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二弾目 運命の分岐点
数分後、警備員の男は懸命に追跡を続けたが結局追いつくことができず、逃亡犯は自動ドアを抜けて図書館の外へと出た。
こうして地下二階から続いた一対一の鬼ごっこ……というより警泥は、盗人である少女の勝利で幕を下ろした。かのように思われたその時、
「……っ!」
不意に立ち止まり、それ以上先へと足を進めることはしなかった。
いや、できなかったのだ。
「あー……なんかここで貴方を止めないと私の来月の生活がピンチらしいので、大人しく命令に従ってもらえると助かるんだけど、どう?」
前方十メートル先。てるてる坊主のようにローブを身に纏った盗人の瞳に映ったのは、先程の警備員に似た制服を着た眼帯の少女――ノレナ・ウィルハアトの姿であった。
毛先にかけて青のグラデーションがかかった紫灰色のミディアムヘアーをサイドで編み込んだノレナは、制帽を右手の人差し指に引っ掛けてくるくると回している。そして左手には何かが入ったA4サイズの紙袋が。
「まあ給料に関しては私の所為なんだけど……。ちなみに、拒否した場合は武力を以って貴方を止めることになるので。ま、こっちも強引な手は使いたくないからさ、ね?」
と、頬を軽く掻くノレナ。
「……」
「あのー……反応ないのは一番きついんだけども……あっ、もしかして理解してくれたり? くれたよね?」
「……」
しかし、尚も不審者は答えない。
「……ま、まあいいわ。とりあえず身元が確認できるもの、例えば学生証とかで大丈夫なので見せてちょうだい。それから一緒に事務所まで行きましょうか」
ノレナは制帽を回したまま、ゆっくりと相手に近付いてゆく。そして、八メートル、六メートル、四メートル……両者の距離が二メートルにまで近付いた――その瞬間。
「……くっ!」
ノレナはさっと後ろに跳んで、相手から距離を取った。
はらり、と僅かに血の付着した制帽が地面に落ちる。ノレナの右手を襲ったのは、不審者の左手に握られた一本のダガーナイフだった。
「痛っつ〜! ちょっと君ぃ、いきなりそれはナシでしょ……うわっ!?」
ダガーを握りしめた不審者が一気に距離を詰めた。そして振り払われる鋭利な刃。
それをノレナはギリギリのところで躱したが、尚も相手の攻撃は続く。
「ねえ、ちょっと! それはほんと洒落にならないって!」
「……」
「ねえってば!」
切先が迫る度に体を揺らしながら後退するものの、疾風迅雷と呼ぶべき斬撃で攻め立てる相手の左手には良心の呵責が一切無い。その結果、縦横無尽に襲い掛かる刀身を躱すことが徐々に難しくなってしまう。
「ああもうッ!」
相手が刃を横に薙いだ瞬間、ノレナは自分の顔を庇うように左腕を前に出した。
――ストン
切り落とされたのは、持ち手を失った紙袋。
そして、落下した衝撃で袋の中のブツが不審者の足元にぶちまけられてしまった。
『おぼこい乙女……発熱。貴方だけに見せる等身大のわ・た・し♡』
『ザ・大秘宝』
『背伸び〜一日限定彼女〜』
露わになったのは、どれも際どいポーズを決めたアイスブルー色の美少女が表紙の写真集だった。
「うわぁぁぁああぁぁぁああん! せせ、せ、生活費を犠牲にして手に入れた私の大切なトレジャーがあぁぁぁああ!」
絶叫と共に膝から崩れ落ちるノレナ。
落胆、絶望、失望。跪き頭を垂れるその姿は、まるでアルファベット三文字で表したアスキーアートのようである。
「お、お終いだぁ……」
入手難易度SSランクの大秘宝を汚してしまった悲しみと、自分の趣味が見ず知らずの相手に露見した恥ずかしさが押し寄せる。戦闘中だというのに、ノレナは無防備に背中を晒していた。
「うぅ……でも安心してねマイエンジェル。どんなに汚れた貴方だって私は愛してみせるからぁ」
……って、あれ?
ふと気付く。相手の猛攻が止んでいることに。
(どうして攻撃してこないの? 今の私はこんなにも隙だらけなのに……)
不思議に思ったノレナが顔を上げると、
「わわわ……こ、これって、ええ、えっちな……」
不審者は肩を震わせながら何やらぶつぶつと呟いていた。
フードで顔を隠している為、ノレナにはその行動が何を意味しているのか解りかねたが、少なくとも絶好のチャンスであることに違いなかった。
(……今だ!)
