山で出会った不思議な人

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山で出会った不思議な人

オボロ山の静かな山道は、まるで時が止まったかのようにひっそりと佇んでいた。 日差しが木々の隙間から差し込み、細かな葉の影が地面に複雑な模様を描いている。 その影は、まるで木々の囁きが形になったように、風に揺られては淡く消えていく。 道の両脇にはふかふかとした苔が広がり、足を踏み入れれば柔らかな感触が足裏に伝わってくる。 人気のないこの道では、時折鳥のさえずりが遠くから聞こえるだけで、それ以外はただ静寂が支配していた。 「うー……ここの山道歩きにくいなぁ」 道の奥に進むにつれて、草木の香りが一層濃くなり、空気にはほんのりと湿り気が混じっている。 苔むした古い石段が不規則に続き、どこか神聖な気配を感じさせる。 訪れる人も少なくなった今、ここは自然のままに戻ろうとしているかのようだ。 歩みを止めると、風の音が耳元をかすめる。その音は、まるでこの道が昔から見守ってきた秘密をそっと語りかけているようだった。 「……ん?」 視界の隅に何やら見慣れない人影を見た気がした。 茂みに覆われていてはっきりとは見えなかったが、人が倒れているように見えた。 籠バッグを胸に抱いて、恐る恐る近づくとうつ伏せに倒れている青年がいた。 「だ、大丈夫ですか!?」 ジルベルタは慌てて青年を抱き起こす。彼のサラサラした紫色の髪が揺れた。 とくに目立った外傷はない。服装の乱れもないことから、怪我はしていないようだ。 病気か、もしくは具合が悪いのだろうか。 ジルベルタが何度か呼びかけると、青年の目が薄らと開いた。 「う……」 「大丈夫!? 立てますか!?」 ぐうううぅぅぅ〜〜〜〜。 彼女の必死な呼びかけに答えるかの如く、鳴り響く盛大な腹の音。 「おなか………すいた…………」 「…………………………」 山頂に着いたら食べようと思っていたサンドイッチがみるみると青年の腹へ収まっていく。 ジルベルタは呆気にとられながらも、彼が満足するまでずっと見守っていた。 「おいしー! きみ料理上手だね!」 「…………ありがとうございます」 結局青年はジルベルタが作ったサンドイッチを全て完食してしまった。 (私のお昼なくなっちゃった……) 彼は満足げに息をつくと、手についたパンくずを払って立ち上がった。 改めて青年を見ると、すらっと背が高く細身で整った顔立ちをしていることが分かった。 肩まで伸びた深い紫色の前髪が彼の神秘的な魅力を強調し、その髪がふわりと揺れるたびに、冷たい夜風が肌を撫でるように感じられる。 髪と同じ色の瞳は、長いまつ毛の下で瞬きするとキラキラ光って宝石のように綺麗だ。 不思議な雰囲気を持った青年だった。 「きみが優しい人で助かっ……えええ!?」 「うわっ!? な、なんですか!?」 「よく見たら……きみアルマちゃん!? アルマちゃんだよね!?」 「へ!? え!?」 彼はジルベルタの姿を確認するやいなや、目を丸くした。まるで大発見!と言わんばかりに目が輝く。 一体誰のことだ?と首を傾げるが、彼は気にせず続ける。 「アルマちゃん、その格好可愛いねー! どこで買ったの? ここら辺で服屋さんなんてあったんだね!」 「えっと、あの」 「こんな所でアルマちゃんに会えるなんて、オレめちゃくちゃツイてるなー! アルマちゃんどこに住んでるの?」 「ちょ、ちょっと待って下さい! 私アルマさんじゃありません!」 「へ?」 彼はぽかんとした表情でジルベルタを見た。 「私は、ジルベルタ・カートミックです」 ジルベルタがアルマではないことを理解すると、今度は顔を青ざめて頭を抱える。 そして彼は再びジルベルタを見て、また頭を抱えた。 その一連の動作を何度も繰り返している。 ……どうやら悪気はないらしいが、落ち着きがない人だなとジルベルタは思った。 「えー……あぁ、そうか。