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『エンゼルシュガーとのコラボクリスマスケーキいかがですかー!』
銀座のデパートの外に設置された特設コーナーでハンドベルを鳴らしながら声をかける。
金曜日と重なったクリスマスイブの街角は数年続いた自粛ムードの鬱憤を晴らすかのように賑わっている。
ケーキやお菓子の製造メーカーであるわが社の今年のクリスマスケーキは有名老舗洋菓子店とのコラボ品だ。うちの営業部長が気長に通い詰め、2代目を説得することに成功した。今までどの会社も断っていたエンゼルシュガーがコラボしてくれるとあって、それを口説き落とした部長にみんな頭が上がらなかった。
だから…
今朝、部長が会議室の机に天使の衣装を広げて『誰か2人、今夜銀座の特設コーナーにこれを着て販売応援に行ってくれ』と言い出した時もみんな怯むだけで反論出来ずにいた。
販売応援はあるかもと思ってはいたけれど、クリスマスイブ当日、しかも羽のついたケープがあるとはいえ白いタンクトップに白いふわふわのミニスカートの衣装で行けとは…何考えてんのよ部長は。セクハラギリギリだよ…。
みんな今夜は予定あるよね。衣装はハードル高いけど…ま、仕方ない。
『私、行けます』立候補すると、女性陣から感謝の視線が送られてきた。“任せて”の気持ちをこめて頷き返す。
しかし、衣装は2人分あるのよね…。
『あと1人誰か…』と部長が言いかけると『僕行きます』と同期の小野田くんが手を挙げた。
何かとムードメーカーな彼が『なかなか似合うと思いません?』と言うと、そのひとことでギスギスしていた場が和んだ。
『僕、今日予定ないし仕事させてくださいよー』と本当だか嘘だかわからないことを言ってさらにまわりを笑わせる。
他に女性の立候補がいないとわかると部長は渋々了承した。
さすがにスカートはふざけているように見えるので、白いパンツとTシャツを買いに行き羽付きのケープだけを羽織ることにした。
私には気安く毒を吐いてくる悪友みたいな人。小野田くんの前で天使を着るのかと思うと気が重いがもう引っ込みがつかなかった。
案の定『馬子にも衣装になるか、楽しみにしてるよ。』と古臭いことわざを用いてニヤニヤされた。
ひとつ、またひとつと順調にケーキは売れていく。さすが老舗洋菓子店とのコラボだ。
『こんな衣装で呼び込まなくても売れる力のある商品だよねぇ。』
同じく横でベルを鳴らしながら呼びかけている小野田くんを見上げた。カチューシャにつけた金色の天使の輪が動くたびにゆらゆら揺れる。背の高い彼がそれをつけているのが何とも可愛らしくて笑ってしまった。
『なんだよ。』
『いや、天使の輪が世界一似合うなって思って。』
『だろ?適役だったろ?』ドヤ顔で言ってくるのでさらに笑ってしまった。
『天使の衣装ね…エロおっさん2人で決めたんじゃね?2代目とうちの部長、コスプレキャバクラに通って親睦を深めたらしいぜ。総務の川上さんが言ってた。』
『うぉ…そうなのね…』呆れた気持ちを通り越して、色んなアプローチ方法があるのね…と感心してしまった。
『着てるのが私じゃ、エロおっさん達、がっかりしちゃうね。』
卑屈になっているわけじゃない。うちの部にはもっと可愛くてスタイルの良い子がたくさんいる。その子達の方がよかったよねぇとただ単に思う。
小野田くんがまじまじと私を見る。まずい、突っ込んでくださいと言わんばかりの発言をしてしまった。
『いんじゃね?似合ってるよ。可愛い。寒くね?大丈夫?』と足元のストーブの角度を直してくれた。
毒を吐かれると構えていたが不意打ちに褒められて拍子抜けし、不覚にもドキッとしてしまった。
そんな動揺は早く打ち消さないとまた揶揄われる。
『やっぱり?これからは天使として生きていこうかな。』
腰に手を当ててポーズを取ってみせた。
小野田くんは私のおでこを指で弾き『徳を積んだ人しか天使になれねぇよ。俺みたいにな。』と戯けて手を羽ばたかせてみせた。
また古臭いこと言って…さっきのトキメキは気の迷いだわ。ほんと、憎たらしい。
少なくなってきたケーキを並び替えていると、足を止めるカップルに気がついた。
顔を上げると経理部の知克と…たぶん新しい彼女だ。
『あ…』目が合った知克が顔を歪める。
負けたくない。
『あら、お疲れさまです!ケーキどうですか?』と満面の笑みで話し掛けた。
『…お疲れさま。販売応援なんだね。』憐れむような眼差しを向けられた。私の衣装も物珍しそうに見ている。
新しい彼女は私が元カノか何かだと感じとったのか、知克の袖口をしきりに引っ張っている。
はいはい、あなたにフラれたからクリスマスイブなのに暇なのよ…とその目線にイラついていると小野田くんが声をかけてきた。
『星奈ー、裏にケーキ取りに行くぞ。』
え?何で下の名前を呼び捨て?と混乱していると、知克が驚いているのがわかった。
その表情にちょっと胸がスッキリした。
『うん、わかった!…では失礼しますね』とまた精一杯の笑顔を作り小野田くんを追いかけた。
2人で裏の駐車場に停めたトラックからケーキを降ろして台車に乗せる。
小野田くんが何で名前を呼び捨てにしたのかは謎だけど、知克を驚かすことができて感謝している。今夜仕事になってひとりで暇を持て余さなくなったのも今となっては助かった。
社内恋愛だから親しい友達にしか打ち明けてなかったが、もうどうでもよくなった。
『やっぱり私は天使になれないなー。先月経理部のあの人にフラれたの。年下の可愛い子に心を奪われたって。さっき心の中で“くたばれ!”って100回は唱えたわ。こんな邪な人間じゃダメだよね。』
小野田くんが手を止めてこちらを見た。
そしてその手をのばして私の頬を擦った。知らぬ間に涙が溢れていたようだ。
あのタイミングで裏に連れ出してくれたおかげで人前で泣かずに済んだ。それも感謝だなぁ。
『それなら俺も天使にはなれねぇな。下心抱えて仕事してるから。』
台車を横へ押しやると、私の手を引っ張って抱き寄せた。いきなりのことで言葉が出ない。驚きに涙も止まった。
『えっ、あ、はっ』
『体冷えてんじゃん。大丈夫?』
『だだだいじょうぶだけど、ちょっ』
『あはは。』
笑い方に余裕があってやっぱりムカつく。
だけど…腕の中は温かくて心地よい。
『あいつと別れたの、知ってた。だからチャンスだと思ってさ、今夜の仕事引き受けた。』
…チャンス…?!
私を包む長い腕から大きな鼓動が伝わってくる。
『邪な者同士、これが終わったらご飯行こうぜ。どうよ?』
小野田くんらしい誘い文句に吹き出してしまった。
見上げた彼の頭の上には星空と天使の輪が揺れて、強気な言葉とは裏腹に私の返事を待つその顔は世界一優しい天使に見えた。
『そのカチューシャをつけたままでいてくれるならいいよ。』
『そんなの全然平気だね。』と笑ってギュッと私を締め付けた。
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