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3
タロスの右手の傷が癒えるのに、半年かかった。傷が癒えても、右手は動かなかった。木の枝もヘラも、握ることができない。タロスは円師の仕事を失った。
彼は毎晩酒を飲み、暴れた。
妻はふたりの子供をつれて、家を出ていった。
「右手が動かないくらい、なんだい。あんたには、まだ左手があるじゃないか」
妻が家を出ていくときの捨て台詞がそれだった。
もちろん、タロスは左手で円を描いてはみたのである。だが、よちよち歩きの子供の描いた円のほうが、まだましというほどの出来だった。
タロスはさらに酒に溺れた。家財をすべて金に換えて酒を飲み、ついには家も土地も手放した。物乞いとなって生き、恵んでもらった金で酒を飲んだ。のんだくれて意識を失った。
タロスは夢を見た。
師匠のゼオンが、今度はタロスの左手を串刺しにしようとしていた。
刺される直前に、タロスは飛び起きた。そこは礼拝堂の一室だった。
「さあ、召し上がりなさい」
礼拝堂の老いた聖女が、一杯の粥を恵んでくれた。
タロスはそれを左手で受け取った。
そのときになって、ようやく自覚した。自分にはもうこの左手しか残っていないのだ、と。
たったひとつの財産である左手で、タロスは再び円を描き始めた。礼拝堂の下働きをしながら、動きの悪い左手を、必死に動かして描いた。
三年、四年と努力するうちに、再び円師の仕事が入るようになった。
円師の仕事で食っていけるようになったのは、それからさらに三年後のことだ。
だが、金のことはタロスにはどうでもよかった。タロスが生きている意味はただひとつ。もっとうまくなりたい。もっとうまくならねばならぬ。うまくなって、真の円をこの手で描くのだ。
タロスは、ほとんど悪鬼の形相で描き続けた。
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