そうだったな……記憶ないのは当たり前だよね……人生二周目でも記憶は引き継がれないのかぁ……」 ぶつぶつと小声で何やら呟いている。 ジルベルタは聴き取れなかったが、落胆しているらしいことは表情から読み取れた。 ジルベルタが戸惑っていると彼はようやく気づいたように顔を上げた。そして申し訳なさそうに頰をかいた。 「ごめんね、人違いだったみたい! オレはラインハルト・ヴァルデン。知り合いによく似てたから間違えちゃったよ」 「いえいえ。ところで、ヴァルデンさんはどうして……」 「ヴァルデンさんじゃなくて、ラインでいいよ! 友達にもそう呼ばれてるし!」 「じゃあ、ラインさんで。どうして行き倒れていたんですか?」 「久しぶりに山登りでもしてみようかなーって思ったら、ここ意外にキツくてさ〜! しかも道に迷っちゃってお腹すいて体力の限界で倒れちゃった!」 彼は爽やかな笑顔で肩をすくめる。 道に迷って、疲れて行き倒れたというのか。 俗世とかけ離れた神秘的な容姿と雰囲気を持ちながら、ドジでおバカで抜けているところが憎めない。 (なんだか不思議な人ね……) ここまで勘違いされるほど似ている人とはどんな人物なのだろうか?と疑問に思うも、他人のことを気にしても仕方がないとすぐに思い直した。 「ジルベルタちゃん……うーん、なんか長くて言いにくいなぁ。ジルちゃんでいい?」 「はい。そう呼ばれるのは初めてなので、なんだか斬新です」 ジルベルタが微笑むと、ラインハルトは嬉しそうに顔をほころばせた。 その笑顔があまりにも無邪気で、ついつられて笑みが溢れる。 「ジルちゃんはどこに住んでるの?」 「モスウッド村です。山を降りたらすぐ近くにありますよ」 「なるほど〜。それでどこに向かってたの?」 「山頂です。ミズホノカっていう花を摘みに」 「ミズホノカ? それが山頂に咲いてるの?」 「はい。もうすぐ母の命日なので、母が好きだった花をお墓に飾りたいんです」 ラインハルトはしばらく考えて、そして何かを決めたようにジルベルタを真っ直ぐに見た。 その真面目な表情に、自然とジルベルタの背筋が伸びる。 ラインハルトはわざとらしいほどに朗らかに笑い、そしてわざとらしく声を一段高くして言った。 「サンドイッチのお礼! よーし、オレが山頂まで連れてっちゃうよー!!」 「えっ??」 バサァと彼の背中から大きな翼が生えた。 その表面は、複雑な鱗の模様で覆われ、太陽に反射して深い青と銀の光を放っている。 その翼が広がるたび、空気がざわめき、重厚な風が地を撫で、彼の存在感が一層際立った。 翼の端からは、まるで切り裂くように鋭い爪のような突起が伸び、まるで古代の剣のように力強く輝いている。 その翼を動かすたび、筋肉が力強く脈打ち、その下に流れる血潮が薄く透けて見えることさえある。 その血の色は深紅で、彼らの生命力を示すかのように強く、熱く脈打っている。 翼の音は、雷鳴のように低く響き、ジルベルタの心を震わせた。 「ラ、ラインさ──」 「捕まってて! 飛ぶよー!」 「ひゃああああぁぁ!!!!」 ジルベルタはラインハルトに抱えられ、そのまま空へ舞い上がった。 木々のてっぺんを見下ろす高さにいると分かると、足元が妙にひやりとした。 空気が冷たいと肌が感じていた感覚が、それをふわりと包む感覚へと変わる。 森の端からあふれる光が煌めきになって世界を飾り、時折鳥の鳴き声まで聞こえてくる。 「どう? 気持ちいいでしょ?」 「はい……すごいです!」 ラインハルトは得意げに笑い、翼をゆっくりと羽ばたかせている。 今は朝靄が残る景色の中、山間を縫うように飛んでいた。 少し肌寒い風を受け、空気が澄み渡ったことにより大気が綺麗に見える。そしてなにより光が山を、木々を神秘的に照らしている。 この神聖な景色を目にする度に胸が高鳴って、この世界の美しさに心惹かれる。この心地いい感覚が好きだからこそ、山はあり続けるのだと強く感じる。 「はい、着いたよー」 「す、すごい。あっという間だった……」 山頂まで空の旅はほんの十数分。 