京都と愛

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京都と愛

 おんぼろで色気のない学生アパートに住んでいた頃、京都駅の地下街でデートをするのがちょっとした贅沢だった。  軍艦みたいな巨大な駅の下に潜って英国風の椅子とテーブルで紅茶とワッフルのセットをいただく。和の中心地と言っても過言ではないこの街で西洋の映画のようなデートをするのが学生なりの背伸びだったのかもしれない。とにかく人の多い騒がしい街だと思っていた。大学進学のために移り住んだこの場所は大都会で、飲み込まれてしまわないように必死で、気が付けば観光なんてろくにしないまま地方へと就職した。清水寺すら行っていない。  今にして思えば、友人、隣人はみな学生で、すれ違う人々のほとんどは観光客だった。京都が地元で今も住んでいる、なんて知人はいない。僕らは京都のよそ者だった。  歳をとり、桜を愛でるようになった。紅葉を楽しむようになった。歴史を学び社寺仏閣に興味を持った。そうしたときに浮かぶのは、学生の時に通り過ぎた街並みだった。古都京都はそこにあったのに、何も見えていなかったことに気が付いたのだ。  なんともったいないことか。  今更になって新幹線の切符を買い、嵐山にでも行ってみようなどと思うのだ。哲学の道の桜も見たい。そうしてよそ者はまた京都へ向かう。  京都駅は相変わらず軍艦のようで、すれ違う人々は同じ観光客。  けれどふと思い立って地下街へと潜る。  喫茶店はまだ残っていた。 「なあ。あの頃みたいにデートをしよう」  妻に言うと嬉しそうに笑い、抹茶や団子ではなく、紅茶とワッフルのセットを味わった。  これが我々の京都だった。土地への愛は思い出とともに確かにあった。  ふいに隣の席の婦人の声が聞こえてきた。 「観光地なんて住んでると行かへんよねぇ。人が多いだけやわ」  なるほど、と僕は思う。僕はれっきとした住人だったらしい。どうやらただ、この街が恋しくなっただけのようだった。
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