窓辺には天使が居る。

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───窓際には天使が居る。 目の前に居る彼はサラサラの白に近いプラチナブロンドの髪、それが地毛なのを証明する青空の色の瞳を縁取るまつ毛も金色で、眩しくて俺には天使みたいに見える。 そして、高い天井から垂れている白い薄い生地のカーテンが秋風になびき、金色の西日を零しながら、まるでそれは彼の聖衣か翼の旗めきに思えた。 ここは、都内の大学のキャンパス。 今受けているのは日本史の授業。俺と彼はここの生徒だった。広い教室には傾斜があり、低い位置にある教卓を俺は黒い眼鏡越しに見下ろしている。日本史は好きな科目だが、目が疲れたフリをして、恋人である翔をこっそり見つめる。 「いま、見てたでしょ?」 首を傾げて翔が聞いてくる。 「今日の夕飯何かなって」 「うそつき」 ちょっとだけ拗ねた風に翔が言った。そうなのだ、俺はポーカーフェイスで 考えが顔に出にくい人種なのに、翔は俺と付き合いが長いせいか野生動物みたいに感も鋭いところもあって必ず察知される。 「こっちみた時メガネ光ってたし」 「翔のまつ毛が日に透けて綺麗だなって思って」 「また詩人みたいに口説きだした?!」 「誰がポエマーだ。お前だってサラッとどきっとする事を言う癖に」 「学内でそういうのヤメてね?」 翔が身をかがめ声を小さくして囁く。 「翔が俺と暮らしてるのを友達に言ったんだから、 俺と翔が付き合ってるの皆知ってるよ」 翔は大胆なようで気にしいなので、学校で男同士のカップルとして振る舞うのは抵抗があるらしい、でも甘えん坊だから夜道は手を繋ぎたがる。 俺は翔の困った顔を見るのが好きなので、ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべて更にそう言った。 翔は昔からコミュ力お化けで、この大学の色んなグループLINEに入ってると聞く。2人の関係を察しているのは、想像より大人数なのではと俺は疑ってた。 翔は去年の春に子猫を拾ってペット禁のアパートを追い出されて、再会したばかりの俺のマンションに転がり込んだ。その時俺と翔は幼い頃から両片思いだと分かり、それから晴れて恋人同士になった。 「はっきり俺、皆に付き合ったって言ってないんだけどな」 「翔はわかりやすいんだよ、いつも人前で俺の話ばかりしてて、俺と住んだら毎日飲み会やバイトで深夜まで出歩いてたのに毎日部屋に直行だし、バイトも減らしただろ?」 「何のコトか…ワカリマセン…」 翔がわざとらしく肩をすくめてとぼけるが、オーバーサイズで片方肩からずり落ちてるカーディガンは俺の物で、2人で住むと共用してる物が増えて来た。翔には俺と付き合ってるのを周囲に黙っておくように言ったのも事実だけど、俺は拗れた所有欲を持ってるので、翔の身の回りの品物を自分と同じ物か、違う色や形でも自分の着てる物と同じメーカーやブランドを細々と買い与えた。翔が手に持ってるモンブランのボールペンもその1つだった。 昔は2人は身長差はそんなに無かったが、今は俺の方が大きい。翔はここ1年で無駄な肉が落ちて健康的だがすらりとして見える。俺の大きめのカーディガンの袖が余って、血色の良い爪がある指だけが覗いてるのも不思議なぐらい愛くるしく、見てるだけで大声で叫んで抱きしめたくなる。常に俺は人前や翔の前でカッコつけるポリシーがあるので目を細めて耐えた。 「今日は政経の松澤先生の授業休みだったんだよね、どうする?」 授業終了のチャイムより先生が早く次回の予定を告げて出ていったので、まだ外は明るかった。 「そうだね〜誰かに捕まる前に大きなスーパーと植物を観に行きたいな。空のご飯も買い足したいし」 顔見知りと挨拶を済ませて、校舎を出て裏の駐車場に停めてある自分の車の運転席に乗る。すると、助手席に身軽な動きで翔が乗り込んで来る。