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3,親睦会
週末。母に彼と出かける旨を伝えると異様に興奮していた。
「デートじゃない! さやかちゃんの初デート! やだ、何着ていく? お洋服買いに行く?」
そんなんじゃない、とひと悶着ありつつ週末はあっという間にやってきた。学校では話さないのでやりとりはメッセージアプリを通してしている。朝十時に駅前集合。行先を聞いたけれど、『内緒』とだけ返ってきた。連れていきたいところがあるのだろうか。
『おしゃれしてきて』
そう付け加えられ、どきりとする。
母の言う通り男の子と出かけるなんて初めてのことで、おしゃれって何だっけと今更そわそわしはじめてしまう。クローゼットを開けて持っている服を確認して悩む。
何着か試した後、結局無難に母とお揃いで買った白いワンピースに決める。長く黒い髪をどうするか考えたが、やったこともないアレンジをして失敗するのは恐ろしく、いつも通り下ろしたままにすることにした。デートではない。デートではないのだ。
待ち合わせの十五分前。約束通り駅前に到着すると青井傑はすでに待っていた。私服姿を初めて見るが、黒い長袖のシャツを着ていて学ランよりは幾分軽装に見えるが相変わらず色白さが際立つ。長めの髪も少し整えられ、清潔感がある。シンプルでスタイリッシュ、というのだろうか。
「おはよう」
彼は私を見つけると微笑む。なぜかひどく眩しく感じる。
「おはよう……」
「山田さん? どうしたの? 具合悪い?」
「なんでもない……。素材がいいって素晴らしいなって思って」
「? 何の話?」
「気にしないで」
「ワンピース似合うね。制服じゃないのが新鮮だ」
「! ……なかなかやるな……」
「?」
「なんでもない!」
思わず赤くなる頬を慌てて隠す。自分だけ緊張して舞い上がってしまうようで恥ずかしい。
「それでどこに行くの?」
「うん。まだちょっと早いからお茶でも飲んでから行こう」
そうして連れられた喫茶店は騒がしい街中から一本横道に入った個人経営の小さな店。
アンティークでまとめられた穏やかなインテリアに珈琲のいい匂いがする。
年配の男性がカウンターの奥にいて、店主だろうか。ゴリゴリと豆を挽いている。
「……いっつもこんな店来てるの?」
「あ、ごめん。うるさいところ苦手で、父親に連れてきてもらってからここを使うようにしてるんだ。キャラメルマキアートとか飲めるお店の方がよかった?」
ぶんぶんと思い切り首を振る。キャラメルマキアートも贅沢でよいものだが、この大人びた雰囲気はとても気分がいい。ふたりしてカフェオレを頼んで窓の外を見る。小さな町とはいえ駅前の繁華街だというのに人通りはほとんどない。
「隠れ家みたい」
「そうだね。気に入ってるんだ。家に居たくない時とかここで本読んだりしてる。山田さんも今度から使ってみたら?」
「うん……」
曖昧に頷いたのは、メニュー表の価格も大人向けだからだ。アルバイトもしていない高校生には敷居が高い。でも今日は母が「時代は割り勘よ」とお金を持たせてくれている。心配なく運ばれてきたカフェオレに口をつける。
「美味しい」
「よかった」
彼も慣れた手つきでカップを手に取る。その所作ひとつひとつがどこか優雅だった。この店にしてもそうだ。ゆったりと余裕のある佇まい。落ち着いている。
「青井くんって大人っぽいよね」
そうぽつりというと、彼はきょとんとして「そう?」と首を傾げる。表情や仕草は幼いのに、なぜだろう。
「私は落ち着きがないからちょっとしたことで情緒不安定。感情のコントロールがうまくできない感じ。日に日にひどくなってる気がする」
「それが自然なんじゃない? それに大人なら窓割ったりしないよ」
苦笑する。
「そうかもしれないけどさ。もっと強くなりたい」
「僕だって強くはないよ。ただ諦めてるだけで」
「諦めてる?」
「それに山田さんは優しいから。山田さんのそれは優しさだと思うから」
彼は穏やかに言ってこくこくとカフェオレを飲む。私は妙に気恥ずかしくなって「優しくないよ」と唇を尖らせた。
「山田さんは覚えてないかもしれないけど、僕たち小学生のときに会ってるんだ」
「え?」
「その時も、今も、変わってない」
「待って、いつ? 思い出すから教えてよ」
「内緒」
「また内緒? 青井くんは秘密が多いなぁ」
背もたれにもたれてカップに口をつける。ほろ苦いミルクから大人と子供の匂いがした。
喫茶店を出て向かったのは町にある唯一のコンサートホールだった。大きく貼られたポスターには有名なミュージシャンのライブの案内があり、開催日は今日。それを目当てに入り口に人がどんどん吸い込まれていく。
「え、なに? どういうこと?」
「いいからいいから」
私は連れられるまま彼についていく。正面玄関を横切り巨大な建物の裏側へ。そして明らかに関係者しか入れないような通路へと彼は向かう。彼がポケットからスタッフ証のようなものを取り出した。入り口に立つ警備員に見せ、「彼女も身内だから」とひとこと。警備員はどうぞと道を譲ってくれる。そのまますんなりと建物内、しかも明らかに『関係者以外立ち入り禁止』な場所へと侵入してしまった。
「ちょっと青井くん、大丈夫なの?」
慌ててついて歩くが彼に迷いはない。
