村娘のジルベルタ

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村娘のジルベルタ

モスウッド村は、山々に抱かれ、深い緑に覆われた静かな村だ。道を進むたびに、密集した木々の合間から陽光が柔らかく漏れ、足元にはしっとりとした苔が一面に広がっている。 村に入ると、風に乗って漂う湿った土の匂いや、草木が放つ瑞々しい香りが鼻をくすぐり、心がどこか安らいでいく。 村の家々は、木造の小さな家がほとんどで、屋根には年月を重ねて苔が張り付き、まるで自然の一部であるかのように静かに佇んでいる。 住人たちは少なく、通りすがる人々が交わす言葉もささやきのように穏やかだ。誰もが互いの顔を知っているため、見知らぬ客が訪れると、少しだけ好奇心に満ちた視線を向けるが、すぐにまた日常の静けさに戻る。 村の中心には古い石造りの井戸があり、毎朝、村の女性たちが水を汲みにやってくる。 その井戸は、村の歴史を見守り続けてきたかのように存在感があり、彼女たちは井戸の縁に腰かけては、静かな笑みとともに穏やかに世間話をする。 時折、どこからともなく小鳥の囀りが聞こえ、森の奥では鹿が悠然と歩いているのが見える。 夜になると、深い闇に包まれ、静寂が一層村を包み込む。木々のざわめきと共に遠くでフクロウが鳴く声が響き、それが村に神秘的な空気を漂わせる。 モスウッド村は、時の流れを忘れたかのような場所であり、訪れる者の心を静かに癒してくれる隠れ里だった。 「お父さーん!」 彼女は、まるで小さな村の風景に溶け込むかのように自然でありながらも、その場にいるだけで周囲を明るく照らすかのような輝きを放っていた。 金色の髪はさらさらと風になびき、太陽の光を反射して柔らかな光沢を帯びている。瞳は澄んだ青色で、見る者にまっすぐと向けられるその眼差しは、どこか純粋で愛らしい。 「おや……ジルベルタ。どうかしたのか?」 ジルベルタの父であり、モスウッド村の村長でもあるゼラムは娘の声に振り向いて微笑んだ。 ゼラムの見た目は初老の男性といったところだが、若い頃は相当な腕利きの冒険者だったという話を聞いたことがある。 白髪混じりの金髪を短く切り揃えており、細身の長身ながら引き締まった身体つきをしている。その佇まいはどこか気品すら感じられ、優しげな表情は穏やかな海の波を連想させる。 「見て見て! マリーさんに仕立ててもらったの!」 彼女が纏うのは、白いブラウスと赤いスカートの組み合わせ。ブラウスにはさりげないフリルが施されており、首元には小さな赤いリボンが結ばれている。 そのリボンは、シンプルながらも彼女の愛らしさを一層引き立てるアクセントとなっている。 スカートは明るい赤色で、裾にはレースがあしらわれており、どこか控えめでありながらも温かみを感じさせるデザインだ。 足元には赤いパンプスが揃えられ、全体として落ち着きのある可愛らしさが漂っている。 彼女が微笑みながら村を歩くと、周囲の人々も自然と笑顔になり、心が和むような空気が流れる。 「ほほぅ……いつもながらマリアンヌのセンスのピカイチだな」 マリーことマリアンヌは、モスウッド村一番の縫製技術者だ。服飾工房を構え、村の住人たちの衣服や小物類を数多く手掛けており、彼女の才能は、王都の大手デザイナーからも認められるほどである。 そのマリアンヌによる仕立てられた服は、ゼラムの娘ジルベルタをさらに可憐に飾り立てていた。 「えへへ〜。マリーさんの工房にはね、可愛い洋服がたくさんあってねー。ついつい散財しちゃいました!」 満面の笑みで微笑むその顔は、可愛らしい妖精のようにも見え、まるで周囲が明るく照らされていくかのようだ。 その笑顔を見るだけで、ゼラムの心は安らぎを覚え、同時に温かい感情がこみ上げてくる。 