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生きる気力
青く澄み渡る空の下、青年は重厚な石畳の道を一歩ずつ進んでいった。
目の前には竜人族の王宮がそびえ立ち、陽光を浴びて輝きを放っている。
王宮の尖塔は空へと突き抜け、細かな彫刻が施された大きな扉が迎えている。
扉の装飾には、幾千年の歴史を物語るような古の竜の紋様が浮き彫りにされていた。
青年はその紋様に目を奪われ、一瞬足を止める。
竜人族の伝説を思い起こさせるかのような、どこか神秘的な力を感じたのだ。だが、その感情を押し殺し、決意を新たにしたように顔を上げた。ここに来た理由を胸に刻み込むようにして、再び歩みを進める。
「おい、なんの用だ?」
「ヴィヴ王子に渡したい物がある」
門番たちは鋭い目で青年を見下ろし、言葉少なに視線で彼に問うた。
青年は真っすぐに彼らの視線を受け止め、静かに頭を下げる。すると、門番たちは頷き、扉を開いた。鈍い音が響き渡り、冷ややかな空気がその隙間から流れ出す。青年は躊躇うことなくその中へと一歩を踏み出した。
王宮の中に足を踏み入れた瞬間、彼はその威厳に圧倒された。
高い天井、重厚な柱、壁には色鮮やかな竜の絵が描かれ、その一つ一つが歴史の証人として彼を見下ろしているかのようだ。
青年は背筋を伸ばし、胸に秘めた覚悟と共に、まるで竜人族の歴史と共鳴するかのように、静かに歩を進めた。
(何度来ても慣れないな)
彼は緊張しつつも、前に進む。王宮の中を突き進み、ある部屋の前で足を止めた。
そこは、ヴィヴの寝室だった。
扉の前には屈強な竜人の兵士が立ち、室内の様子をうかがっている。
青年は扉を叩く前に深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。そして、拳を強く握りしめた。
扉が開き、一人の男が姿を現した。
白髪混じりの長い髪を後ろに撫でつけ、眉間には深いシワを刻んだ男だ。口元に髭を蓄え、青い瞳からは強い意思を感じさせるような、気高さを感じる。だが、その表情とは裏腹に、どことなく疲れ切った印象を与えた。
「これはこれは……レオンハルト様」
「バルム殿。ヴィヴはいるのか?」
「……ええ、いらっしゃいますよ。相変わらずのご様子ですが」
室内に通されると、中は真っ暗だった。
ランプの灯り一つ点っておらず、カーテンが締め切っている。薄暗く闇が広がる部屋の中央に置かれたベッドの上に横たわる人物がいた。
「……ヴィヴ」
「ああ……レオン、お前か」
弱々しい声と共に、青年の姿が闇の中にぼんやりと浮かぶ。
その顔色は悪く、青白い頬に、生気が感じられないほどに細い手足。病魔に蝕まれているかのように、身体全体が痩せ細り、その姿はあまりに痛々しく見えた。
レオンハルトは唇を噛みしめ、顔を伏せる。
「相変わらず、なんだな」
「もうどうでもよくなっちまってさ……」
自嘲気味な笑みを浮かべると、ヴィヴは虚ろな目を宙に向けた。
その顔に浮かぶのは、諦観に似たもの。
絶望という言葉では言い表せないほどの、深い闇。
その瞳は全てを拒絶するかのように何も映しておらず、もはやこの世の終わりまでずっとこのままであるかのように思えた。
「……今のお前を見たら、彼女はきっとガッカリするぞ」
「ガッカリも何も、アルマはもういねーんだよ」
彼がこうなってしまったのは、愛するたった一人の女性を事故で亡くしてからだ。
里帰りのために下界へ降りたアルマは、馬車での移動中、崖崩れにあって死亡した。
彼女の訃報を聞いたのは、彼女を迎えに行った一週間後のことだった。
それ以来、ヴィヴは自室に閉じこもり、外に出ることすらなく、生きる希望を失ったかのように、ベッドの上で過ごす毎日を送っていた。
アルマの葬儀も埋葬も行ったのは彼女の家族だったが、ヴィヴは棺桶の中の彼女と対面した時ですら、涙を流すことはなかったという。
葬儀が終わったあと、ヴィヴの家族や友人達が彼を元気づけようと努力したが、彼は決して部屋から出ることはなかった。
食事さえろくに取らず、まるで魂が抜けてしまったかのように、ただ自堕落な生活を続けている。
何ヶ月、何年経っても、その様子はまるで変わらないまま、日に日に彼の存在は薄くなりつつあった。
レオンハルトは拳を握り締め、黙って彼の姿を見詰めることしかできなかった。
「……説教しに来たんなら帰りな」
「お前に渡したい物がある」
レオンハルトは、ヴィヴの言葉を無視して話を続ける。
ヴィヴは興味なさそうに、視線を彼に向けただけだった。
