凍土に光射して

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 スヴェトラーナとの交流は、私にとって、凍てつくシベリアの冬に降りそそぐ、まさに太陽であった。収容所という閉ざされた空間の中でも、過酷な強制労働の中にあっても、仲間から孤立した中においても、彼女の存在がどれほど私の心を温めたことだろう。しかしその温もりは、やがて私を苦しめるものになりはじめた。  私は、いつまでこの収容所にいるのか。いつか日本へ帰る日が訪れるのか。そのときスヴェトラーナと会えなくなることに、私は耐えられるのか。そんな不安が、私の心を締め付けていった。日本へ残してきた婚約者への罪悪感と、スヴェトラーナとともに過ごす幸福感、そして捕虜として抑留されている身であるという現実。様々な感情に私の心は乱れた。だからこそ私には、スヴェトラーナと過ごす時間と彼女の笑顔を見られることだけが、地獄のような日々における唯一の喜びだったのだ。  1950年、初夏。  収容所に、近く解放されるという知らせが届いた。喜びに沸き立つ者、呆然と立ち尽くす者、感極まって涙する者、祭りのような騒ぎの中、私の心は重かった。解放は故郷への帰還を意味するものであり、同時に、それはスヴェトラーナとの別れを意味していた。  私の心を支配したのは、喜びよりも喪失の予感であった。この気持ちを彼女に伝えるべきか。解放の日が近づくにつれ、私の焦燥は募った。それをしたところで、私の、そして彼女の未来はなにも変わりはしないのだと、何度も、何度も、心に繰り返した。  しかし、そんな私の取り乱しそうな感情とはうらはらに、スヴェトラーナは収容所に来なくなった。彼女に何かあったのか、それとも私は何か気に障るようなことをしてしまったのか。  ひょっとしたら私の目を盗んで菓子を売りに来ていたのかもしれないが、いずれにせよ私が彼女の姿を見ることはなくなった。帰国の日が迫るほどに、私は落ち着かない日々を過ごし続けた。
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