「あ、いっけない! 私エメの手伝いする約束してたんだった。行って来るねー!」 「わかったわかった。少し落ち着きなさい」 ぴょん、と軽やかに跳ねるように駆けていく少女を目で追いながら、彼は微笑を浮かべる。 彼女も年頃になり、だんだんと成長していく姿を愛おしく感じると同時に、寂しさを感じる複雑な感情もあった。 幼い頃は、どこに行くにも後ろをついてくるぐらいべったりだったのに、今ではすっかり離れてしまって寂しさが募る。 だが同時に、日々成長していく姿に嬉しさも感じていた。 「……どうか、この先何事もなく平和に過ごせればいいが……」 ゼラムはそう願いを呟き、自室へと戻っていった。 「エメー!」 山々と深い森に囲まれた辺鄙な村であるモスウッド村に訪れる人はほとんどいない。 そんな静寂の中にひっそりと佇む小さなカフェがある。看板には木の葉のデザインが施され、風が吹くたびにカランと鳴る小さな鐘が入口に吊るされている。 店内に入ると、木の香りが漂い、素朴で温かな雰囲気が広がっている。 このカフェは、どこか懐かしさを感じさせるような造りになっており、木製の家具が優しい光に包まれている。 古びた本棚には村の歴史や、ここを訪れた人々が残した詩や短編がぎっしり詰まっており、ページをめくるたびに誰かの思いが今に息づいているようだ。 カウンターの奥では、年配のマスターがゆっくりとコーヒーを淹れている。彼はモスウッド村で生まれ育ち、このカフェを守り続けてきた。 マスターは多くを語らないが、その優しい眼差しは、訪れた客にそっと寄り添ってくれるかのようだ。 彼の手で淹れられるコーヒーは香ばしく、村で採れた蜂蜜やハーブを使った自家製ケーキも評判で、村人やたまに訪れる旅人の心を和ませている。 窓の外を眺めると、木々が風に揺れ、遠くに鳥たちの囀りが聞こえてくる。夕暮れになると、森の静寂がさらに深まり、カフェの灯りがぼんやりと村の通りを照らし出す。 「あ……ジルベルタ……」 「どうしたの? 元気ないね」 エメが暗い顔で彼女を出迎えた。 彼女はこのカフェで働いているが、何故か元気が無い。 ジルベルタは心配そうに彼女の手を取りながら優しく声をかけた。 「緑牙族(りょくがぞく)のこと、知ってる?」 「緑牙族……?」 「緑色の肌が特徴的なエルフの戦闘民族よ。そいつらがラズリ村を襲ったらしいの」 「ええ!?」 ラズリ村はここから少し離れた場所にある小さな村だ。 ラズベリーやブルーベリーといったベリー系のフルーツを中心に、リンゴやブドウなどさまざまな果物が採れるため、商品の全てはこの村を経由して他の土地へと運ばれていく。 ラズリ村の市場で売られている商品の大半をモスウッド村が担っていると言っても過言ではない。 緑牙族は族長を長とした集団で、一族は全て深い森の奥地に住んでいるという。 その緑牙族が、ラズリ村の村民たちを虐殺したというのだ。 「そんな……」 「おかげ様でフルーツの仕入れが出来なくて、デザートが作れないの。せっかくのカフェなのに、デザートがないなんてお客さんもがっかりよね」 「そ、そんなことよりラズリ村のみんなはどうなったの!?」 「ほぼ全滅よ。死亡者と行方不明者が大半。なんとか逃げのびた人も大怪我をして重傷」 ジルベルタは言葉を失い、ただじっと立ち尽くすしかない。 彼女が幼い頃に見たラズリ村の活気ある情景を思い出し、美しい木々や畑が鮮血で染まる光景が頭をよぎる。 「許せない……」 「私もそう思うわ。でも、相手は戦闘民族よ。私たちに勝ち目はないわ」 エメは淡々と事実だけを述べる。 「そういう訳だから、今日はもう店仕舞い。ごめんね、お手伝い頼んでおいて」 「う、ううん! また何かあったら呼んでね」 「ええ。