性格は飼い主が帰って来るとシッポを振りまくって出迎える大型犬みたいな奴なのに、動きは猫みたいに機微だ。シートは真昼の温かさがあったが、空気が冷たくなって来ていた。 車のサンバイザーを下ろして、サイドボードにあった薄いグレーのサングラスをかける。子供の頃から強い日光下だと目が痛むので、念の為。そして、翔がシートベルトをしたか必ずチェックする。もう少しすると道路が帰宅ラッシュで混むので、早めに都心を離脱しようとステアリングを切り車を車道に乗せた。 車が目的地に着いたのは日が暮れる頃。 都心の外れの大崎フラワーパークという、東京で1番大きなガーデニング用品を売ってる店とスーパーが併設されてる場所だった。ここは翔が大好きな場所だ。 「好きな物見ていいよ」 「ホントにやった!アキは植物好きじゃないならカフェで休んでる?」 「花は好きだよ、世話が苦手で枯らしちゃうだけ。何時もは翔が服買うのに付き合ってくれるから一緒に見るよ。翔の好きな花も知りたいし」 「いいの〜?俺時間かかるかもよ?」 「恋人が楽しんでるのを見て嬉しくない人いるの?」 翔が一瞬目を見開いてから、皮膚が薄い感のある頬がみるみる耳まで紅潮した。 「外でも恋人って言ってくれるの恥ずかしいけど…ちょっと嬉しいね…」 翔が長めの袖で顔を覆っている仕草も愛らしかったので、心の中の全米中の俺がサムズアップしていた。あまり人前では表情筋を使わない性質なのに、思わず口元が緩む。他人が見たら俺は優しく微笑んでいたかも知れない。 「夏の花が終わった頃だし、カート持ってくるから沢山花を買うといいよ」 「ベランダに置くから少しだけで大丈夫だよ」 「空に影響出ない植物なら何でもいいよ?ほら行こう?」 翔と俺は全寮制の学園の小等部で出会った。元々翔はアメリカから編入して来て持っている私物は少なかった。翔が子猫を拾って3日もしないでアパートを追い出される事になった去年の5月も、急いで翔を迎えに行った時はほとんど家財道具を手放した所だったのだ。 俺は裕福な生まれなので、学生でもそこそこいい立地にあるマンションに住んでいた。ここを選んだのは翔と何時か一緒に住めないかと思っていたから。動物や生き物の好きな翔の為にペット可の部屋に決めた。部屋に寝室とリビングとキッチンの壁が無いのは、翔が何処に居ても見る事が出来るから。幼い頃からしていた貯金を運用して、かなりの金額が自由に使える様になったのもあり俺は翔を連れ回して、身の回りの品や猫の空のキャットタワー等を買い与えた。 そして、翔が2人の部屋を居心地いいと感じれる様に、俺と一緒の時間を増やしたくて部屋に品物を増やしたいと考えていた。何でもスマートにこなせる俺も、結構内面は、特に翔に関しては必死だったりもする。 「もっと早くに迎えに行ったら良かったな…」 俺は花を一生懸命に選んでる翔の背中を見ながら、無意識にため息混じりにそう呟いた。 もっと早くに告白する勇気があったら、何年も2人にあった溝を埋められたかも知れない。 取り戻せない過去を思い返すと、急に暗い気持ちになって胸が痛んだ。 「迎えに行きたいって思ってたのは…俺もだよ。迎えに来てくれてありがとうアキ…。寂しくさせてごめんね?」 突然翔が、まるで俺の心を読んだように言葉を紡いだ。 翔が右手を差し出して言った。 花をライトアップする照明で金髪が光るようで、まるで絵本の中の王子様みたいだった。 いつもいつも、誰よりも彼と近くに居ようと、彼に誇れる存在でいたいと、何事にもどんな努力も惜しまずに生きて来たのに、肝心な場面で俺は翔に心を全部持って行かれてしまうのだ。翔は俺が何を言ったら喜ぶのかいつも分かっている。 この世で翔だけは俺の気持ちを真っ直ぐに理解してくれる。 それを知る度、俺は泣きそうになる。 鼻の奥にツンとした涙の匂いがしたが、それを振り払って微笑んで翔の手を握ってみせた。 「そんなの…分かるよ、俺もずっとアキだけを見てたから」 翔は朗らかな声でそう言った。