ノレナは跪いた状態から瞬時に立ち上がって相手の背後に回り込むと、相手の脇の下から手を差し込んで抱え上げるように拘束した。
「は、離せよぉ! この、正義を振りかざすけど本当はド変態で鬼畜な特殊性癖警備員っ!」
「あ、暴れないでよ! ていうより、人をコアなアダルトビデオ作品のタイトルみたいに呼ばないでくれる!? それに、私は至ってノーマル……うんっ、ノーマルだからッ!」
ノレナは予想よりも声の高い不審者を逃すまいと力を込めるが、相手もダガーナイフを持った状態で腕をバタバタと動かして抵抗する。
「危なっ!? ああもうっ、だから暴れないでって言ってるでしょ!」
そう言って、男にしては小柄な不審者の胸元へ手を伸ばし――
ふにゅん。
「……へ?」
ローブ越しに伝わる何やら柔らかい感触。
少々驚きつつも、両手の指を折り曲げたり開いたりしてみる。
ふにょん。ぷにゅっ。もにょん。
ほんの少し力を加えるだけで形が変わるほど柔らかく、それでいてハッキリとした弾力を持つ不思議な双丘。
(んー……これは何かに似ているような……)
その既視感の正体を探るべく、ノレナは撫でるように手を動かしてみる。
「んっ……ぃやっ、あっ」
不審者は、鼻にかかった甘ったるい嬌声を発した。
「や、やめっ……あんっ」
「……」
ふと気付く。自分がとんでもない勘違いをしていたことに。
「ま、まさか……」
フードに恐る恐る手を掛け、相手を振り向かせながら勢いよくフードを下ろすと――
「きゃあっ!?」「ええっ!?」
青緑色のインナーカラーを入れた癖のある黒髪に、怪しく光る紫蝶の髪飾り。
白い肌はミルクのように滑らかで、潤んだ青碧色の瞳が宝石のように輝いている。
月光の中に姿を見せたのは、とびっきりの美少女であった。
「……」「……」
茫然と見つめ合う二人の少女。
この場合、まずは急いで相手の肩から手を離せば良いのだが、如何せん身体が言う事を聞いてくれない。まるで魔法にでもかかったかのように、ノレナは少女の瞳から目を逸らすことができなかったのである。
だが、それでも何かしら言わねばならないと思ったノレナは、流れた鼻血を擦りながら極めて混乱する頭をフル回転させて述べることに。
「ご、誤解なの。いやその、胸を触ったことは間違い無いんだけど、それは、貴方を男だと勘違いしてたっていうか……で、でも、私のより凄い柔らかかったし、女の子だってことは理解してるから……、あっ」
……自分でも分かる、盛大に地雷を踏み抜いたことに。
夏は始まったばかりというのに、空気が凍てつくように冷たい。
(あー……終わった……)
と、己の失策を呪ったノレナであった。
しかしその直後――周囲が赤紫色の光に包まれる。
「こ、今度は何ッ!?」
慌てて飛び退くノレナ。見ると、少女の右手……正確には少女の右手に抱かれた濃紫本が強烈な光を放っており、足元には大きな魔法陣が生成されている。
「ゆ、許さないから……絶対、許さないからっ!」
少女がノレナを睨み付けると、赤紫色の光は益々輝きを増してゆく。
既に午前二時を過ぎているというのに、まるで昼間のように明るい。
「ちょちょちょ、ちょっと待って! ほんとごめんだよ、私が悪かったから落ち着いて!」
「五月蝿いっ! 今更謝ったってもう遅いんだからっ!」
涙目の少女は聞く耳を持たない。
「そうじゃないの! 別に私の事は許さなくても良いから、とにかく一旦落ち着いて!」
ノレナは必死に説得しようとする。
そう、彼女は知っているのだ。この現象が少女の意思とは関係なく起こっている事を。
(ダメだ……この子、怒りで自分の力が制御できていない! それにあの本は――)
少女が持つ本の表紙を見るや否や、ノレナの目つきが変わる。
「うっ……な、に……これ……」
少女は先程の威勢のよさが嘘のように力なく頭を垂らし、足元をふらつかせている。
そんな今にも倒れそうな少女を前に、ノレナは「ああもうっ、言わんこっちゃない!」と滅茶苦茶に髪を掻きむしると、
「ほんっっっと良くないから、これっ!」
諦めに似た叫び声を上げながら、少女に向かって走り出した。
血の気が失せて倒れそうになった彼女を支え、その瞳を覗き込む。
「えっ、いやっ……な、なに……?」
突然両肩を掴まれた少女はノレナとの顔の近さに困惑するも、振り払う力は既に失われていた。抵抗できず、虚ろな目でノレナの瞳をただ見つめ返す。
(っ、ほんと恨むからね……姫様)
心中で舌打ちをしたノレナは、ゆっくりと少女を抱き寄せて――
「……んっ」「……っ!?」
優しく唇を重ねた。
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