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学校に行かなくなったのは二年前のゴールデンウイークを明けてから。四月はほぼ毎日研究室に行っていたのに、休みが明けてプツンとちぎれかけていた何かが崩れたのだ。辛い、苦しい。そんなのはずっと体のいたるところにはびこっていた。底知れぬ退屈さと常に感じる忙しさ。それも長らく変わらずのしかかっていた。だから最後の一線を、ちぎれた何かを、一体何がとどめを刺したのか、自分にはずっとわからない。祖父が死んだこと、趣味で書いていた小説が否定されたこと、大学に友人と言える関係性がないこと、研究テーマが自身で抱えられる範疇をこえていたこと…… 思い当たることがないわけではないし、そのすべてが凶器を形作ったと言ってもいいはずなのだが、どうも。どうも自分にはそれらが自身を壊したと認めるのが嫌で、もっと特別で憎むにふさわしい何かに襲われたんだと、そう思い込んでいるように感じる。
とにもかくにも自分は病気になった。これを病と言ってくれるのは専門医と一部の優しい人たちだけ。多くの人は気合いで治る、敗北の烙印と考えている。そんなふうに自分は疑っている。もちろん、自分が思っているよりも多くの人が優しい人に分類され、心からの共感はできなくとも、心を分けた思いやりをしてくれることはわかっている。けれど自分は疑わずにはいられないのだ。あるいは自分自身が自分を負けたと思っているから、これを病だと心の底から理解できないのかもしれないけれど。
のちに話すだろうけれど、自分が鬱で不眠症だと伝えると、自分もそうだった、知人がそうだったと教えてくれる人が何人かいた。先に言っておくが、自分は決して彼らを負けた人たちだなんて思っていない。そう自分が思っていないと信じたい。けれどやっぱり自分自身に同じように向き合うことはどうしてか氷を内側だけ溶かすように難儀であるのだ。
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