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 こういうことって、もっと根回しとかするもんじゃないんですかと蛍汰が津村に言うと、津村は「ごめんね、急で」と言った。全然悪いと思っていない口調に、蛍汰は舌打ちをした。 「うちの直属の上司は、この話は知らなそうでしたよ」  蛍汰は栗林の悩ましげな顔を思い出して言った。 「そういうもんだ。俺も、矢島さんが担当するって聞かされたのは、1時間前だ」  徳井が言って、蛍汰は首を振った。 「無茶振り過ぎませんか? 僕、もう計画書出しちゃいましたよ。そんなに逸脱できませし、逸脱したくもないです」 「だから、報告上げるだけでいいんだって。レスターとか家族の話が出たら、録音してもらうか、会話記録を送ってくれるだけでいい」  徳井は簡単そうに言う。 「ご存知なのかどうか知りませんが、僕は潜入隊員でした」 「知ってるよ。日本中が知ってるだろ」  徳井が言って、津村がまた笑った。蛍汰は助手席の背中を蹴飛ばしたかったが、アンガーマネジメント講習を受けさせられそうなので、何とか我慢した。 「その経験から言うと、要求はエスカレートします。最初は偶然聞き出せたことだけでいい。でも何か聞き出せたら、これについてもっと喋らせろ、もっとここを突っ込め、今週は何も報告がないのか、ってなるんです」 「ならないかもしれないだろう」 「なります」 「ならない。報告がなくても追加要求はしない」 「僕が動かないと、僕の部下が標的になります。矢島は使えない。おまえが聞き出せ。じゃないと何とかかんとかって、脅すんです。それで壊れる人間をたくさん見てきました」 「部下にも求めない。それでいいんだろ」 「徳井さん、部署、どこでしたっけ?」 「組織対策課だよ」 「徳井、何さん?」 「悠輔。誕生日と血液型もいるか?」 「いいえ、あざっす」  蛍汰はうなずいた。そして手元のスマホの録音停止ボタンを押す。 「徳井さん、言質取ったんで僕を守ってください。約束が反故になったら、僕はこれを上司に提出します。何ならネット公開します」 「は?」  徳井が録音されていたことへの怒りに目つきを変えた。 「元潜入の奴って、こういう感じなんですよ、徳井さん」  津村がまた振り返って言って、蛍汰は徳井をじっと見た。スマホを取り返しにきたら、どう抵抗しようかと身構えながら。  だが徳井は取り返そうとしなかった。 「ここまでしたんだから、ちゃんと報告するんだろうな」 「しますよ」  蛍汰は徳井に言った。 「矢島、どこから録ってた?」  津村が聞いて、蛍汰は答えずに彼を見た。 「うわ、徳井さん、自己紹介から録られてるわ、これは」 「え? 本当か?」  徳井は怪訝そうに蛍汰を見た。ここは肯定も否定もしないでおく。 「とんでもないの飼ってるな、SDAは」  徳井が言って、蛍汰は津村がドアロックを外してくれたのを見た。 「報告先は徳井さんでいいですか?」  蛍汰はドアを開きながら聞いた。 「こっちもCCつけて」  津村が言って、蛍汰は2人にうなずいた。 「次に話があるときは、もっと上手に呼び止めてください」  蛍汰はそう言って、ドアを勢いよく閉めた。  ヘルメットを付け直して自転車にまたがると、そこには白い小ぶりの袋がハンドルにひっかけられていた。  運び屋でもさせられるのかと思ったら、小さな子どもが喜びそうなキャラクター菓子がいくつか入っており、蛍汰はパトカーを振り返って、津村に中指を立てた。津村は車内で楽しそうに笑う。  あの野郎、賄賂じゃねぇか。  蛍汰は娘の沙羅と息子の理玖が喜ぶ顔を思い浮かべて、ペダルに足をかけた。
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