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2022年版〜楢山賢太郎〜
「楢山君!!」
…クリスマスイブの、京都地検の玄関ホール。
庁内から出て来た賢太郎をみるなり、柱にもたれかかっていた抄子は勢いよく彼に駆け寄る。
「待たせたな。寒かったろ。」
「ううん!これからの事考えてたらワクワクして寒さなんか吹き飛んじゃう!ね、早く行こう?!」
「ああ…」
頷き、自分の腕に縋り付く抄子を一瞥して、賢太郎は街へと歩を進める。
3人の娘もそれぞれ独立して、数十年ぶりに迎えた2人だけのクリスマス。
例年のように家で過ごそうと言う抄子に、賢太郎は久しぶりにデートでもしないかと持ちかけ、こうして2人きりで、イブの京都を闊歩しているわけである。
「映画なんて久しぶり。でも楢山君、ラブロマンスなんて分かるの?いっつも観るの、サスペンスや推理ものばっかじゃん。クリスマスだからって、別に周りのカップルに合わせなくても良いんだよ?」
「バカ言うな。俺だってラブロマンスものの一つや二つ、見れるさ。」
「どうだか。キスシーンとかで、そこでキスするのは演出的におかしい!…とか言って批評しだすんじゃないの?」
「お前、俺を心のない冷血漢みたいに言うな。」
「だってそうじゃん?藤次君と張り合う割には、気の利いた台詞も行動も全然女慣れしてない。ま。私と付き合ってすぐ結婚しちゃったから、大して遊ぶ暇なんてなかったか!」
そう言ってケラケラ笑う抄子に、賢太郎は心の底から言いたかった。
自分だって、女遊びの一つくらい。
そう、こんな雪の降る、クリスマスの日…
*
「大丈夫ですか?」
…それはまだ、司法修習生だった頃の話。
藤次主催の合コンに、抄子公認で人数合わせで参加した時だった。
隣に座るキャビンアテンダントの女性が気持ち悪そうだったので声をかけたのが、全ての始まりだった。
「あ、ごめんなさい。こんな席初めてで緊張してたら、悪酔いしちゃって…」
「それはいけない。とりあえず、近くに静かなカフェがあります。行きましょう。休まないと…肩、貸します。」
「ごめんなさい…」
「お!なんやなんや〜?楢山その美人持ち帰りかぁ〜?しょーこちゃんに、ゆーてやろー♪」
「えっ?しょうこ?」
「なんでもありません。さ、行きましょう。」
そうして囃し立てる藤次と他のメンバーを躱して、賢太郎は居酒屋を出て間もなくにある小さな純喫茶に入る。
「すみません。ブレンドと…あなたは?」
「あ、じゃあ、ホットミルクを…」
互いに注文をして、向かい合わせに座る。
そこで賢太郎は、初めて彼女の顔を正面から見た。
抄子が陽気な太陽なら、彼女は月のような…静かで穏やかな…儚げな美人だった。
「すみません。面識のない方に、私ご迷惑を…」
「いえ…そうだ。名前、まだでしたね。俺…いや、僕は、楢山賢太郎です。」
「…私は、葛原千景です。でも楢山さん、彼女さんいるのに、どうしてあんなとこに?」
出されたホットミルクを飲みながら問いかけて来た千景に、賢太郎は目を伏せブレンドを一口啜り呟く。
「まあ、色々付き合いと事情がありまして…葛原さんこそ、初めてだって…確かに、見た目育ち良さそうで、正直…ああいう場所、似合わないなと、今なら思います。」
「そうですか…やっぱり私、似合いませんか…」
長い髪をかき揚げ哀しげに笑う千景。
窓の外はしんしんと雪が降り注ぎ、道行くカップル達は身を寄せ合って歩いている。
その様を見ながら、そろそろお腹の大きい抄子を1人にしとくのも忍びないと思い、うまい具合に抜け出しの口実を作ってくれた千景に謝辞を述べて、その場を立ち去ろうとした時だった。
「私…婚約破棄されたんです。一昨日。」
「えっ?」
瞬き視線を戻すと、涙に濡れた千景の顔。
「く、葛原さん。ちょ、ちょっと…」
「ご、ごめんなさい。楢山さん、あんまりにも似てるから…その人に。だから、私…」
「…出ましょう。通りまで送ります。」
