第6章 入れ替わり・璃々

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第6章 入れ替わり・璃々

 何が起こったのか分からなかった。いきなり璃々(りり)は真っ暗などこかへ放り込まれてしまった。  気絶していたみたいだ。目が覚めるとそこは光も音もない世界。  風も吹いていない。でもそこは暖かだった。 「どこだ? ここは」  璃々は自問してみる。もちろん答えは出ない。ところが、どこかで話し声が聞こえた。 「誰かいる?」  璃々は目を凝らす。が、真っ暗で何も見えなかった。そして病院特有の消毒液の匂いが漂ってきた。 「ここは病院?」  そして今度ははっきりと声が聞こえた。 「お母さん・・・?」  母が話している。向日葵? やっぱり母の声だ。誰と話しているんだ?  璃々は耳を澄ましてみる。目で見えない以上、耳を使うしかない。匂いも分かるみたいだ。  璃々は愕然とした。母が話している相手、それは自分だったのだ。  次に来る時に持って来る向日葵をどこで買うかあたしに話している。  でもあたしはここにいる。どことも知れない暖かい場所に。 「何だ!? どういうことだ? お母さん! あたしはここだよ!」  璃々は声を限りに叫んだ。だけど声は全然響かない。どういうことだ?  「口がきけないのか・・・!?」  ようやく璃々にもこの環境について想像出来るようになってきた。  そして璃々は論理的に状況を分析し始める。  昔からこれが結構得意だった。物事を論理的に考えること。子供ながらにそれが好きだった。  なので、璃々は文学とか音楽とか情緒的なものが得意ではない。感情の問題や感性で考えるなんてことが得意ではなかった。 「だから、冷たいとか友達に言われたなあ」  璃々が独り言を呟く。その呟きすら外には届かなかった。 「だから、カナエがどんな気持ちでいるか、お前には分かんないのか!」  小学6年の時だったかテルに怒鳴られたことがあった。  親友カナエの祖母が行方知れずになってしまった。カナエの祖母は認知症を発症していて徘徊があった。ひとりで出掛けてしまったのだ。  カナエはお祖母ちゃん子で半ばパニックになっていた。それでやたらめったら走り廻っていた、家の近所を。  公園、商店街、中学校にも行ってみた。やはり幼馴染みのテルもカナエといっしょに走り回った。  だがお祖母ちゃんは見つからなかった。 「私、隣町へ行ってみる」  カナエはそう言ってバスに乗るべく調べだした。それを聞いた璃々はカナエに尋ねた。 「いなくなったのは何時くらい? 持ち物は何を? お金は持ってるの?」  カナエのお母さんが祖母のいないことに気が付いたのが午後4時過ぎ。カナエは3時半に昼寝をしている祖母を見ていた。  今は5時前だ。45分である。それで璃々はこう言ったのだ。 「むやみに歩き回っても見つからない。3時半までは家に居たのは間違いない。仮に3時40分に家を出たとしてまだ1時間5分しか経っていない」 「リリー、だからなんだって言うんだよ。交通事故かなんかに遭ってたらどうすんだよ」  テルが言ったが、それが更にカナエを不安にした。 「テルこそ、そんなこと言うな。カナエのお母さんが交番へ相談に行ってるんだから、何かあれば連絡があるはず。と言ってお祖母ちゃんの足で1時間では隣町まで歩いてはいけないでしょ。お金も持ってはいないみたいだし。そうなんでしょ、カナエ」  璃々はあくまで理路整然と状況を分析する。それがテルのしゃくに障ったのか、 「だから、カナエがどんな気持ちでいるか、お前には分かんないのか!」 そう怒鳴られたのだ。  結局カナエの祖母はカナエの家から1キロ程離れた神社にいた。神主さんに保護して貰っていたのだ。警察から連絡があった。  その後テルはリリーに頭を下げて謝った。 「だめだな、オレって。カナエと一緒になってバタバタするしか出来なくて。お前みたいに冷静に考えるってこと出来なくて」   それで、テルとももちろんカナエとも喧嘩別れすることもなく今でも親友でいられた。  璃々は直ぐにここが瑠々の身体の中ではないかと思い至る。 「そうだ、お姉ちゃんの手を握った時、あたし、くらっとして気を失ったんだ・・・」  そう思い付くと状況の説明が付く。だが驚くべき事実も出てきた。 「お姉ちゃんは既に目覚めていた?」  璃々はそう予測をしてみた。