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将孝は真面目な生徒だった。カリキュラムに沿って毎日課題をこなし、テストをしても習熟度はとても高かった。
「矢島二尉、どう思います? どこに反社会性が隠れてるんでしょうか」
夕方の執務室で、今田は将孝の成績表を見ながら、矢島に聞いた。普段の生活態度と成績表を見ていると、優等生にしか見えなかった。
「まぁ、まだ1週間なので」
矢島は将孝の日報を読み返しながら言う。
「猫かぶってるってことですか?」
今田は肩をすくめた。確かに精一杯「いい子」をしている気はするが、そんなに反動が大きいとは思えなかった。
「全身着ぐるみですね」
「手にも肉球ある感じっすか?」
「あるね」
矢島は笑った。楽しそうだ。メイン教官だが、少し今田に権限譲渡しているので気楽なんだろうか。前回のハンス・バウティスタの時とは違うリラックスした表情だった。
「矢島二尉、真面目にやってます? ちょっと手を抜いてません?」
「え、心外だな。真面目ですよ。今田二曹はここに来るまでの判定が間違ってると思います?」
「そこまでは思ってませんけど……すごく大人しい子だなとは思ってます。なんだか怯えてるみたいな感じがして」
今田が言うと、矢島は手を止めてこちらを見た。
「何にです?」
「え……うーん、何でしょう」
矢島は腕組みで考える今田をじっと待っている。
「あの、矢島二尉」
今田は腕を解いた。
「はい」
「私のことを育成しようとしてませんか? そうじゃなくて、生徒を導いてください」
「今田先生は生徒を導こうと思ってるんですか?」
矢島が聞いて、今田は目を丸くした。
「そうですけど?」
「なるほど」
「何ですか、それ」
今田はムスッとした。からかわれているのかもしれない。
矢島は日報を置いて、それから今田の方にまっすぐ向き合った。
「ここに鏡があります」
矢島は今田と自分の間の空間に壁みたいなものを手で表現した。
「何ですか、それ」
「僕たちは、世界を見ているつもりで、鏡を見ているんです」
「何ですか、それ」
「僕が小さい頃、母に教わったことの1つです。僕たちは自分の世界からなかなか抜け出せない。相手を変えようと思ったら、自分を変えないと、っていう言葉の意味は、何も自分が我慢したり、無理したりすることじゃないと思ってます。自分が楽をしてもいいんです。無理をしたら、相手も無理をしてきます。だって鏡なんだから」
「何ですか、それ。それって前提が成り立って初めて成立するクソ理論ですよね。ここに鏡がないとしたら、何も成立しませんよね」
今田が言うと、矢島は笑った。
「さすが賢い人は違いますね」
「矢島二尉、私のこと、嫌いですか?」
「僕は鏡論者なので、今田二曹と同じ気持ちです」
そう言われて、今田は眉を寄せた。
「何ですか、鏡論者って。そしたら、浜松一曹も鏡ですか? 矢島二尉は浜松一曹のことを大、大、大好きなんですか?」
そう言うと、矢島は少し考えた。
「稀に、鏡から飛び出してくる特殊な人もいるんです」
何もヒントにならないな。今田は息をついた。
でもチームなんだから、一緒に解決したい。これまで、今田は矢島の相談に……。
今田は少し考えた。あれ? 相談に乗ってないな。
矢島がうだうだと悩んでいるとき、気を軽くしようと「忘れましょう」とか「そこまで考えなくていいですよ」とか言ってきた。そこまで責任持てませんよ、とか、これはモデル事業ですよ、とか。
そういう無責任な感じが、今の自分に返ってきてるのか?
いや、それは、ここに鏡がある前提で。何だよ、鏡論者って。
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