翔は昔からそうだった。空気を読めていても、感傷的な流れを明るい流れに持って行くムードメーカーなのだ。 「翔は俺が言って欲しい言葉を言う名人だな、何時も翔には負けたって思ってしまう…。」 今一瞬だけ俺は表情筋が操れなくなって、泣き笑いみたいな表情になっていたかも知れない。 「なんでそう思うの?アキはずっと俺のヒーローだったよ。?アキはずっと俺の一番だよ?」 「何度も翔には話したけど、俺の親は厳しくて子供の頃は必死で勉強や習い事をした。どんなに頑張っても親には当然で褒めて貰える事は無かった。俺の親が資産家なのを知ってる教師には『君の事は特別期待してるよ』と、特別扱いして貰えた。でもそれだけだよ…俺はずっと孤独で辛かったんだ。最初は翔が誰でも受け入れて肯定出来る性格なのを憎い、とも思ってた」 翔は黙って静かに、俺の独白を聴いてくれていた。俺の手を握った反対の手で安心させる様に俺の手を掴む。袖の優しく柔らかいカシミヤの感触もそれに添えられていた。 「今はアキは俺をどう思ってるの?」 「ずっと放ったらかして悪かった、後悔してる・・・」 「謝罪は受け付けてません!俺も前はアキを意識し過ぎて避けまくってたし。それは俺もごめんだけど、まずアキは俺のありがとうを受け取ろう?」 謝罪は要らないは、俺が前から翔によく言っていた言葉だった。 「翔もごめんって…」 「俺はいいの!」 「理不尽!」 「他に言うことあるんじゃない?」 翔に微笑まれ、真っ直ぐに目を直視される。 昔から俺は学業では誰にも負けないのに、翔に言葉では負けてしまうのだ。プライドは誰よりも高いつもりだけど、意地の張り合いになると、翔はプライドを簡単に捨てて誰かの為に無限に頑張れる心を持ってる。彼にプライドなんて自己愛では叶う筈もない。 でも長年翔の隣に居るために努力してきて、かっこ悪いのは嫌だと、翔の手をぎゅっと強く握る。 「待たせてしまったお詫びに、何度でも告白するよ。愛してるよ翔。待っててくれてありがとう。何年も傍に居れなかったけど、その埋め合わせは絶対にするからね。約束だよ。」 その嘘偽りのない言葉に、頬を染めた翔の瞳孔が猫が飼い主を見る時みたいに大きく開いた。 「やっぱりアキ大好き!俺もアイシテル!」 翔が跳ねるように抱きついて来て、俺はちょっとだけよろけてから、翔を強く抱き締めて唇にキスをした。 「ええ、人前でちゅっちゅしちゃうやつ?!」 翔は濡れた血色の良い唇を指で覆いブロックしようとしたが、拗らせてる俺は翔より我儘だ特に彼に関する事では。 「俺はもう翔と付き合ってるの隠さないよ。本当は独占欲が強いからブレーキのつもりだったけど、そんなのもう辞めだ」 「そう言ってくれるの凄い嬉しいよ!みんなにアキを紹介していい?!」 「ダメ!!!」 「なんでぇ?!」 それは昨年の大学で再会してからの事。 翔と放課後にグラウンドでサッカーをして遊ぶ話になった時『みんな呼んでいい?』と翔が言ったのを軽い気持ちで『良いよ』と答えたら、瞬く間にグラウンドに60人以上の人間が集まって俺は呆然とした事があった。あの時は普段冷静沈着をモットーにしてる俺も叫んでしまった。グラウンドに来たのは学生ばかりではなかった、現役高校生らしいギャル、大学のOBや近所のラーメン屋のおじいちゃん、大学の売店のおばちゃんや小等部の頃の先生もいた。 なので、色んな人に挨拶や自己紹介を繰り返すハメになって、その日は翔の姿をほとんど見る事がなかった…。 「その件については後でゆっくり話し合おう…」 「なんかぎゅうぎゅうされ過ぎて痛いんですけど〜?」 「翔の友達はSNSで写真観てるから知ってるはずだよ。俺はずっと翔の写真と同じ写真上げて匂わせしてるからね?」 「アキはSNSやってないって言ってなかった?!」 「やってるのを黙ってただけだよ、インスタは翔のフォロワーは全部フォローしてある、ほとんど俺の同級生でもあるし」 「はわわっ…!」 