第5章 入れ替わり・瑠々

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第5章 入れ替わり・瑠々

 歳月が流れても、瑠々の話し相手は父の幽霊だけだった。 「瑠々、やっと分かったぞ」  突然現れた父が息せき切って話し出した。 「何が」  瑠々がぶっきらぼうに答える。だいたい父は自分のどこにいるのだろうか。まさか身体の中に入ってるわけでは? そんなの気持ち悪い。  そんな瑠々の気持ちは無視され、父は話を始めた。 「大王の側近にさ、聞いたんだけど」 「大王って誰よ」 「閻魔大王さ」 「本当にいるんだ、閻魔大王って」 「ああ、怖いお方さ」 「そうなの。で、何なの」 「なんか機嫌悪いな」 「あの看護師。呪い殺してやる」 「おいおい。瑠々はそんなこと言っちゃダメだよ」 「反応できないからって。わたしは植物人間じゃない! 花も恥じらう17歳の乙女なのよ」 「分かった。代わりに俺が呪っておいてやる」 「出来るの?」 「一応幽霊だからな」 「まあ、いいわよ。それで、何が分かったの?」  すると父が勝ち誇ったように言った。 「憑依、さ。」 「ひょうい?」  瑠々が聞き返す。 「人の精神を乗っ取る術だ」 「乗っ取る?」 「幽霊の中にも出来るヤツはいるな。だが得意なのは妖怪とか魔物連中だ」  父は真面目に説明を始めた。 「妖怪? 魔物? 何それ」  瑠々は呆れたように言った。 「狐の化け物なんか、有名だろ」 「狐の化け物?」 「九尾の狐とかだよ。狐憑(きつねつ)き、知らないか?」 「お父さん、そんなこと全く信じてなかったじゃない。テレビでそういうの見てても、あり得ないっていつも言ってた」 すると父は困ったような声で答えた。 「あの頃は何も見えてなかった。いるんだよ、そういうの。自分がこうして幽霊になって初めて分かったよ」 「はあ。そうなの」  瑠々はあくまで信じない。 「とにかくだな。お前も憑依すれば身体から外へ出られる」 「出られる?」 「そうだ。出たいんだろ、そこから」 「でも、わたしの身体は・・・」 「戻ればいいんだよ、すぐにさ。瑠々の身体はずっとここにあるんだから。問題ない」 父は自信満々だ。  その父の説明によれば、人の身体に乗り移る為にいちばんやっかいなのが、心と身体の結びつきなのだそうだ。  だが、自分の身体がコントロールできない状態、今の瑠々の状態はむしろ好都合であると。後は念じるだけで・・・。  瑠々にそれだけ伝えると父はすぐにいなくなってしまった。何やら忙しいらしい。 「お父さんて、いつも小難しいことを言ってた気がするけど。根はああいうタイプだったか・・・?」  そう呟きながらも憑依の術は魅力的だった。そして自分は願ってもない状態だという。  瑠々は父から聞いたことを試してみたいと思った。だけど戻れなくなるのが怖くて、どうしても実行に移すことは出来なかった。  そしてまた月日が流れた。今や瑠々のストレスも限界だった。  ところが、絶好の機会が巡って来た。璃々が来るのだ。 「瑠々、千載一遇のチャンスだ」  父は突然現れると瑠々に言った。 「なに?」  不機嫌なのか瑠々は相変わらずぶっきらぼうに返事をする。 「もうすぐここに璃々が来る」 「璃々が?」 「ああ、もちろん母親も一緒だ」 「じゃあ、無理よ。お母さんに見られたくない」  瑠々が()ねたように言った。 「だがな、こんなチャンスは二度とないぞ。確かに他人だと憑依するにしても不安はあるだろう。うまくその人の精神を押さえ込むことが出来るか一抹の不安は残る」 「そうよ。その人の精神がやけに強かったり、反対に非常に脆かったりしたら・・・どうなるの?」 「ううん。その場合乗っ取れずに自分も帰れなくなるか、逆に脆ければそいつの人格を壊しちまうかも知れんな」 「そんなのやだよ」 「でもなあ。もうこの牢獄に縛り付けられているのも限界なんだろ? 相手が双子の妹なら成功の確率は高いぞ」 「お母さんの目の前で璃々に憑依するなんて出来ない」 「よし分かった。お母さんは俺が何とかしよう。うまく席を外させる。だから・・・」  父はどうしても瑠々にやらせたいようだ。思惑があるのだろう。だが瑠々はそんなこととは思いも寄らない。 「璃々に成り代わってお前がお母さんと病院を出ていく。それで少しの間だけでもお母さんと楽しく暮らせたら・・・璃々だって許してくれるさ」  父の説得は巧みだった。