導してお爺さんは逆走を始めて、ぶつかった瞬間スマホが宙に跳んだのよ。電話の向こうから息子さんの、お母さん、お母さんて呼ぶ声が聞こえた・・・」
瑠々は両腕で身体を抱え込んだ。寒気がする。神山は部屋にあった水差しからコップに水を注ぐ。それを黙って瑠々に差し出した。
「ありが、とう」
水を飲み干すと瑠々は少し落ち着きを取り戻した。
「それで・・・。わたしを運んだって、どういうこと?」
瑠々が最初の疑問を神山にぶつけた。
「3日前、まず龍山会翠明病院のロビーからあなたを回収しました」
神山が翠明病院の名を挙げた。
「そうだ。チヨさんに会って握手したタイミングでわたしは憑依したんだ」
「まあ、この時の回収は力業だったんですが。チヨさんに入り込んで空になったあなたの身体を車椅子で私の車まで運んで、私の家に連れて行きました。空っぽになったあなたの身体は私のベッドで寝ていたわけです」
「でもここは・・・」
「今朝、ここへ運び込んだので。苦労しましたよ、2階まで運ぶのは。足怪我してるかも知れませんね」
神山が言ったので瑠々は慌てて足を見た。小さな掠り傷がひとつあった。それだけだった。
「大丈夫よ。気を付けてやったから」
神山が付け加えた。
「そ、それでわたしはどうやってここへ」
瑠々が話の続きを催促した。自分はいったいどうやって事故の車から、面高チヨから脱出したのだろうか。
「面高チヨさんが収容された救急病院であなたを私の中に取り込んで、電車に乗って帰って来ました」
神山美寿々の言ったことは衝撃だった。意味が分からない。
「私は憑代です」
神山が言った。
「よりしろ?」
瑠々が鸚鵡返しにする。
「元々そういう体質のようです」
「あの。憑代って私よく分からないんですが」
瑠々が言うと、神山はちょっと面倒くさそうな顔をして説明した。
「簡単に言っちゃうと、異界のものが現世に姿を現すために使う乗り物・・・みたいなもんですかね」
「?」
「分かりません?」
「なんとなく・・・」
「神社なんかにはよく大木があって御神木とかになってるじゃないですか。その木には神様が宿っているわけですね。この場合の樹木は憑代と言うわけです」
「ああ、なるほど」
「憑代は植物や岩石などが多いです。人の文明が栄えると人造物も憑代になります。仏像とか位牌なんかもそうです」
神山は子供に勉強を教えるように瑠々に話して聞かせた。
その言い方に瑠々はちょっとムッとしてこの授業を遮る。
「あなた自身が憑代だってことですか?」
「私は小さな頃から色々な物に取り憑かれ易いんですよ。異界のものが寄って来る。そういう特異体質です」
それを聞いて瑠々はあらためて神山美寿々の顔をまじまじと見詰めた。
「何ですか?」
神山が視線を逸らす。
「あの、やっぱり可愛いなと思って。それに若い。おいくつなんですか?」
瑠々が珍しく相手のことを色々尋ねた。
「19歳です」
「わあ、2つ違いなんだ」
だけど神山が急に険しい顔になって、瑠々を見据えた。
「緩いこと言ってんじゃねえよ」
「え?」
ドキっとする瑠々。
「私はね、あんたの父親の愛人だったの」
神山の告白に瑠々は言葉を失う。
「あいじん?」
「私はね、アイドルやってた。小さな頃からの夢でね、なんとか芸能界に入ったんだ。でもなかなか仕事はなくて。それでも夢は一杯だったよ。ある時CMに出られることになって。チャンスだった」
神山が何の話をし始めたのか、瑠々には理解出来なかった。ただ、夢見る少女の話だと言うことは分かった。
「その時始めて藤川傑に会ったんだ。この男はCM制作のキーマンで、絶大な力を持っていた」
瑠々も父が広告代理店勤務だということは知っていた。ただ具体的な仕事の内容までは分からない。
「私はCMに出るためにこの男の愛人になったんだ。15歳だった」
瑠々は息を飲んだ。15歳の愛人? 子供じゃないか。それってどういうこと? 疑問が湧いた。
「愛人だよ、それもあなたには分からない? なら教えてあげるね。例えば、いっしょにホテルの部屋に行って、お風呂に入ってね、藤川傑は私の身体中を嘗め回してさ。それからベッドへ行くとね・・・今度は私が彼のお・・・」