やっと俺は翔をびっくりさせる事が出来た。でも勝ったら満足とかそんな気持ちにはなれなかった。もっと俺には大事な事がある。 「責任取ってずっと幸せにするね?」 翔の耳元でドキッとするぐらい低い声で囁いた。整ってると言われる顔や通る声をこんな時ぐらい利用しても良いだろう。 「セキニン取って幸せにしろよ?!」 翔が逆光でも目尻まで赤くして叫んでる様子を見て、可愛くてもっと強く抱き締めてもう一度キスをした。客がほとんど居なくなる時間になっても俺は翔を離さなかった。 翔が焦れて腹パンを狙って来てたのを両手を上げて躱したが、翔は怒るどころか少し泣いていたが花のように笑ってた。 「俺1年ちょっと前まで…アキとは付き合えるなんて思ってなくて、そのうちアキが誰かと結婚したの聞いたら死ぬしかないって考えてたから、その頃の俺に今の俺の話をしてやりたいって思えて、変な気持ちになったよ…。」 翔は去年より伸びた前髪を指でかき上げて俯いた。底なしに明るいはずの翔のその告白に、俺は思ったより動揺しなかった。俺と翔は良く似てる、俺もあの頃の翔に対する感情もまた同じだった。 「翔が俺を避けて元気が無くなってくのを前はどうにも出来なかったけど、今の俺は違う。ずっと翔が俺の居場所だった様に、俺も翔の居場所を作るよ、物理的にも精神的にもね。」 「そうだね、2人で幸せになろ!」 翔は顔を上げて笑顔を見せてくれた。 「今日は難しく考えないで、好きな花を沢山買って欲しい。翔は生き物を置いて消えたりしない人だから俺を安心させて?」 ずっと俺は誰かに、こうやって心を開示して頼み事をするのは無かったと思う。 これからは、きっと自分を変えていける。 翔は自分より他者の為に頑張る性質上、俺の為にと言った方が飲み込みやすいだろうと言い回しを変えた。 そして、翔は俺の意図を察した。 「俺は大丈夫だよ安心して?」 みるといつも通りの元気な翔の顔をしてた。 普段のわんぱくで生き生きとした表情をしてる。 「でも、せっかくだから色々買って貰っちゃお!閉店近いから頑張って探す!」 それから大型のショッピングカートを2人で押して、翔は薔薇の鉢植えや寒さに強い花や木もカートに入れる。俺も翔に選び方を教わって猫が食べても大丈夫な観葉植物をカートに入れた。 その後、同じ敷地の大型スーパーに入り、食材やスーパーにあるベーカリーで今夜の夕飯の焼きたてのピザや、明日の朝食のパンを買い込み、車の後部座席がいっぱいになった。お陰で後で2人のマンションのエレベーターの前まで駐車場から何往復かするだろう。 今年は猛暑だった割に冬が早いらしく、夜になるとジャケットを着ていても身体が冷えてくる。車を出してしばらくは明かりのまばらな住宅地で、冷えて眠くなる時間帯だからか、2人黙って進行方向から上がって来た細い三日月を眺めていた。 落ち葉の匂いと乾いた晩秋の風を感じると、ふと、翔と何度もこの季節を過ごして来たのを、噛み締める様に何度も思い返す。 あの日は。 夜明けが遅い季節だからか、体感の割にまだ外は暗かった。その日は、天気が悪いのか空の色が寒々として、春と違い鳥の声が遠くに妙に哀しげに感じる。 この未明の記憶は、去年のハロウィンが終わって、俺の誕生日の前の記憶かも知れない。ハロウィンとクリスマスの間の静かな晩秋の匂いは澄んでいて、正月の空気の匂いに似ていた、案外俺はそれを気に入っている。 俺は眠りの浅い体質だからか、寒い時期は体温の高い翔が一緒に寝てるベッドを出ると、急に目が覚める事が以前から何度もあった。 それは、生まれてすぐ捨てられた子供みたいな、寂しい気分の目覚め。 寝起きで焦点の合いにくい目を暗がりで凝らすと、だいたいそんな時は翔は薄着をして、ベランダにいる時が多かった。 翔は一見すると、すっかり大人になり切った様に見えたが、タンクトップに白い俺の私服のシャツを羽織った後ろ姿は、柔らかい関節の素直な骨格に張りのある柔らかい皮膚が、完全に大人になりきる直前に見えて、蝉が羽化する時のような透明感を感じさせる。 