ジロジロ見てくる客達の視線に気まずくなり、賢太郎は精算をして、千景の手を引き喫茶店を後にする。
後ろでぐすぐす泣く千景。
とにかく、通りに出てタクシーに乗せれば良い。
そう考えてぐいぐい手を引っ張っていたら、信号で止まり、千景がぼすんと賢太郎の背中に勢いよくぶつかる。
「ああ!すみません葛原」
「抱いて下さい…」
「………は?」
聞き間違いかと背後を見やると、自分のコートをぎゅっと握って、顔を真っ赤に染め縋る千景。
「く、葛原さん、僕には」
「分かってます…でも、一度だけで良い。せめて今夜は、1人でいたくない。誰かの温もりが、欲しい……」
「でも…」
「お願い……賢太郎さん…」
「………ッ!」
ファンと、車のクラクションが鳴り、信号が青に変わる。
それでも、2人は歩くことを放棄したかのように立ち尽くし、賢太郎の肩に雪が舞い降りた刹那、スマホが小さく鳴動する。
震える手でポケットから取り出して液晶を見ると、抄子の文字。
そうだ、帰らなきゃ。
生涯愛していくと決めた、女の元へ。
けど…
長考の末、賢太郎は電話に出る。
「もしもし。…ああ。ああ。それなりに、楽しんでる。うん。それでな、抄子…」
そこで言葉を切って、賢太郎は深呼吸した後、恐らくこれが初めてになるであろう嘘を、彼女に吐く。
「すまない。棗が離してくれなくて、終電間に合いそうにない。今夜は、棗の家に泊まるから…じゃ。」
そうしてスマホを切って、賢太郎は切なげな表情で、千景を抱きしめる。
「千景と呼んで、賢太郎…」
「ああ、今夜は、何度でも呼ぶよ?好きだ。千景…」
「嬉しい…ありがとう。賢太郎…」
幸せそうに笑う千景を抱き、賢太郎は雪の降りしきる街へと消えていった。
*
「ん…」
翌日。
昨夜の曇天が嘘のような晴れやかな空が広がる窓から差し込む朝日で、賢太郎は目覚める。
「…朝か。おはよう。ちか…」
振り返り、隣で寝ているであろう千景を抱き寄せようとしたが、その腕は虚しく空を切る。
「千景…?」
半身を起こし、部屋をぐるりと見たが、どこにも彼女の姿はない。
バスルームかと起き上がった瞬間だった。
「あ……」
ふと、敷布団に着いた…処女の血の跡。
そして、サイドボードに置かれた、ホテル代か、はたまた、この跡に…いや、昨夜の行為に対する謝礼なのか、2枚の福沢諭吉と、短いメモ。
−ありがとう。賢太郎さん。−
「千景…」
…その後、藤次に彼女の連絡先を聞いてみたが、彼は「適当にナンパして見つけてきたさかい、そんなん聞いてない。」と言われてしまい、仕方がないので、今度ありったけ酒を奢るから、何も聞かず、昨晩自分と一緒いたことを抄子に言ってくれと、口裏合わせを頼み込み、その後も、あの場にいた人間に彼女の連絡先を尋ねたが、誰もが知らないと口を揃えて言うので、結局…本当に一晩限りの夢のような関係で、千景は自分の前から姿を消した。
*
「あー!映画楽しかった!楢山君!寝てなかった?」
映画館からレストランへと向かう雑沓の中。
抄子の問いに、賢太郎は薄く笑う。
「ああ、ちゃんと見てたさ。ただ、最後のキスシーンは、いらないな。」
「ほらー!やっぱり批評!!ホント、楢山君てつまんない!」
そうしてケラケラ笑う彼女と並んで歩いていた時だった。
−賢太郎さん…−
「!」
フワリと横目に流れた黒髪と、脳内に響いた、懐かしい声…
自然と、身体が後ろを向く。
しかし、雑沓の中に千景の姿はなく、賢太郎は呆然とする。
「どうかした?楢山君?」
フィッと、視界に入る抄子の顔で、賢太郎は現実に引き戻され、フッと笑う。
「いや、なんでもないさ…」
「そ。なら行こう?チェックイン間に合わないよ?」
「ああ。行こう…」
そうして手を握った瞬間、賢太郎は抄子に囁く。
「今夜はずっと、呼んでくれないか?賢太郎って…」
「えっ?」
振り返った瞬間、重なった唇。
暫時のふれあいの後、賢太郎は抄子に囁いた。
−愛してる。−
と…
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