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 彩と大河は幼なじみで昔は仲が良かった。  小さい頃は近所の子も交えてよく一緒に遊んでいた。  大河は動きがゆっくりでおっとりした男の子だった。  鬼ごっこでもかくれんぼでも、周りから遅れを取っていた。  彩の方は足の速い活発な少女だったので、そんな彼の手を彩はいつも引っ張っていた。 「彩ちゃんは僕を待ってくれて優しいね」  と、微笑む大河の色白の頬はいつも真っ赤に染まっていて。  タレ目の柔らかい雰囲気の顔立ちもあいまって、その姿はまさに天使だった。 (この天使を一生私が守ってあげなきゃ)  彩は心にそう決めて、ずっと大河の手を離さないつもりだった。  その関係が変わったのは二人が小学一年の夏である。  彩の父がプロ野球の試合に彩と大河を球場へ連れていってくれた。  炎天下での野球観戦。  彩は大河をうちわで仰ぎながら、彼が倒れないかばかり気に掛けていた。  しかも運の悪いことに、二人の前の席には柄の悪いおじさんがいて。 「バッターどこに打ってんだ! 外野席(こっち)まで飛ばす勢いで打たんかい! 今年もまた最下位になりたいんか!」  おじさんの熱すぎる声援に隣の大河が目を丸くする。  彩は「あんなの見ちゃだめ」と、彼を自分の方へ引き寄せた。  なんて場所に大河を連れてきてしまったんだろう。  彩が後悔している内に試合は九回裏に突入した。  二点差で負けていたチームの最後の攻撃。  打席に立ったキャッチャーが放った打球はいきなり彩たちがいるところまで飛んできた。 「大河っ。危ないっ」  彩が叫んだと同時に、ボールは大河の胸にすとんと収まった。  その瞬間、割れんばかりの歓声がスタンドを包む。 「おっしゃあ! ホームラン! やればできるやないか!」  おじさんが立ち上がって叫ぶ。  周囲の熱気に圧倒され、呆然としていた彩はハッとして隣を見る。 「大河大丈夫!?」  問いかけてみたが、大河は答えない。 「……大河?」  彼は頰を紅潮させ、ぼーっとした表情でボールを握りしめ、ホームランを打った選手の方を見ていた。  今振り返ると、あれは天使が羽根をなくした瞬間だった。 「ねえ大河」 「おいそこの君!」  彩の声を遮るように、おじさんが大河の方を振り返った。 「せっかくボールもらったんやから将来はプロになってあのチーム強くしてな!」  おじさんの言葉に大河がこくんと頷く。  その日から、彼は野球にのめり込むようになった。  大河は地元の野球クラブに入り、彩と遊ぶことは減っていった。 『今度試合だから見に来て』  大河からそう誘われて、彩は何度か応援に行った。  けれど、理由をつけて断るようになった。  試合中の大河は見たこともないような険しい表情をすることがあった。  それは彩の知っている天使な大河とはかけ離れていて。  彩はそんな大河を見たくなかった。  そのうち、だんだん大河と話すことも減っていって、中学ではほとんど顔すら合わせなくなった。  同じ高校に入学してからもそれは変わらず、高二になった今も大河とはほぼ会話をしてない。
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