にもかかわらず、意識しないうちに時間は過ぎていた。まるで時が止まってしまったかのように、この景色にずっと浸っていたいと思った。 「あ! あれ! ミズホノカだ!」 ジルベルタの指差す先に、白い花々が咲き誇っているのが見えた。 花弁の先は釣り鐘状で、太陽の光を受けると眩しく咲いている。 まるで宝石のように純粋な白色が何輪も包み込んでるようだった。 小さなその花は、風に吹かれてゆらゆらと揺れる。 「綺麗……」 「天国のお母さん、きっと喜んでくれるよ」 ラインハルトはそう言って白い花をひとつ摘み取る。 そしてジルベルタに手渡した。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」 ジルベルタは花を受け取ると、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。甘くて優しい香りがする。 この花の香りが母に届くようにと願いながら。 「……ねぇ、ジルちゃん」 「はい」 「きっと……ううん、絶対だと断言する。近々きみを迎えに来てくれる人が現れる。その人は、きみを幸せにしてくれるはずだから」 「………え?」 「だから、その時を待っててほしいんだ」 さっきまでのおふざけモードとは打って変わって真面目な顔をして、ラインハルトはジルベルタの瞳を真っ直ぐ見た。 だがその言葉の意味がよく分からず、ジルベルタは首を傾げた。 「えっと、それは……」 「今はまだ詳しいことは言えないけど……信じて待っててくれないかな? さっき会ったばかりのオレの言うことなんて信用できないかもしれないけど……」 「………」 ジルベルタはしばらく考えて、そして頷いた。 ラインハルトの真剣な眼差しと強い意志を感じ取ることができたからだ。 それに、彼が嘘を言っているようにも見えなかった。 「……わかりました」 「よかったぁ! ありがとう!」 ラインハルトは安心したように顔をほころばせる。その笑顔につられてジルベルタも微笑んだ。 「じゃあオレはもう行くよ」 そう言って翼を広げると、ふわりと体が宙に舞う。風圧で花びらが舞い上がる中、彼は空へ飛び立った。 (……あ) あの人まさか竜人じゃ……。 問いただす暇もなく、彼はあっという間に空の彼方へと消えてしまった。 ジルベルタは呆然として、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。 「私を迎えに来るって……どういうことなんだろ?」 下山してる途中、ジルベルタはラインハルトの言葉の意味を考えていた。 迎えに来る人……ということは、運命の人ということなのか。 (いや、それはいくらなんでも夢を見過ぎよね) 考えれば考えるほど分からなくなってくる。 その時を待っててほしいって言っていたけど、いつ来るんだろう?そもそも本当に来るのだろうか。 それにあの翼は一体……?考えれば考えるほど謎が深まっていくばかりだった。 「……えっ!!?」 考えるだけ無駄かと顔を上げた時だった。 夕焼けと混ざり合った赤黒い煙が、静寂を破るように空に向かって渦巻いているのが見えたのだ。 「モスウッド村が……燃えてる!?」 燃えさかる村が、遠く谷間に見え隠れする。 オボロ山の澄んだ冷たい空気の中に、焼けた木材の焦げ臭い匂いが微かに漂い、風が村からの断末魔のような音をこちらに運んでくる。 山肌をなぞるように風が流れ、遠くからでもはっきりと見える炎が、村の境界を飲み込むかのように広がっていた。 家々の形が崩れ、瓦が落ちる音が山々に反響し、静かな自然の中に不気味なリズムを刻む。 その光景は、自然の静寂と人の哀れさを対比させ、異様な美しさと悲惨さが一体となっていた。 「た、大変……! 早く帰らなきゃ!!」 ジルベルタは村に向かって駆け出した。
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