0人が本棚に入れています
本棚に追加
雲の切れ間から差し込む一筋の光。
天使の梯子、もしくは天使の柱と呼ばれる現象だ。
科学的には『薄明光線』なんて呼ばれているらしい。
……語感が『破壊光線』みたいだ。
もう少しいい名前はなかったのか……いや、ないから天使の梯子なのか?
とはいえ、曇りがちで穏やかな春に舞い降りた絶好のシャッターチャンス。
デジカメのレンズを覗けばときらきらと地上に降り注ぐ光の柱が街と自然の景色を特別なモノに変えていた。
倍率を上げるか?
それとも角度が違うか……??
試行錯誤してレンズを覗いていると、光の中に人影が見えた気がした。
「……ん?」
レンズから目を離し、肉眼で確認し直す。
米粒くらいのサイズだけど、人っぽい影が確かに落ちて……。
鳥じゃないかともう一度レンズを覗きこみ、倍率を最大にして落下物を追う。
一瞬確かに映ったのは仰向けに落ちている人っぽい姿。
それは住宅街が広がる方面と真逆の、山側へと落ちて行った。
「おいおいおい……!」
俺はすぐさま自転車に飛び乗って走り出す。
山はこの河川敷から10分未満だ。
山側には公園や神社などの施設がある。
ここも野鳥や季節の花などを写真に収めることができる良スポットだ。
俺は勘を頼りに人影が落ちて行ったであろう林の中を進む。
「あの高さからじゃ多分……」
考えるだけでおぞましい。
だが写真家志望の性なのか、通報は市民の義務だからか、足は止まらなかった。
やがて、林が開けた場所に出る。
「……あ」
俺は思わず息を飲んだ。
そこにだけ降り注ぐ陽ざしの中で真っ白な少女が眠りこけていたのだ。
作り物めいた目鼻立ち、陶磁器のように滑らかな肌に、美しい透き通るような長い白髪。
そして、天女が着るような上品な白衣を纏っていた。
絵画から抜け出してきたと言われても信じてしまいそうな、この世の者とは思えない純粋な美貌。
俺はいつの間にかレンズを覗きこみ、彼女の寝顔にフォーカスしていた。
カシャッ……。
シャッターを切る音が木々の間に木霊した。
「ふあ~あ……ねむ」
瞬間、少女はあくびをしながら起き上がる。
寝ぼけ眼をこすりながら、俺を見上げた。
「ん? なんですかあなたは」
やばい……これ、もしかしなくても盗撮になるんじゃ……?
生きてきた中で多分一番脳みそが回転していた。
なんて言う? どうする? てかこの人は…落ちてきた人? 人、なのか? 綺麗すぎない? 作り物っぽい、どうしようマジでこのままだと盗撮犯だと疑われ――。
「あああああああ!」
少女は突如奇声を上げた。
「すみませんごめんなさい違うんです!」
俺はその場に土下座をし、地面に頭をこすりつけた。
いろいろ考えたけど俺にできることはこのくらいだ。
……警察だけは勘弁して!
「何急に謝って……ってそんなことはどうでもいいです! 人間よここは下界ですね? そうなんですね!???」
いきなり胸倉をつかまれて、がくがくと揺さぶられる。
「え、あ、下界って……ここは〇県〇市○○町ですけど……」
外国人なのかな? でも日本語喋ってるし……。
困惑していると、彼女はため息をついた。
「外国人ではありません。私は天使です。天使はその土地の人間と同じ言語を操るなんてわけありませんよ。まったくこれだから愚鈍な人間は……」
なにやら高圧的な態度で見下してくる彼女。
というかこの人、今……。
「俺の考えてることを……?」
彼女は俺の胸倉を離して、少し距離を開けた。
突如、彼女の背中には真っ白な翼が左右に展開した。
「これで私が天使だとわかりましたよね?」
何ならその翼をはばたかせ、少し浮遊して見せる彼女。
わー、マジで人間じゃなかったー……。
あまりの事に茫然とすることしかできない俺。
アホ面を晒していると、咳ばらいをした天使様が横目で尋ねてくる。
「さて、あなたには二つの選択肢があります。私の存在を何かで頭をぶつけてきれいさっぱり忘れるか、私の手によってあなたの寿命を終えるか。どちらか選んでください」
とんでもない提案?に唖然と目を見開いた俺は、一周回って冷静になった。
「えっと、どうしてですか?」
天使様は「ちっ、やはりそこを気にするか下等な人間め……」とドスの効いた悪態をつきながらもしゃべりだす。
「あなたはおそらく私が天界から落ちてくるのを目撃したのでしょう」
「そうですね…天使の梯子を撮ろうとしていたら……」
まさか天使が落ちてくるなんて思いもしなかった。
「ああ、下界ではそう呼ばれているのでしたね。違いますよ。あれは私達が寝落ちした時に起こるものです。要はおねしょと同じなのです。天界は暇……おっと平和ですから。睡魔に負けてたまに落ちる天使がいるのです」
「ええ……」
思わず引き気味の声が出た。
天使の梯子って天使の寝落ち現象のことだったのか、夢が壊れるなぁ……。
あとどうでもいいけど、この天使様なんか俗物じゃない?