だんだん瑠々の気持ちが傾いていく。 「それに。もしかして璃々の精神とうまく折り合いが付くなら、しばらく同居してもいいんじゃないか?」 父が言った。 「同居する? そんなことが出来るの?」 瑠々が聞き返した。 「普通は憑依された人格は押さえ込まれて眠った状態になる。でも力加減で目覚めさせることも可能だ。逆に自分が眠ったようになって相手の自由にさせることも出来る。要は折り合いが付くかどうかだ。璃々となら話し合いは可能じゃないのか?」 「うん・・・」  瑠々が頷いた。 「璃々は双子の妹だ。お前のことを不憫に思ってくれるだろう。そうしたら交互に五中とセント・ルチアに代わり番こに行くことだって出来るかも・・・」  父はやっぱり口がうまいなあと瑠々は感心した。そして瑠々は璃々に憑依することを決めた。 「お父さん、わたしたちはもう中学生じゃないよ。璃々は県立の高校でしょ。私は高校には行っていない・・・」 「う。そうだった・・・」  だが、父の論理破綻を差し置いても、今日しかチャンスはないと瑠々は思った。 「やってみる・・・」  とうとう瑠々はそう言ったのだ。藤川傑はニヤリと笑った。もちろん瑠々はそんなことには気が付かない。  病室の前の廊下。母が看護師と話をしている。やがて、母と璃々が病室に入って来るのが分かった。  相変わらず璃々は瑠々への興味は薄いようだ。憎らしいヤツと瑠々は思う。  それでもなお逡巡する瑠々だったが、父の声が盛んに煽る。  意志は固まっていた。この理不尽な境遇から抜け出したい。少しくらいいいじゃないか。確率の問題だったのだから。  母が向日葵を買ってくると言い出した。そして病室を出て行く、璃々ひとりを残して。  よし、やるしかない。瑠々は思った。もう邪悪な声は聞こえてこなかった。  母は出ていった。父が母に何かしてくれたんだろう。  だが、璃々はなかなか近寄って来なかった。離れた場所に座って本を読んでいるようだ。  そこで瑠々は璃々に心の中で呼びかけた。精神を集中させ声にならない声を妹に届けようとした。  すると璃々が反応したのだ。広げていた本を椅子に置くと璃々はベッドへと近づいて来る。もう少しだ。 「璃々・・・璃々・・・」  瑠々は懸命に妹を呼んだ。声など出やしない。璃々の心の中に瑠々は一心に呼びかけた。  ベッド際に璃々がいる。瑠々は最近少しだけ感覚を取り戻した左手の人差し指を持ち上げた。わずかな動きだった。気が付かないかも知れない。  だが、妹はその指を握ったのだ。右手で人差し指を握ると左手で包み込むように覆った。 「今だ!」  その瞬間を待っていた。瑠々は精神を集中させ、一気に璃々の中へ入り込んだ。璃々は意識を失う。身体が倒れそうになる。  だが直ぐに体勢を立て直した。両足でしっかり身体を支えた。それは3年ぶりに立ち上がった瑠々の姿だった。  瑠々は璃々の身体の中に自分も同居して共同で使う、そんなつもりだ。  但し主導権は自分にある。それが瑠々の憑依のイメージである。  ところが、予想外のことが起こった。瑠々が璃々の身体に入り込むと同時に璃々が自分の身体を出てベッドで眠る瑠々の身体の中に入ってしまったのである。  瑠々は混乱したが、どうにも出来なかった。こうなっては仕方がない。  そして確かに瑠々は昂揚していた。自分の足で立っている。いや自分のじゃないけど。それでも自分の足という感覚はある。  たかだか1メートルちょっとの高さなのに、俯瞰して見る景色は新鮮だった。 「病室ってこうなってたんだ・・・」  瑠々はあらためて驚きを感じた。  そして母が帰って来た。カーネーションの花束を抱えて。 「ああ、お母さん」  母の顔はこの3年の間見たくて仕方なかった。ようやく見ることが出来た。  その時、璃々が意識を取り戻すのを感じた。瑠々にも人の意識とか人格とかが見えているわけではない。感覚の問題として璃々の意識を感じたということか。  やがて璃々に入れ替わった瑠々が母と病室を出て行く。廊下に出た瑠々は、 「ちょっと待ってて」  母に言うと、急いで病室に戻った。つかつかと寝ている自分の身体のそばに寄る。 「璃々ちゃん、この身体借りるわよ。悪く思わないでね。じゃあね」  璃々の声は聞こえなかったが、璃々の混乱した感情は伝わってきた。瑠々はそれを無視して病室を出た。
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