第7章 一卵性双生児

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第7章 一卵性双生児

 瑠々(るる)璃々(りり)の姉妹は一卵性双生児である。外見は非常によく似ている。身長は事故前の中2までは全く同じ。体重も恐らく500グラムと違わないだろう。  璃々は閉じ込められた姉の身体の修復を進めながら、双子の不思議を考えていた。  姉瑠々の首筋には2つ並んだ小さな黒子がある。自分にもほぼ同じ位置に2連の黒子があった。  一方で双子の鏡像と呼ばれる現象もいくつか覚えていた。1つしかないものはよく似ているが、1対のものは左右非対称に似るという特徴である。  例えば、姉も自分も臍の形が縦長で同じだ。これは母も同じである。完全に母方遺伝子を引き継いだと思われる。  だけど姉瑠々は左の乳首が陥没している。自分は右の乳首が陥没していた。  これは事故の後病室で清拭の様子を見てしまった時に知ったことだ。見てはいけないものだったかも知れないと璃々は思う。璃々はこの類似に恥ずかしくなった。  内臓諸器官や脳の構造まで似ているのかどうか、それは分からない。  今、姉の身体の隅々まで細胞レベル・遺伝子レベルで見ることが出来たが、肝心の自分の身体の中を知らないのだ。比較のしようがなかった。  だが、恐らくは似ているのではないかと思う。同じ遺伝子配列を多く持っているはずだからだ。  また科学や医学では説明できないことも双子の間には大いにあった。  璃々が小5か小6の時だ。図画工作でナイフで木を削っていた。つい手元が狂って璃々は指をざっくり切ってしまったことがあった。  姉瑠々は別の小学校に通っていたのだが、ほぼ同時刻、急に指に痛みを感じたと言う。  これは双子のテレパシーと呼ばれる現象だが、この手の逸話は世界中に存在する。  璃々が思い出した。 「まだ就学前だったかなあ。あたしは外で縄跳びをして遊んでいた。すると家の中で姉が激しく泣出す声を聞いた。その時あたしの左腕がカッと熱くなって驚いたことがあったな」  キッチンで瑠々がポットをひっくり返して熱湯を左腕に浴びてしまったのだ。  母は大慌てで瑠々を風呂場に連れて行き流れる水で冷やしていた。  それからラップフィルムを火傷した腕に巻いて病院へ行った。 「あの慌てふためきようったら。母は仕事の出来る営業ウーマンだけど、あの時はもう大騒ぎだった」  ラップフィルムを巻き付け終わると呼んでいたタクシーが来た。それに乗って連絡を入れていた救急病院へ向かったのだ。見事な段取りだと今なら思う。  後で聞いた話しでは、母は病院で瑠々のそばを片時も離れなかったそうだ。  璃々は今度は腹痛のことを思い出す。 「そうだ。小学校2年生だったか姉が酷い下痢と嘔吐を繰り返したことがあった。あの時は自分のお腹も痛くなったんだ。あれは何だったか・・・」  食中毒だった。黄色ブドウ球菌が発見された。母お手製のプリンが疑われた。  黄色ブドウ球菌は誰にでもいる常在菌で感染したのが瑠々だけだったことから食中毒の原因は特定はされなかった。これは後で父に聞いた話だ。  璃々はまた別の事件を思い出した。 「小学校3年生の時だ。瑠々が蜂に刺されてアナフィラキシー・ショックを起こしたことがあった。瑠々と母が参加して学校で遠足に行った時だ。違う学校に通うあたしは授業を受けていた。でも、あの時も自分の首の後ろ側辺りに鋭い痛みを感じた」  後で聞いたら瑠々が蜂に刺されたということだった。母は瑠々の首筋に唇を当て懸命に蜂毒を吸い出していたと聞いた。  そしてもうひとつ。 「そうだ、小学6年の時だ。夜、姉が急に高熱を出した。解熱剤を飲ませても熱は下がらず、救急車を呼んで大学病院の救急救命に行ったんだ。結局原因不明だったが、2日後には全快した。この時はあたしもお腹が痛くなったっけ」 とここまで考えてきて璃々は、 「?」 