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夫の裏切り
「レティシア、君に離縁を言い渡す」
十年以上連れ添ってきた夫に言われ、私レティシア・オルコットは目を見開いた。
一瞬何を言われたかわからなかった。
「跡継ぎを産めない女は男爵夫人に相応しくない」
「跡継ぎを産めないって……何を言っているの?」
確かに私たち夫婦には一人も子供がいない。
十八歳の時に嫁いで来て、私は二十八歳で夫のアルノーは三十二歳。
後継問題を考える時期で、だからこそ今日養子についての相談をする筈だったのに。
「後継者の準備ならもう出来ている」
「……準備?」
「そうだ、入ってくれシェリル」
アルノーが扉に向かって呼びかけると、それはすぐに開いた。
そして恐らく私よりは若く、腹を膨らませた女性が入ってくる。
私は先程の夫の言葉とシェリルという女性の存在で大体の事を察した。
泥のような失望が心を満たしていく。
「彼女はシェリル・エヴァンス。子爵令嬢だ」
「子爵令嬢……?この方が」
「そうだ今年十八歳になる。彼女とは君と違って恋愛結婚だ」
「……つまり、アルノー。貴男はこのお嬢さんを男爵夫人にしたいということ?」
「私の後継者を生む女性なのだから当たり前だろう」
「ふふ、ごめんなさい奥様。順番が逆になってしまいました」
平然と言い放つ夫と、悪びれもせず微笑む愛人。
これはいわゆる略奪婚の渦中なのだろうか。
怒りよりも呆れと、憐れみと、そして解放感を感じる。
「そう、なら私はもう貴男の妻という立場を辞めていいのね?」
私が笑顔で尋ねるとアルノーは戸惑ったようだった。
泣いたり怒ったりするとでも思ったのだろうか。
「あ、ああ……離婚原因は君にあるが少しは財産を分けるつもりだ」
恐らく慈悲深い物言いをしているつもりの夫に初めて怒りがわいた。
離婚されることが嫌なのではない。若い娘に乗り換えられたのが悔しい訳でもない。
「私が……離婚原因?」
「そうだ、先程言っただろう。跡継ぎを産めない女は男爵家に不要だと」
「……子供なんて欲しくないと言ったのには貴男なのに?」
私の言葉に今度は夫が目を見開いた。
そう、彼は確かに言った。十年前嫁いできた私に子供なんて欲しくないと。
自分は父親に虐待のような厳しい躾けをされてきた。母親は一切庇ってくれなかった。
だから自分に後継が出来てもきっと同じようにしてしまう。
自分のような不幸な子供を生みだしたくないと泣きながら私に言ったのだ。
十年前の私は、アルノーを心から愛していた。
だからそれに頷いた。
そんなアルノーの両親たちが跡継ぎを生まない私にどんな仕打ちをするか覚悟の上で。
私は貴男の為に子供を持たない選択をしたのに。
一昨年義父が亡くなり、彼は確かに呪縛から解放されたと思った。
それからどこか浮ついた様子なのもそれが理由だと思い込んでいた。
でも実際の理由は厳しい監視役が居なくなって羽目を外しただけだったのね。
「そんなこと、言ったかな」
「そう、忘れてしまったの」
「大体子供が欲しくないからって出来なくなる訳ないだろう。お前の体質だ」
「わかった、もういいわ」
少しでも申し訳なさそうな顔を彼がしてくれたら、まだ私も彼に真実を伝えることが出来たかもしれない。
「貴男が忘れたというのなら、私も忘れることにしましょう」
その方の子供を可愛がってあげてね。
私はそう微笑んだ。
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