翔が早朝覚醒して、窓辺から遠くを眺めてる所を見るのはこれが何回目だろうか? 俺もやっとこうやって想いを確かめ合えるようになっても、昔のどうしようもない焼け付くような焦燥感と凍り付くような不安が忘れられない。翔もそうなのだろうか? 何度も言葉で確認しても、身体を重ねても、またこれから翔がずっと先も隣にいるか、俺には自信が無かった。 急に翔が消えたらどうなるかと、起きていない不幸を繰り返し考えてしまう。悲しい予感に胸が深く痛む。 翔に名前を呼び、取り戻したいと思っても、夢の中で子供みたいに泣き叫んでも声が出ない時みたいに、喉が引きつれて声が出せなかった。 今の重い暗い空色は、繰り返し見て来た不幸な寂しい夢の中と空気が酷似していた。この時間的には短い、永遠に続きそうな沈黙に俺はどうする術も無かった。 不意に翔が呟いた。 何時も優しい言葉だけを選んで無いと出せない、柔らかい声だった。 「このエニシダね、鉢が乾き過ぎて水を吸わないから水に漬けて置いたんだ。漬けっぱなしだと根っこが腐っちゃうから出してあげないと…」 翔が鉢を風通しのいい台の上に置いた。 子供の頃から、翔と自分の心は繋がってるみたいに、翔が何気なく言った一言が、今の自分の考え事のアンサーになる不思議な現象が多くあった。 俺の思い込みかも知れないが、2人は魂の双子みたいな存在なのではと夢想する事がある。 「ゆっくり水に漬ける…」 何か大事なヒントを聴いた気がしていた。 翔がいつも通りだったので安心したのか、俺は眠りに落ちてしまっていた。 来た道を戻る車は濡れたように艶やかに、街灯りを反射して夜道を走っていた。 近視用のフレームレスの眼鏡を掛けて居ると、助手席の翔が見えやすい。 膝にはずっと欲しかったと言っていた、薄紫の青薔薇の鉢がセロファンに巻かれて首の座らない赤ん坊みたいに大事そうに抱き抱えられていた。 翔の頬は暗い車内でもほんのり熱を帯びたみたいで、夢見るように遠くを観ている。 「青薔薇の花言葉って知ってる?」 不意に翔が、何時もより鼻にかかった声で、独り言の様に囁いた。 「奇跡だっけ?テレビで観た気もする」 「いまは花言葉は『奇跡』になったけど、昔は『不可能な望み』『有り得ない事』だったんだよ」 「うん、それも知ってたよ」 幸い対向車線は混んでいたが、時間帯のせいで登りの車道はスムーズに進んでる。俺は夜目が効かない方なので、慣れた道でもカーナビの液晶を時々確認する。 「なんだかこんなの言うの照れくさいけど、俺達もそうかなって、月日が経つと幸せになれたら良いなってさ?」 「翔の方が、相手を照れさせるセリフを言うのに優勝してる」 ちょっと茶化すように言ってみたが、あの朝の翔の呟きが急にフィードバックして来た。 毎日不安や焦燥感に足掻いていても、恋人同士になれても幸せの実感が薄くても、たっぷりの愛情でお互いの乾きを癒し合えば、時間が経てあのエニシダの鉢植えみたいに元気に葉を伸ばせるのでは…と、俺は不意に納得出来た。 「やっぱり翔は天才だな」 視界の悪い夜の運転は苦手だったが、俺の血色の薄い冷たそうに見える顔も、バックミラー越しに見なくても少年みたいな頬になっていただろう。 翔といるとお互いハッピーなアイデアがどんどん湧いてくる。いつもそう。 「その紫の薔薇は…青薔薇というやつなんだろ?なんて名前の薔薇?」 昔、薔薇の名前というミステリー小説があったのを関係ないのに思い出してた。 「これは珍しい名前なんだ。名前はガブリエル」 「ガブリエル…」 ある日───目が覚めたら。 窓辺には天使の薔薇が咲き、もう窓辺には別の天使がいるのだから、キミは隣に居て欲しい。 窓辺には天使が居る。 腕の中にもう1人の天使を閉じ込め、俺は暖かい 眠りの中にいた。 -END-
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