と思った。何か多くないか? 姉は病気や怪我が多かった。  なんでだ? あたしも風邪を引いたり、蕁麻疹(じんましん)が出たりっていうのはあったけど、特に病気や怪我が多いってことはなかった。  やっぱり双子ってだけで(くく)るのは良くないな、と璃々は思った。 「双子でも似ていないところは山ほどある」 双子だからと言ってコピー人間というわけでは断じてないのだ。  性格も姉と自分では全然違う。好みだって姉とは違う。  璃々が姉の修復作業を始めて五日目だった。母が見舞いに来た。  前と同じように瑠々の腕を取りマッサージをする。優しく頭を撫でる。 「ああ、瑠々ちゃんのお母さん。今日もですか?」  検温の看護師がやって来た。 「いつも娘がお世話になってます」  母はそう言うと頭を下げる。そして看護師に場所を空けた。  体温・血圧他一通りの検診を終えると看護師は出ていった。  璃々は瞼を開ける動眼神経の断裂箇所を修復していた。切れた神経に細胞分裂を促す。それは既に接していて後は繫げるだけだった。  これが繋がれば目を開けることが出来るはずだ。ただ、目を閉じるための顔面神経が複雑に損傷を受けていた。  これを治さないと空いた瞳が閉じられなくなってしまう。  目が開けば、母も希望を持つことが出来るだろう。  姉は3年の長きに渡ってコミュニケーションが取れない状態だった。イエスともノーとも意思を表明することが出来ない。  顔面神経の損傷の割には顔がきれいだ。傷はきれいに治っている。  だが、この損傷のために嫌そうな顔をする、嬉しそうな顔をする、そういうコミュニケーションも出来ていない。  だから姉がとっくに覚醒していても周囲は、医者さえも、気が付かない。  これがどんなに辛いことか。自分の立場になって璃々は初めて理解した。音と匂いは分かる。それだけでも様々な状況が予想できる。  つまり母が見舞いに来ていることは分かっても、何をして欲しいのか伝えることも出来ない。来てくれてありがとうの言葉だって言えないのだ。  瑠々にとって肉体は牢獄に等しかっただろう。  今も母は枕元で何かしてくれている。近くにいることは分かるが、声を掛けることが出来ない。コミュニケーションが取れないのだ。  母はこの日も1時間ほど病室にいて帰って行った。  その日の夜だった。璃々は腹が痛くなった。瑠々の身体が腹痛を起こしたということだ。 「なんでだろう・・・」  色々と探ってみるが原因が分からない。どこにも新たな問題は見つからなかった。  腹が痛いというのは曖昧なものだ。大腸が痛いのか、小腸が痛いのか、膵臓が痛い、胃が痛い、肝臓の痛みか? 痛いところは色々ある。そしてそれらは全て繋がっている。  必ずしも悪いところが痛くなっているとは限らない。  翌日、璃々はそれが急性腎不全であることを見つけた。腎臓の機能が低下している。それが痛みとなって反応していた。  だが、病的な原因はなかった。 「そうだな。3年もの間寝たきりになっていれば臓器が弱ることは大いにあるだろうな」  そう考えるのが精一杯だった。医者はこの腎機能低下を見つけることもできないだろう。  璃々が修復しなくては姉は自分の身体で歩くことは出来ない。  最初騙し討ちみたいな姉の入れ替わりには腹が立った。だけど姉の身体の修復を始めてみると、姉の辛さが身に染みたのだ。  小さな頃から怪我や病気で辛い目に遭うことの多かった瑠々。  そしてとどめがあの交通事故だ。不運だとしか言いようがない。  だから今は姉を恨んではいなかった。それよりも姉の身体の修復に充実感すら覚えていた。  その週末、あの婆さんが来た。加害者の連れ合いであり、同乗者だった人。 「ああ、今日は月命日のお参りか。毎月ご苦労さまだな」 璃々は思った。幸い今日は母は来ていない。  この老婆は母に罵られたことがあった。 「毎月毎月これ見よがしに。月命日のお参りじゃないんだよ!」 