フルーツの仕入れ先が決まったら、またお願いするわ」 カフェを閉店し、片付けを始めたエメ。 ジルベルタはしばらく顔を伏せていたが、やがてゆっくりとカフェを後にした。 (緑牙族が……なんで……) 先程のエメとの会話が延々と脳内に繰り返し再生される。 緑牙族は樹海から出て来ないため、その姿を見た者はごく僅かだ。彼らに関する情報もかなり少ないとされている。 その彼らが何故、戦闘民族と称されているかというと──太古の昔、空の覇者である竜人族が地上を征服しようと攻めてきたのだ。 空中からの攻撃で翼を持たぬ地上の者達は手も足も出なかった。 軍の士気が下がり、諦めかけたところ、緑の肌を持つエルフ族が立ち上がり、竜人族の軍団を撃退したという。 (……まぁ、ただの言い伝えだし風の噂みたいなものよね) それより解せないのが、樹海から基本的に出て来ない彼らが何故今さらになって村を襲ったのか。 英雄として言い伝えられている緑牙族は、所詮人間たちがでっちあげた作り話だったという事か。 ジルベルタは、カフェでの出来事を思い起こしながらふらふらと歩いていると、いつの間にか村の広場まで来ていた。 そこは小さな噴水があり、子供たちの遊び場として親しまれている場所だ。夕暮れ時という事もあり、遊んでいる子供は誰もいない。 「あら、ジルベルタじゃない」 突然名前を呼ばれ、振り返るとそこにはマリアンヌがいた。 純白のワンピースに身を包み、可憐な雰囲気を漂わせている。 彼女の手には、小さなバスケットが握られており、中には数個のパンが入っていた。 「マリーさん!」 「買った服さっそく着てるのね。よく似合ってるわ」 「えへへ、ありがと〜」 マリアンヌはこの村で唯一、ファッションについて造詣が深い人物だ。彼女は物静かで落ち着いた性格をしており、村人達からは母親のような存在として慕われている。 マリアンヌはバスケットからパンを一つ取り出し、ジルベルタに差し出した。ジルベルタはそれを受け取り、噛り付くようにして食べる。 ほんのりとした甘さと香草の香りが口の中に広がり、自然と笑みが零れた。 「美味しい?」 「うん! すごく!」 「良かったわ」 そんなやり取りをしつつ、二人はベンチに腰掛けた。夕暮れ時の村をぼんやりと眺めつつ、パンを食べる。 村では穏やかな時間が過ぎており、木々のざわめきだけが響いていた。 そんな時、マリアンヌがぽつりと呟いた。 「ラズリ村のこと……聞いた?」 「………うん」 「そう……仕事で何度か行ったことあるけど、まさかこんな事になるなんて……よりにもよって、あの緑牙族に……」 「あの言い伝えって本当なの?」 「わからないわ。緑牙族にしても竜人族にしても謎だらけなんですもの。私たち人間が立ち入れない場所に住んでいる……その姿を拝められるのは一生に一度あるかないかって言われてるくらいよ」 「そ、そんなに?」 ジルベルタはごくりと生唾を飲む。 そこまで言われている伝説上の種族が襲ってきた事に得体のしれない恐怖を感じる。 マリアンヌも深刻そうに顔を俯かせたまま動かない。辺りの空気がずっしりと重くなってしまった。 (だめだめ……嫌な方に考えちゃだめ!) ジルベルタはぱんぱんと頬を叩き、なんとか気持ちを切り替えようとするがうまくいかない。 「でも……ふふ、そうね。貴女ならきっとどんな環境でもたくましく生きていけそうね」 「えっ? それ、どういう意味?」 「そのままの意味よ」 マリアンヌは意味深な言葉を残し、ゆっくりと立ち上がる。 そして、ジルベルタに手を振りながら去っていった。 その後ろ姿を見つめながら、彼女は首を傾げるしかなかった。
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