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 10分ぐらいで朝香の方が参った。疲れ切って、畳に座り込むと、矢島もだらりと腕を下ろした。 「桜井さん、見てて」  突然、小野寺がグローブも何もなしに、矢島に殴りかかっていった。  それは驚くぐらいの攻防だった。  小野寺は足技も繰り出し、プロテクターで動きが取りにくい矢島をひっくり返すと、馬乗りになってボコボコと顔を殴り始めた。矢島は防戦しつつも体を捻って小野寺を倒し、体勢を崩した彼女を床に押さえつけようとして、プロテクターのない首を締められて飛び退いた。  そこで彼はヘルメットを脱ぎ捨て、マウスガードも外した。 「参った。参ったから」  矢島はまだ飛びかかろうとしていた小野寺に言い、小野寺はそれを聞いてニヤッと笑った。 「ね、これぐらいやっても平気」  小野寺が言い、朝香は矢島を見た。  彼は膝に手をついて息を整えており、それからうんざりしたように小野寺を見た。  そして朝香は、少しだけ受け身を教わって、安全のために下にはマットを敷き、念願の『投げ』を受けた。  特別サービスで、矢島は何種類もの投げ方で投げてくれた。  途中から小野寺も投げられたいと言って、矢島は「これは何の罰なんだ」と苦情を漏らしていたが、朝香はとても楽しかった。  母に手紙を書いてもいいですかと2人に聞いたら、矢島が「検閲してもいいですか」と朝香に聞き返した。朝香はうなずき、小野寺が楽しそうに笑っていた。  最後の1ヶ月は、そんな特別授業が週に2−3回あって、2週目頃には朝香だけでも、矢島から「参った」を引き出せるようになっていた。そうなっていくと、矢島はプロテクターを少しずつ外し、朝香が殴ったり蹴ったりしても、避けるようになった。そして、朝香が無防備な攻撃を繰り出すと、ひょいと不意に投げてくれることもあった。  小野寺がどうしてもやった方がいいと言う、急所蹴りの練習もした。彼女は真剣な顔で、騙されたと思って一度やっておいてと言った。それだけで今後の人生が変わるから、と。  変わったかどうかはわからないが、矢島がプロテクターなしのときは、本気で逃げてくれるので面白かった。  朝香は自分が格闘技なんて始めるとは夢にも思っていなかったので、本当に驚いていた。体のあちこちが痛かったし、筋肉痛も半端なかったが、それよりも楽しさが上回った。  そして、本当に上手な人は、自分も相手にも怪我をさせないで負け続けることもできるのだなと知った。  最後の卒業面談を迎えて、朝香は怒涛のように過ぎた日々を振り返った。毎日書いていた日記が、ある日突然カラフルに生き生きと文章が流れているのを見た。  私は変わったのかもしれない。  朝香はその前の自分を思い出せずに、首をひねった。
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