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ソラ・あいたくて
生前、タカヤの部屋を飛び出してすぐ、ボクは事故にあった。大きな車が目の前に迫ってきた。
一瞬のことで何にも感じなかったけれど天使が降りてきてボクを空へ連れて行こうとした。「タカヤのそばに行きたい」と言っても聞き入れてもらえなくて、腹が立って天使を思い切り引っ掻いた。すると天使はにっこり笑って教えてくれた。
天使になりなさい、と。
この世の記憶を失いたくなければ試験を受けて天使になりなさい。さすれば、使いで地上を訪れることができますよ、と。
ボクはタカヤのことを忘れたくなくて試験に挑むことにした。語学や地理、風土や歴史、生物の進化の仕組み、過程、生きとし生けるものの使命や生きる意味、そして空がある理由。その他にもたくさんの勉強をした。空を飛ぶための免許も取った。そして試験に合格してようやく天の使いとして地上へ降りる許可が下りた。
天使は天の使い以外のことをしてはいけません、と神様は言っていた。でも。
「……これでやっと会いに行ける」
タカヤにどうしても会いたくて、ひと目だけでもいいから会いたくてボクは天使になったから。
天と地の境目は暗くて眩しくて寒くて温かい。目覚めの光りの乱反射が世界を美しく彩るその縁で、彼のいる地上を見下ろし高鳴る胸の音に耳を傾ける。純白の衣が風に靡いて、初めて書いた手紙をぎゅっと胸に抱く。そして羽根を広げてふわりと空へ舞い上がった。
空からの監視をかい潜って、こっそりとタカヤの部屋の前へとやって来くると、いよいよ心臓が壊れるのではないかというくらい早打ちを始めた。
アパートの一階、右端の部屋。懐かしい匂いと大好きな人の気配。うろうろと玄関の前を行ったり来たりしてから手紙をポストへ入れた。
大きな耳がピクピクと動く。
「誰か来るっ」
部屋の中から足音とじゃららと鍵の音がしてドアノブが回り、慌てて身を隠す。それはまるでネコのようにしなやかな身のこなしで、この足音も誰のものか見なくても分かる。自分の中に眠るネコが目を覚ましかけているようで、なんだか少し嬉しくなった。
そしてドアが開いて中から出てきたのは、正真正銘大好きなタカヤだった。
――ああ……! タカヤ! タカヤだ!
ボクは今すぐに駆け寄って体をスリスリと擦り寄りたい衝動に駆られる。本能がムクムクと姿を現し思考が鈍る。
天使は理性を保たなければなりません、と神様は言った。
ぎゅっと目を瞑って気持ちを落ち着かせてから再びそっと目を開ける。するとタカヤはボクの入れた手紙を手に取り訝しげに見つめていた。
「読んで、タカヤ。ボクの気持ちだよ」
でも、スマホが鳴ると手紙をポケットに仕舞って踵を返した。
「ああ……」
地上にいる時間は限られている。
天の門が閉まる前に空へ戻らなくてはいけない。
ちらりと天を仰ぐ。
覚悟を決めた。
ボクは空へ向かってふわりと舞い上がって、タカヤの後を追った。
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