✕✕のない焼き肉店

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✕✕のない焼き肉店

「ご予約頂いたお客様ですね。お待ちしておりました」  ご予約? 彼にそんな覚えはなかった。 「お客様のため、お客様だけの特別メニューをご用意しておりますので。ではなかへどうぞ」  男の人生のなかで、ここまで大きな腹の音を響かせてしまったのは初めてだった。気恥ずかしさに下を向く男に対し、店主はにこやかだった。そんな店主に促され、彼は押されるがままに店へと足を踏み入れた。  とある人物の殺害依頼をして数日。  直接手を下したのが顔も名前も知らない人間とはいえ、やはり落ち着かず、悶々とし、しばらくはアパートから一歩も外へ出ることもできなかった。そんな男を外出に駆り立てたのは、空腹であった。  その道中で惹かれたのが、とある路地裏の小さな焼肉屋。店名は『✕✕のない焼肉店』。  謎すぎる店名だった。彼がおもわず、好奇心からその看板に吸い寄せられていると、店のスライドドアからひとりの男が出てきた。  彼と目が合う。すると男はにこやかに、先ほどの台詞を口にしたのだ。  もも肉。ロース肉。タン塩。  そう説明だけされて出された肉は、全てなかなかの味だった。ここ数日。ろくに食事が喉を通らなかったせいでもあるだろう。空腹は一番のスパイスともいう。無我夢中で、肉をたいらげていった。  夕方の、飲食店からすればそれなりに客が入って来てもよさそうな時間帯だが、店内の客は依然として男ひとりであった。  怪訝に思いながらも、そこでふと、支払いのことを考えた。殺し屋への依頼料で散財していたことを、すっかり忘れていた。  彼が店主にそのことを告げると、 「代金はすでに頂いております」 「は?」 「お客様なら、わかっておいででしょう」  意味がわからなかった。  店主は、にこやかに続けた。 「先日、とある方を殺すよう、ご依頼なさいましたよね。本日のお代はその依頼料から全て賄わせて頂いております」  心臓が跳ね、更に混乱もした。  何故店主がそれを。 「お客様が依頼し、他の従業員がし、それを私ども解体屋が、この店の奥の厨房で文字通りをしました。そうして積み上げられた肉を焼き上げ、先ほどお客様にお出し致した次第です。満足して頂けてなにより」  箸を取り落とした。  続いて空になった皿の数々を見つめ、呆然とした。  体中の血の気が引き、唇が震え、吐き気にも襲われた。  どうりで。  メニュー表に、もも肉やロースなどの部位の説明はあっても、牛や豚などの肉の種類が、書かれていなかったわけだ。
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