「あなたにどう思われようとどうでもいいです下等な人間。それよりも下界に落ちた私の身の保身の方が重要。いくら天界が暇だろうと、寝落ちして下界に落ちたことが大天使様の耳に入れば私はダメな天使……『堕天使』として天界から追放されてしまいます」
なるほど、つまり……。
「それで俺があなたと会った記憶を忘れるか、目撃者である俺の寿命を終わらせるか選ばせようとしているんですね……」
納得納得……。
「ってなるか! 理不尽でしょこれ! 俺は写真家を目指すただの一般人ですよ!?」
天使様はこちらの事情はお構いなしに、片手に20キロはありそうなそこら辺の岩を、もう片手に天使の翼から引き抜いた一枚の羽根(何故か鋭い刃物のようになっている)を用意して俺に尋ねた。
「理解したのなら選びなさい人間。己が手で私と出会った記憶を忘れるか。私の手でその人生に幕引きするか……」
「そのサイズの岩で頭殴ったら記憶忘れる前に多分俺死にますけど!?」
「? 自分の手を汚すのが嫌と言うのならば私が手をかしてあげますよ?」
違う、そうじゃない。
天使様は天使のような微笑みを浮かべて岩を高々と振り上げている。
やばい死ぬ! 命の危機を目前にした俺は後ずさりながら必死に言葉を紡いでいく。
「まって、まってください! 落ち着いて話し合いましょうよ! 言いませんから! 俺絶対に天使様に会った事誰にも言いません!! だから一度その岩を下ろして!!」
要は俺が寿命で死ぬまで誰にも天使様に出会ったことを明かさなければそれでいい筈だ。
土壇場でよくそこに行きついたと俺は俺をほめたくなるが、まだ、天使様は岩を振り上げたまま。迷っているのか、それとも……。
「ふむ、よく考えればこの人間を葬ったことがバレた場合追放どころの騒ぎでは……でもバレなければ……いや、しかし……」
ぶつぶつ呟いて、やがて天使様は岩を地面に下ろした。
……地面陥没しましたよ?
「いいでしょう下等な人間よ。あなたが約束を守るのならば記憶の消去も、人生に引導を渡すこともする必要がありません……が」
今度は刃物のような羽を俺に突きつけてくる。
もう勘弁して!
「約束します! 絶対言わないので見逃してください!!」
命乞いをする俺を品定めするように睨んだ天使様は、やっと刃物のような羽を収める。
どうやら納得していただけたようだ……。
「いいでしょう」
天使様は真っ白な翼を羽ばたかせて宙に浮いた。
「私はいつだって天界からあなたを見ていますよ。ゆめゆめ忘れぬように」
優しい言い方なのになんて恐ろしい言葉だろう……。
「はい! 忘れません!!」
サーイエッサーと敬礼をする俺。
ばびゅん! と天使様は突風と共にその場から消えた。
俺は敬礼を解いてその場にへたり込む。
「や、やばかった……」
写真を撮りに雪山などの危険な場所に行くこともある俺だが、流石に今回はもうダメかと思った……。
常に行動を共にしているデジカメを撫でて、どうにか精神を安定させた俺はようやく立ち上がる。
「そういえば……」
デジカメのメモリーを呼び起こして写真を確認する。
「はぁ……この写真どこのコンテストにも出せないのか……」
メモリーには天使様の寝顔写真がばっちり残っていた。
最初のコメントを投稿しよう!