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2週間が過ぎてもハンスの態度はそう変わらず、蛍汰は警察に何も報告することがなく、それよりもまず、栗林に報告することさえ薄っぺらくて頭を悩ませていた。
そのせいで教練学校で空回りしていた悪夢の日々を思い出した。
何をやっても相手の気持ちに触れられない感じは、今の状況とほぼ同じだった。
「おい、聞いてるのか」
ドスの利いた声がして、蛍汰は我に返った。徳井が目の前でギョロッとした目で睨む。
また蛍汰は帰り道にパトカーに呼び込まれていた。今度は何に違反したかさえも教えてくれなかった。
「聞いてます。でもね、どの子でも1週間でペラペラプライベートを話してくれることなんてないんですよ。ましてやお兄さんは、指名手配されてるんでしょ? 言うわけないじゃないですか」
「そんなことはわかってるんだよ。だから、SDAに頼んだんだよ。元潜入だろ? 入り込めよ、奴の懐に」
「潜入やってたときだって、何ヶ月って単位でしたよ。最初の1ヶ月なんか、ほぼ疑われてリンチ受ける日々ってこともあるんですからね」
「そこを何とか」
今日は左側に乗ってきた津村が言った。興味はなさそうだが、圧だけはかけてくる。
「報告することができたら、こっちから連絡するので、大人しく待っててくれませんか?」
蛍汰は肩をすくめた。物理的にも狭いので肩をすくめたほうがいい感じでもある。
「こっちも上に突かれてるんだよ。なんかないのか。何かあるだろ、細かいことでもいい。ハンスについて新しくわかったことなら何でもいい」
「警察が何を知って、何を知らないのか、僕知らないです」
「探り出そうったって無駄だぞ。今日は録音してないだろうな」
「そっちがしてるでしょ? 細かいことね……けっこう日本語わかってる、とか?」
「もっと具体的なことは。友人の名前とか、地名とか」
「うがぁとか、うぜぇとか、やんのか、こるぁ、とかしか言いません」
「じゃぁおまえはどこから切り崩す気なんだ」
「それは今考えてるとこで」
「考える? 悠長なこと言ってる場合か。3ヶ月しかないんだぞ」
「お言葉ですが、徳井さん、最初の約束を覚えてますよね。1週間前ですからね。圧はかけない、要求をエスカレートさせない、僕の部下には手を出さない」
「おまえ、わざと時間を引き伸ばしてるとかじゃないだろうな」
蛍汰はため息をついた。
「だから、そういうことをして、僕に何の得があるんですか」
「おまえ、警察が嫌いだろうが」
「警察に出向したときに嫌がらせをされたからですか?」
「嫌がらせされたのか?」
徳井が目を丸くして聞き返し、蛍汰は左の津村を指で示してうなずいた。
「筆頭者いますけど」
津村はヒャッヒャと笑った。
「それは悪かった。警察を代表して謝罪する。津村、おまえも謝れ」
「やだよ、矢島もけっこうやり返してきたから、貸し借りなしだよな」
津村が強調したが、蛍汰は答えなかった。
「すまん」
徳井だけが頭を下げる。
「僕は去年まで2年間、警察に出向してました。一部業務を共同で担いませんかってことをやってたんで、協力する気持ちはあります。そりゃ、納得いかないとこはありますよ。矯正プロジェクトじゃないとダメだったのかとか、他にも落としのプロ的なの警察にいるだろうとか、いろいろ思いますよ。でもだからって邪魔したいと思ってるわけじゃありません」
早口で言うと、徳井は頭を上げて蛍汰を見た。
「ありがとう。実はいい奴だな。小狡い奴かと思ってた」
「小狡い奴は間違ってない」
津村が笑って言った。
「なので、待ってください。何かわかったら連絡するので。ただ、僕はヴァルがちょっとでも何か自分の頭で考えるってことを……」
「ヴァルって何だ」
「ニックネームです。あれ? 初ネタですか? 向こうにいるときから、そう呼ばれてたらしいです」
「おまえ、それ真っ先に言えよ」
徳井が興奮して言って、蛍汰は驚いた。
「え、だって……うちの部下が調べられるぐらい初級編のネタっすけど」
「うるさいな。ヴァルって何だ」
「ヴァリアン……何とかってのが元で、確か、勇敢な男的なアレです。それを略してヴァル。ハンスっていうより、そっちの方が親しくなれるかなと思ってヴァルって呼んでみたら、最初は嫌がってたけど、今はもう文句を言わなくなりました」
「クソが」
徳井が誰に向けて言ったのかわからない言い方をした。
「じゃ、帰っていいですか」
蛍汰が津村を乗り越えていこうとすると、津村に押し返された。
「慌てるなって。他にもあるんじゃないか? そうだ。おまえの部下がおまえに出す報告書、こっちに回せ。それでいいだろ」
「何を言ってるんです、機密です」
「矢島、ついこの前まで、警察とSDAはガッチリ組まないとダメだって言ってただろうが」
「それとこれとは別です。機密です。欲しかったら上の許可を取ってください。直接僕の部下に会ったりしたら、僕、キレますからね」
「そういうとこ、おまえは固いよな」
「ルールは僕と僕の部下たちを守るためにあるんで」
「わかったよ。ほら、出ろ」
津村が先に出てくれて、蛍汰も外に出ることができた。徳井は何やら関係各所に連絡しているようだった。
「子どもたち、喜んでたか?」
津村は自転車の方に目をやった。
蛍汰が見ると、そこにはまた小さな袋が提げられている。たぶん駄菓子が入っているんだろう。
「喜んでました。持ってきてくれたのは、キツネだと思ってます。自転車を置いてたら、知らない間にあったんだよって言ったから」
「最近のキツネはそんなことするのか」
「絵本で」
「はぁん」
津村が口を曲げて言い、蛍汰は自転車に戻った。
「僕もキツネだと思ってます」
蛍汰が言うと、津村は「コンコン」とおどけてみせた。
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