レオンハルトは手に持っていた紙袋をベッドの脇にある机の上に置くと、その場から離れた。それは軽く、何かが入っているといった感じではなかった。
「食い物か?」
「開けてみろ」
ヴィヴは紙袋に手を伸ばし、中身を取り出した。
その紙袋から取り出されたのは、驚くほど精巧で美しい宝物だった。
布で丁寧に包まれていたそれをそっと広げると、淡い光がふわりと辺りに広がり、一瞬でその場の空気が変わった。
袋の中から現れたのは、まるで異世界から持ち込まれたような、神秘的なオブジェだった。
まず目を引くのは、ガラスドームの中央に浮かぶ細長い金の矢。
矢は真鍮のような光沢を放ち、尖った先端が鋭く磨き上げられている。
矢の一滴は、まるで精霊の涙のように透明な液滴がぽたりと垂れ落ち、その先に浮かぶ青い宝玉へと吸い込まれようとしているかのようだった。
その液体の一滴一滴が、永遠に続く瞬間の中で静止しているように見え、何か崇高な儀式を象徴しているかのようだ。
その下にある宝玉は、澄んだ青色をたたえ、内側でいくつもの星が煌めくように光っていた。
まるで小さな宇宙が閉じ込められているかのようで、その深淵な色合いは、見る者を吸い込むような魅力を放っていた。
宝玉の光は柔らかく、その周囲を包み込むように広がり、まるで息をしているかのように微かに揺れていた。
この精緻なオブジェが載せられている台座には、古代文字が刻まれており、それはこの秘宝の正体を示す謎めいた言葉か、あるいはその力を封じるための呪文なのかもしれない。
金と青が交差するその神秘的な構造は、単なる装飾品ではなく、遥か昔からの強大な魔力を秘めた聖遺物であることを感じさせた。
紙袋から出した瞬間、部屋全体が神秘的な空気に包まれ、ただ触れることすらためらわれるような畏敬の念が湧き上がった。
この宝物が、何か特別な役割を果たすために存在しているのは間違いなかった。
そして、手にした者に対して何かを伝えようとしているかのように、静かに、しかし確かに光を放ち続けていた。
「これは……?」
「下界の盗賊団を絞めた時に、奴らがもっていた。魔力を流し込むと、なんでも願いが叶うようだ」
「……なんでそれをオレに?」
「いつまでも辛気臭いツラされてたらかなわん」
相変わらずな物言いに、ヴィヴは思わず苦笑する。
そして、思わずレオンハルトの顔をじっと見詰めた。そこには何故か安堵の色が浮かんでいた。
普通の者ならば、その精緻な作りと美しい輝きに心を奪われ、宝物をただうっとりと眺めるだけかもしれない。だが、彼は違うのだ。
その目は、この宝物の真価を見抜こうとしていた。
レオンハルトは、この聖遺物の正体を見抜いていた。そしてそれを彼に渡せば、きっと何かが起こるだろうと確信していたのだった。
ただ、喪失感に打ちひしがれる彼に、生きる希望を見出して欲しいという願望もあるにはあったが。
(とりあえず、やってみるか)
ヴィヴは、その宝物にそっと手を伸ばした。そして、その表面に触れると、まるで生命が宿っているかのように脈打ち始めた。
それは、魔力の共鳴だった。
この聖遺物は魔力を持つ者にしか扱えないのだということを悟ると、ヴィヴはその魔力をゆっくりと流し込み始めた。すると、それに反応して聖遺物は輝きを増していく。
その光は次第に強くなり、部屋全体を照らし出すほどになった。
光が止んだとき、青い宝玉が赤へと変わった。
「…………で? 宝玉の色が変わった以外は、何も起きねーけど」
「お前の願いは叶えられたという証拠だと思うぞ」
「んん? そうなのか?」
「どうせお前の願いは『アルマに会いたい』だろ?」
「……ああ」
ヴィヴは自嘲するように、力なく笑う。
「死んだ人間は生き返らない。だが、生まれ変わる可能性はある」
「それって……!」
「……生まれ変わるとしても、いつになるかはオレにもわからん。10年先か20年先か。最も、その程度なら竜人族のオレ達にとっては瞬きの間だが」
ヴィヴは聖遺物をぎゅっと握りしめ、祈るように目を瞑る。
そして、ゆっくりと目を開けた。その瞳には、強い意志の光が宿っていた。
それは、かつての彼を彷彿とさせるものだった。
その表情には、もう迷いはない。
彼は顔を上げると、真っ直ぐにレオンハルトを見詰めた。
その瞳には、もう悲しみの陰りはなかった。ただ前を見据える強い意志だけが感じられる。
その目を見た瞬間、レオンハルトは思わず息を呑んだのだった──。
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