「やめて! やめてちょうだい!」
瑠々が叫ぶ。
「15歳の高校1年で私はそれをやったんだ。おかげでCMは決まった。それから後もいくつか仕事が来た。でも、これって枕営業ってヤツだね。私は人気が出る前にやさぐれちゃった・・・」
神山が淋しそうに言葉を紡いだ。
「で、今度は藤川のクライアントへの接待要員にされた。クライアントの偉いさんとかさ。藤川の命令で行かされるの。もちろんどういう接待かは言わなくても分かるよね」
俄に信じがたい。それが瑠々の感想だった。父がそんなことを・・・嘘だと思う。だけど・・・、父が少女好きなことは何となく分かっていた。
「私は15歳から16歳に掛けて藤川傑の奴隷だったのよ。言われたことは何でもやる。あの男への奉仕でも、あの男にとって大事な人への生贄役でも。ライバル社起用のタレントにスキャンダルを仕掛けたり、そういうこともね」
「そんな馬鹿な・・・」
瑠々はそう言ってみた。だが、父への疑惑も広がり出す。
「まあ、昔のことはいいわ。信じようと信じまいとあなたの勝手でさ。でも、あなたにも大いに関係あるのがこれからする話・・・」
神山は意味深長に言葉を選んだ。
「3年前、私の耳にも藤川傑が死んだことが伝わって来た。心底ホッとした。これで自由になれる」
神山美寿々はここからはゆっくりとしゃべった。まるで話すことに恐れを抱くように。
実際神山は部屋の中を見廻して何もいないことを確かめてから話を続けた。
「ところが、先月私の前に藤川傑が現れた」
「現れた?」
瑠々が聞き返す。
「あなたの元にはもっと早くから来てたのよね、お父さんの亡霊」
瑠々は黙って頷いた。
「私はもちろんあなたたちのことなど知らなかった。3年も経っていたし、正直あの男のことは忘れてたのよね。ところが私の前に現れたの・・・」
「それはどうして・・・」
「私もそう思ったわよ。未だに私に未練でもってね。でも違った。ちょっと手伝えって」
「手伝え?」
「あなたのことを手伝ってくれって。それであなたのことを説明されたの」
「どうして断らなかったの? 相手は幽霊でしょ。断ったって何も出来やしないじゃないの」
瑠々は普通に疑問をぶつける。
「そうなんだけど・・・。あの男に言われるとだめなのよ。それに俺はもうすぐ力を手に入れる。そしたらお前のこと呪い殺してやるとか脅すの。呪われるのは嫌だし、それで・・・」
「それでわたしを運ぶ役を。じゃあ、お父さんはあなたの能力のこと知ってるのね」
「たぶんね・・・」
「もうお父さんには関わらない方がいいと思う」
「そうしたいわ。瑠々さん」
美寿々が瑠々に本心で答えた。
美寿々に名前を呼ばれて、瑠々はこの身体が自分のではないと思い当たる。これは妹璃々の身体なのだ。乱暴に扱ってはいけない。
そういう意味では事故を起こす車に乗ったこと自体、軽率な行為だった。
神山美寿々、悪い人じゃなさそうだ。それで瑠々はもうひとつの罪を告白した。
「じゃあ、これはあなたじゃないの?」
神山が瑠々の姿をあらためて眺める。
「今も憑依してるってこと?」
瑠々が頷く。
「ええ?! なら本当の瑠々さんはどこに?」
「本当のわたしは病院にいます。翠明病院の病室で今も昏睡状態です。そしてその身体の中に妹璃々がいるの!」
「そんな!?」
「この身体はわたしの妹璃々なんです。まあ双子だから似てはいますけどね。憑依じゃなくて入れ替わり。身体を乗っ取ったんです」
「ええ!? それって・・・」
神山が言い難そうにした。
「わたしが望んだことです。妹が憎かった。だってそうでしょ? 双子の姉妹でどっちが植物人間になるかなんて半々の確率だったんだから。わたしが楽しく家で過ごしていたってよかったんだから。そしたら幽霊になった父が現れて・・・」
今、瑠々は色々と父が吹き込んだんだと分かってきた。父は必ずしも清廉潔白な人ではなかったということだ。
その前提で考えれば、なんでわたしに憑依の術を教えたのか、そして璃々への憎悪を掻き立てたのか、それが分かる気がする。
幽霊になった父は何を企んでいる?
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