そこでようやく、ああそうかと思い至った。
彼の父親は有名な音楽家でありプロデューサー。ここは彼の庭なのか。
そのまま連れてこられたのは関係者席と呼ばれるホールの後ろの方の席だった。チケットも何も持たず、こんな特等席に座ることになるとは。おしゃれしてきて、とはこういうことだったのか。
「この歌手好き?」
聞かれて「うん」と答える。よく動画サイトで聴いている。
「ヴォーカルの顔がね、好みなの」
ロックバンドだが、爽やかな好青年が切ないラブソングを歌うのだ。穏やかで甘いトーンの声で激しい曲を歌ったりもする。
「従兄弟なんだ」
「え!?」
「父方のね。そっかぁ。ああいう感じが好みかぁ」
そんなことを話していたら、いつの間にか満員になったホールにアナウンスが響き、照明が落ちる。
ギュイーンとギターのチューニングが始まって、ドラムのスティックを合図に爆音が鳴り響いた。
「はあ〜、まだ胸がどきどきする」
生演奏というものはこんなにも人を圧倒するのかと、いまだ耳の奥に残る音楽に意識をふわふわさせながら退場していく観客を見送っていた。青井傑はといえば特に表情も変えず、「楽しめたならよかった」と他人事のように言う。これが当たり前の生活をしているならこうなるのかと驚いてしまう。
「少し挨拶に行くけどいい?」
「うん、もちろん」
立ち上がった彼についていくと楽屋の並ぶ区画へと入っていった。忙しなく働くスタッフたちの間を抜けて、一際大きな部屋の扉をノックする。返事も待たずに開いた扉の向こうは、綺羅びやかな別世界だった。
ライブを終えたばかりのバンドマンたちとスタッフがリラックスした様子で談笑していた。普段は画面の中で、先程まではステージの上で光を浴びているスターがそこにいてあまりの眩しさに目が潰れそうだ。そして一番奥の席で分厚い台本のようなものを手にした男に、青井傑は近付いていく。
「お疲れ様」
彼が言うと、男は「ああ」と静かに答えた。表情も変えず、静謐で、けれどどこか優しげな目元を見て、あ、似てるな、と思った。青井傑の父親。音楽家の青井成一。少し不健康に見えるほどすらりとしていて白髪が目立つ。私の父より遥かに年上な気がした。
「彼女がそうだよ」
青井傑が私の方を見る。父親はゆっくりとこちらを見て「先日はお世話になったそうだね」と言った。
「い、いえ、私は何も! あ、はじめまして! 山田さやかです」
思い切り頭を下げる。緊張で声が裏返ってしまった。
「父さん。僕、彼女に決めたから。この前の約束、忘れないでね」
「……」
「?」
顔を上げると、静かに見つめ合う父子がいる。
「……俺は認めん」
父親が目をそらし、呟いた。
「お願い」
青井傑は諭すように言った。何のことかはさっぱりわからない。が、青井成一に微かな苦悶が浮かぶのを見た。
「優兄、山田さん優兄のファンなんだって」
「えっ!?」
「おお〜まじか。ありがとな。サインでもしとく? 傑と仲良くしてやってよ」
ぱちっ、とからかうようなウインクに顔が上気して笑いが起こる。有名人とは、有名になるだけの存在感があるな、と、部屋を見渡して思った。
コンサートホールをあとにしたあと会場前に広がっている公園で昼食をとった。ライブに合わせてキッチンカーが並んでいる。すっかり熱にあてられぼんやりしていた私に青井傑は巨大なハンバーガーを買ってきてくれて食べさせてくれる。美味しいのだろうが味がわからないくらい舞い上がっていた。スマートフォンのケースに書いてもらったサインは一生の宝物になるだろう。
「そんなに好きだったとは知らなかった」
彼は自身もバンズを頬張りながら言う。
「ごめんミーハーで……。ちょっと色んなことが一気に起こってびっくりしちゃった」
「驚かせようとは思ってたけど心の準備が必要だったかな」
「そうみたい」
がぶり、とバーガーに噛みつく。しっかりとした肉感を口の中で感じながら冷静さを取り戻そうとする。広場の木陰のベンチで男の子とふたりハンバーガーを食べている。視線の先では芝生の上で子供たちが両親とボール遊びをしていてのどかな休日を楽しんでいた。平和な昼下がり。今は日常の延長線上にいるはずで、私はそう。絶望していたはずだ。
「親睦会、だったよね」
「うん?」
「私たち、絶望同盟」
「ああ、そうだね、親睦会。楽しんでもらえた?」
「それはもちろん。というか私ばっかり楽しませて貰っててよくないと思うんだけど」
「僕も楽しいからいいじゃん」
「ほんとに?」
「山田さんの色んな顔を見れて楽しいよ」
「なにそれ! からかわないでよ」
「からかってないよ。君を知れて楽しい」
ふふふ、と本当に嬉しそうに彼は笑う。
「何かずるいんだよなぁ。青井くんばっかり。私にも教えてよ」
「教えてって何を?」
「君は秘密が多過ぎる。どうして窓を割ったのか。いつ私と会ったのか。さっきお父さんと何を話していたの? 君は何に絶望してるの?」
さわさわと秋の風が吹いた。
ほんの少し肌寒い、冬の前触れ。彼は晴れた空を見上げてなぜかひどく遠い目をした。
「僕の絶望は、君を好きになったこと」
「ーーーえ?」
聞き返した私に返事はなく、彼は空を見ていた。
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