と母は老婆を罵倒していた。  璃々はこのお婆さんに同情したものだ。そうは言っても責任を感じて毎月お見舞いに来ている。花を持って。そこまで罵らなくても・・・。  老婆は瑠々の病室に入るとベッド脇に来た。持っていた花束を瑠々の身体の上にポンと放り投げる。  まだ目の見えない璃々にも察することが出来た。  何の真似だ? 璃々は不審に思う。他に誰もいない。今は老婆ひとりだ。 「あんたもとっとと死ねばいいのによお」  老婆が言った。はっきり璃々の耳に聞こえた。 「3年だよ。いつまでもいつまでも未練がましい」  何を言っているんだ? この婆ぁは。璃々が耳を疑うが、間違いなくここにいるのは瑠々をこんな目に遭わせた高齢ドライバーの妻で同乗者だった老婆だけだ。 「弁護士先生が心証良くなるから見舞いに行けって言うから来てたけど、まさか3年になるとはね。全く踏んだり蹴ったりだよ、こっちはさ。花代だってバカにならないんだからね」  老婆は眠ったままの瑠々を相手に悪態を突き続けた。 「だけどね。それももうお終いだ」  老婆は勝ち誇ったように言い出した。 「保険会社が支払いを終了するからね。もうあんたの面倒は見られないってよ。そりゃそうだ。奴等だって商売だからね。治る見込みのないヤツに延々と金を払い続けることは出来ないさ。これであんたも年貢の納め時だね」  どういうことだ? 保険会社? 支払い停止? 年貢の納め時って何だ?  璃々はこの老婆の言っていることが理解出来なかった。 「病院にはもう保険会社から通知が行ってるはずだからね。あんたの気の強い母親にも知らせが行ってるはずさ。へへ、いい気味だね」  そう言って老婆は笑い声を上げていた。 「なんだこの婆ぁ。ふ、ふざけるなよ」  思わず璃々は声を上げたが老婆には聞こえやしない。 「いい加減病院だってあんたを置いとくのは嫌なんだ。そのうち退去命令が出るだろうね。さて、あの母親に別の病院探して金を払い続けるなんて出来るんだろうかね。ひっひっひっひ!」  老婆が高笑いする。璃々ははらわたが煮えくり返るような気持ちになった。が、それをぶつける手立てがない。  これはストレスなんてものじゃなかった。 「このクソ婆ぁぶっ殺してやる!」 くらいのことは言ってやりたかった。  そこへ巡回の看護師と医学療法士が入って来た。清拭と拘縮(こうしゅく)防止のリハビリである。  老婆は慌てて花束を拾うとペコリと頭を下げた。そして瑠々に向かって微笑んだ。 「では、失礼しますね。早く元気になってください。申し訳けございませんでした」  老婆は花瓶に花を挿すと部屋を出て行った。 「何て婆ぁだ! いつかぶっ殺してやるからな」  璃々はそう思った。だが、看護師と療法士の話は更に衝撃だった。 「あのお婆さん、もう3年、毎月ずっと瑠々ちゃんのお見舞いに来てるのよ。瑠々ちゃんのお母さん、ほらちょっと気が強いとこあるじゃない。だから出会(でくわ)すと大変なんだけど、それでもめげずに。出来ないわよねえ」  すると事情通らしい療法士が新事実を暴露する。 「あのお婆さんのご主人、瑠々ちゃんをこんな目に遭わせた加害者ね。つい数日前にまた事故起こして、亡くなったのよ。同乗していた娘さんもだって」 「まだ運転してたの、その爺さん」 「でね、助手席にはお婆さん座ってたんだって。でもほとんど無傷で・・・」 「ええ!? じゃあ、ご主人と娘さん亡くしていながら、ここへお見舞いに?」 「どういう神経してるのかしらねえ」  ふたりの話を聞きながら璃々は何故か不安に駆られていた。話はショッキングだったが、それよりも何か分からない不安感が湧き上がってくる。 「家族が数日前事故で死んだ? なのに瑠々の所へ? どういうことだ? 保険金も打ち切られる今、来る意味ないだろう」  璃々は聞こえない声でそう呟いた。
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