利用価値のある都市伝説

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 結婚してなかなか子ができず、検査してみたら妻の身体に異常があることがわかった。これからは夫婦2人で生きてゆく。都会のマンション住まいだったが郊外のこの街に越してきた。家は妻が探してきた。かなり走りまわったらしい。おかげで良い家に住めることになった。庭も広い。ゆとりのある生活にしようと話しあった。  ところが近所に荒れ果てた空家がある。  家は窓ガラスも割れて、壁も黒ずんでいる。  若者やホームレスが集まってきてきやしないか心配だ。  この街はスーパー、病院、学校が適度にそろっている。あの家も更地にして売ればけっこうな値段がつくのではないか。不動産会社はなぜあの家に手をださないのだろう。商店街の人々にきいても皆「さあ?」と苦笑いするばかり。  ある夜、残業で遅くなった。  あの家に入って行く人影をみた。それから何回か、人影をみた。暗闇に身をかくし、そそくさとさらに黒い暗闇に呑まれていく。  すでにホームレスが住みついているのではないか。  家は雑草で覆われているのに、玄関までの空間だけ人々に踏みしだかれ草も生えない。  夜になるとその家だけぽっかり黒く浮きあがる。  隣近所とは、朝夕の挨拶はするがそれだけでつきあいはない。あの家はいったい何なのか、きく知人もこの街ではできていない。    角の家で葬式があった。  妻が香典袋を手にしている。 「今月は2度目だわ。よく知らない家のお婆さんなんだけど」 「親しくしくもないのに香典渡すの?」 「回覧板がまわってくるのよ。うちだけださないわけにいかない」  そういうものなのか。 「それに親しくないのは皆そうなの。うちだけじゃない。この辺の家、どこもご近所づきあいはしない。立ち話さえしないわ」 「え、そこまで人間関係が希薄な土地なんてあるのか」 「引っ越しが多いからからもね」 「この辺はそんなに引っ越しが多いの?」 「多いわよ。この街のこの一角だけだけど。あなたは家まわりのことに興味がないから」   妻が「ふふっ」と目を細めた。  家まわりのことは妻がすべてやってくれている。食事、掃除、洗濯も妻だ。妻は在宅ワークなのでどうしても家事は妻の負担になってしまう。僕が帰宅する頃には買い物も夕食の用意もすんでいる。  妻はときどき「休みの日ぐらい家事してよ」と言っていたが、生返事をしビールを飲んでごろごろしていたらなにも言わなくなってきた。  最近、運動もしないしビールの飲み過ぎでどうも調子がわるい。ジムでも通おうか。なんとなく動くことが億劫になってきている。  妻はよく働く。  家もきれいだ。  食事もおいしい。  ただやはり子供がいたら、と考えてしまう。スポーツ全般が苦手だが男の子だったらキャッチボールをしなくてはならないのだろうか、血のつながる子供は本当に親に似るのか、女の子だったらどこであんなかわいい洋服を買うのか。あきらめたはずなのに日常に隙間ができるとぼんやりそんなことを考えてしまう。    残業で終電を逃した夜のこと。  会社近くのホテルかタクシーかで悩み、金額が同じぐらいだったら家で寝ようとタクシーで帰った。  くたくたで早く横になりたい。なのにおしゃべりな運転手に当たってしまってずっと話しかけられている。眠気と戦い、適当な相槌をうっていたら住んでいる街に近づいてきた。 「そういえば先日乗せたお客さんが昔ここいら辺に住んでたって言ってたなあ」  新しい話題に進んでしまった。 「なんかお化け屋敷があるって話ですよ。誰も住んでいないし夜なんか真っ暗なのに人の出入りがあってなにしてるんだろうって」 「へえ、なにしてるんだろうねえ」 「それがねえ、お化け屋敷がある辺りの土地はおかしいとかなんとか」 「おかしいって?」 「お客さんひどく酔ってたし、冗談かも」  運転手は急に話を曖昧にしてきた。 「お化け屋敷にどうして人の出入りがあったって?」 「うーん、それがオカルトみたいな話で」  運転手は話すことを嫌がっていたがたたみかけた。 「困ったなあ、話広げないでくださいね。この辺の土地にケチがつきますから」  うんうんと頷いて話の先を促した。 「お化け屋敷のなかに入って死んでもらいたい人の名前を書くと書かれた人は死ぬらしいです。名前を書くのは家のなかならどこでもよくて、皆、奥まで行く勇気がないのか玄関の壁は人の名前で真っ黒。ただ願いを叶えることができるのは家が建ってる一角に住む人だけで、そこに越さないと願いは叶わない。その一角に引っ越して、家のなかに名前を書いて、憎い相手が死んだらまた引っ越す。殺す相手は意外と家族が多いらしいです。不思議ですね、赤の他人じゃなくて憎む相手がそばにいる者だなんて」 「どうしてそんな恐ろしいことが起こるんだろう」 「わからないそうです。家も普通の家で、築10年ぐらいとか。一番最初に住んでいた人達も普通の家族で普通に越して行ったそうです」  タクシーは街のなかに入ってきている。  窓からあの黒い家がみえてきた。 「あ、そこで止めてください」  僕がそう言うと運転手はぎょっとした。  まさか僕が、その一角に住んでいるとは思いもよらなかったのだろう。  支払いを済ませると運転手はそそくさと去って行った。    そうして僕は今、黒い家に入ろうとしている。  入って妻の名を書こうとしている。  妻に憎しみはない。  それどころか感謝している。  ただどうしても自分の子供がほしい。  妻に非がないので離婚しにくい。  僕には愛人がいる。  最近、愛人が僕との子供がほしいと言い始めた。潮時だ別れようと思っていたが子供のいる生活があきらめきれない自分に気がついた。妻がいなくなってくれれば僕は自分の子供をもつことができる。愛人は一度僕との子を妊娠している。そのときはなだめて堕胎させた。だから彼女は不妊ではない。彼女はまだ若い。  黒い夜と溶けあって、家はたいそう禍々しい。  玄関の扉を開けると鈍い音が家の奥に吸いこまれる。  スマホの光でなかを照らす。  そうしたら  そうしたら  玄関の壁の下の方  僕の名前が書いてある。    誰かが大きな声で笑いはじめた。  笑っているのは僕だ。  僕の名の横に妻の名を書きくわえる。  妻の名前と僕の名前、二つ並んでさらに笑いたくなってきた。  僕の喉を痛みつけ内臓から空気が迫り上がってくる。  笑い声はますます大きなっていって近所の人々に迷惑がかからないか心配だ。
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