そして何らかの方法であたしと入れ替わったんだ・・・。 「いや、お姉ちゃんは関係ないかも知れない。何か別の要因で入れ替わり現象が起こったのかも・・・」  璃々は検証を試みた。まず自分の意志で何が出来るのかだ。それを試しているうちにここが姉瑠々の身体の中だという確信が持てた。  更に音が聞こえる、臭いがすることを考えると、やはり姉は表向き植物状態だが、実は既に覚醒していた可能性が高かった。 「いつから?」  そういう疑問が当然出て来る。 「まさか、3年前の事故の直後から?」  璃々は驚愕した。これは論理ではない。勘みたいなものだ。だが、当たっているような気がしてならない。 「まさか、まさか・・・。そんな!」  そこまで考えたところで、母の声がまた聞こえてきた。璃々が耳を澄ます。 「じゃあね、瑠々ちゃん。次は向日葵を持って来るからね。目を覚ましてね」  母はベッドの瑠々にそう言った。間違いない。声は自分に向けて発したものだ。  そして母と瑠々が病室を出て行く。 「お母さん! あたしはここ! あたしはここにいるの!」  璃々は叫んだ。しかし、去って行くふたりの足音が聞こえた。  ところが部屋を出た瑠々がひとりで病室に戻ってきた。足音が聞こえる。確かにあたしの足音だ。 「お姉ちゃん!」 「璃々ちゃん。この身体しばらく借りるね」  自分の声が聞こえた。いや違う。姉だ。瑠々が話している。 「やっぱり。お姉ちゃんがやったのか!」  璃々は出ない声で悪態をついた。 「璃々ちゃんばっかり、楽しく暮らしてて羨ましかった。お父さんは死んじゃったけど、お母さんとふたりで楽しかったでしょ? 今度はわたしの番。いいよね。悪く思わないで」  今や璃々になり変わった姉瑠々が言った。 「じゃあね」  最後にそう言うと姉は病室を出て行ってしまった。 「ちきしょう! ちきしょう!」  璃々は地団駄踏んで悔しがるがもちろん身体は1ミリも動かなかった。  こうして璃々は瑠々の身体の中に取り残されてしまった。  だが感情に流されてばかりいる璃々ではなかった。一夜明けると璃々は我が身の状態をもう一度確認して行く、ひとつひとつ。  手足は動かない。首も動かない。目が開かない。耳は機能していた。恐らく鼻も無事なのだろう。だが、口は開かなかったが、動かない訳ではなく喘いだりすれば口は開くようだ。  だけど声は出ない。声の出ない理由は気管切開の結果とも言えた。姉は人工呼吸器に繋がれている。と言うことは自発呼吸が出来ないことになる。  呼吸が出来ないのは何故だ。横隔膜が動いていない? 横隔膜を動かす筋肉が動かないからか? 延髄に何か障害がある?  「え? 何であたしはそんなことを知っているんだろう?」  璃々がはっとした。そんな知識は持っていないのに、なんで呼吸の仕組みが分かるんだろう?  璃々は混乱するが、観察と検証を続けていった。そして非常に興味深い事実を知った。 「え? どういうこと? これは・・・」  もちろん目で見ているわけではないのだろうが、それでも璃々には見えたのだ。 「これが身体の中?」  璃々には姉瑠々の身体の隅々までを見通すことが出来た。それも非常に詳細に。細胞レベルで身体の中が見えたのだ。  延髄の一部に炎症痕があり、それが横隔膜へ繋がる神経を断線させていた。  これが自発呼吸の出来ない理由だ。  視床下部はどこにも異常はなく、自律神経は順調に動いている。だから心臓や胃や腸などその他の臓器に問題はなかった。 「遺伝子まで見えるのか・・・」  ざっと見終わったところで、璃々は結論付けた。 「姉の身体の傷は全て完全に治っている。残るのは一部の神経の断裂や脳内シナプスの切断が理由で、一番大きな損傷は脊髄にある神経系の麻痺だ。麻痺の原因は視床や大脳皮質との連絡路が絶たれているため」  3日の後、璃々は姉瑠々の身体は充分に修復可能であると結論付けた。  そして既に多くの損傷部位は瑠々自身の再生能力によって再生が終わっており、完全に切断してしまったところだけが残っている状態だった。  それで璃々は姉の修復を始めることにした。  泣き言や恨み言を並べても仕方ない。姉の身体を治しさえすれば、交換を要求できるだろう。 「お姉ちゃんだって自分の身体の方がいいはずだ」
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