凍土に光射して

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 1950年、夏。  ついにその日となった。突然やってきた何台ものトラックに私たちは押し込められた。収容所の門を、仲間たちは歓声を上げながら、あるいは涙しながら通り抜けた。私たちは解放された。スヴェトラーナの姿を見ることは最後までなかった。  そこからナホトカの港で船に乗り込むまで、私の記憶は途切れている。私のいた収容所からどれだけの移動であったのか。思い出せるのは引揚船のなかがひどく揺れて、ほとんどの者がぐったりとなっていたことと、そして、いつ、だれが紛れ込ませたのか、荷物の中から何かを折り包んだ紙が出てきて驚いたことだ。  表には、懸命に書いたであろう私の名前があった。たどたどしく揺れる線で、しかし確かに日本語で「佐藤健一さんへ」とあった。中から、小さな白樺の十字架が転がり出たとき、 「……サヨウナラ、ケンイチサン」 彼女の静かな声がシベリアの風に吹かれて消えていくのを、私は確かに耳にした。  帰国した私は、変わり果てた故郷で家族と再会を果たした。私を待ち続けてくれた婚約者と予定通り結婚し、喜びも束の間、戦後の混乱と貧困の中でふたたび生きるためにもがく日々が始まった。戦後の日本は、復興に向けて急速に歩みを進め、私も新しい生活に適応しようと努力した。仕事に就き、家庭を築き、人並みに幸せな生活を手に入れた。  私がシベリアでどのような体験したか、妻は何も知らない。話そうとしても言葉が出てこない。あの凍土の上での生活、過酷な労働、仲間たちの死、スヴェトラーナと過ごした時間、それらは私の中で凍りついたままだ。ただ、机の引き出しにしまった白樺の十字架だけが彼女の存在を確かに伝えてくる。  私は、幾度となく、彼女に手紙を書こうとした。しかし、住所もわからず、どうやっても手紙が届くとは思えなかった。  ある冬の日、私は窓から雪の降る様を見ていた。降り積もる雪はシベリアの雪原を思い出させ、空から舞い落ちる雪は天使の羽のようで、気まぐれに差し出した手のひらにふわりと舞い降りた。そのとき私は、はっきりと気づいた。  あの過酷な状況下で、私が本当に望んでいたのは、ただ、スヴェトラーナと共に、平和な世界で静かに暮らすことだったのだ。彼女の手を握り、彼女の温もりを感じながら、穏やかな日々を送ることこそが、ささやかな、しかし、それこそが私の最大の願いだったのだ、と。 "私は、彼女に生きる希望を与えられ、そして、あの凍土で彼女とともに生きたかったのだ。"  それは叶えようのない願いだった。彼女は白銀の地に咲く一輪の花のように、儚く、美しく、私の記憶の中で凍りついている。  私は、白樺の十字架を手に取った。彼方にひろがる白銀の地を思い浮かべ、祈りを捧げた。彼女が幸せであることを、ただただ祈った。それは、私にとって希望であり、そして贖罪でもあった。 (了)
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