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3
なぜ今になって彼を見守っているのだろう。
大河は今度の夏の大会にキャッチャーとして出場する。
キャッチャーとしてだけでなく、バッターとしての技術も優れていて、部のみんなから期待されているらしい。
野球部のマネージャーをしている友達がそう話していた。
彩はその話を聞いてすぐお守りを作り、放課後はほぼ毎日この教室からこっそり練習を見ている。
(今さら応援したって遅いのに)
彩は窓辺に立って、ブロマイドケースの写真を見つめた。
部屋の机の引き出しにずっとしまい込んでいたが、懐かしくなって持ってきてしまった。
写真の男の子と大河が同一人物だと思う人はほぼいないだろう。
今の大河に天使の面影はまったくない。
190cm近くある長身にがっしりと筋肉のついた大きな体。目元だけが唯一変わってないが、あとはまったくの別人である。
「天使のままだったらよかったのに……」
「植村? 何してんの?」
独り言に割り込まれて、彩は驚いてブロマイドケースを落とす。
振り向くと、すぐ後ろにクラスメイトの川瀬智が立っていた。
川瀬はクラスで一番かっこいいと言われていて、すらっとしていて綺麗な顔立ちをしている。
そんな人に独り言を聞かれていたと知り焦る。
男子から『おかんみたい』とからかわれ、女子に見られないことが多い彩も、彼の前では自然とかわいい女子のように声が高くなる。
「川瀬くん、どうしたの?」
「忘れ物取りに来た。ていうかなんか落ちたけど?」
川瀬がブロマイドケースを拾い上げる。
慌てて取り返そうとしたが、ばっちり中身を見られてしまった。
「何の写真?」
川瀬に聞かれ、彩は言葉に詰まりながら答える。
「立花くんの小さい頃の写真……」
「本当に? 今と全然違うじゃん」
興味津々といった様子で川瀬が写真を眺める。
彼は大河と同じ野球部だ。
チームメイトの昔の姿はそれなりに気になるのだろう。
しばらく見た後「はい。返すよ」と、彼はパスケースを手渡たしてきた。
ほっとしながら彩がパスケースを受け取ると、川瀬はさらに質問してきた。
「なんでその写真を植村が持ってんの?」
まさかそこまで聞かれるとは思わなかった。
どぎまぎしながら彩は答える。
「幼なじみ、だから」
「幼なじみの写真って普通持ち歩くもんなの?」
答えられない彩に川瀬がからかうように微笑んだ。
「そっか。好きなんだ大河のこと」
「好きとかじゃないから!」
思わず大きな声が出た。
本当に好きとかそういうわけではない。
彩は混乱して、自分でもよくわからない言い訳をする。
「私はこの写真みたいに天使だった頃の立花くんが好きなの! 今の立花くんのことはただ応援してるだけだから!」
「ふーん」
そう言うと川瀬は彩の隣に立って、窓にもたれかかって、グラウンドの方を見始めた。
「忘れ物取りに来たんじゃないの?」
「せっかくだし野球部の練習見て帰ろっかなって」
グラウンドからカキンッとバッドにボールが当たった音がする。
どうやら大河がバッティングの練習をしているようだった。
川瀬が小さく拍手する。
「あいつは打つ方もすげーな」
「そりゃあれだけ力があればね……」
複雑な気分でボールを目で追う彩に、川瀬が「ん?」と首を傾げた。
「もしかして大河がただ力だけでごり押ししてると思ってる? あいつそういうタイプじゃないよ。すげー考えて打ってるしプロの試合とか動画見て色々研究してるんだよ。ま、たまに力入れすぎる時もあるけど」
川瀬の説明に、まるで大河のことを何も知らない自分を責められているように感じて、彩はうつむきそうになって返す。
「私、野球のこととかよく知らないし」
「知らないのに練習見て楽しい?」
「……」
さっきから微妙に意地悪な言い方に聞こえるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃない。
川瀬の目ははあきらかに呆れたように、こっちを見ている。
(川瀬くんってこんな人だったっけ)
川瀬は普段クールでかっこいいイメージしかなかったので、嫌味な感じで喋る彼に彩は戸惑う。
ため息混じりに川瀬は続けた。
「昔のあいつがどんだけ天使だったか知らないけど、俺は今の大河の方がいいと思うな。怪我とかあんましなさそうだし」
川瀬の言葉にムッとしながら彩は返す。
「……川瀬くんが怪我したのは無茶したからでしょ。立花くんは無理するなって止めてたのに」
「誰に聞いたのそれ」
「……女の子たちが噂してたから」
本当は友達にそれとなく部活での大河の様子を聞いたからだった。
のんびりした性格の大河が先輩たちにいじめられたりしてないか気になったのだ。
だが、川瀬にこれ以上何か言われたくなかったのでごかまかす。
川瀬は「マジか」と言いながら、近くの席の椅子に座った。
「まあ確かにその噂通りだけど……。一応まだ怪我人なんだしもっと俺に優しいこと言ってよ」
打って変わって甘えるような口調で、川瀬は彩を上目遣いに見てくる。
顔がいいので一瞬どきっとしそうになったが、それもからかわれているような気がして、彩は受け流す。
「知らないし。だいたいもうそろそろ部活に戻れるんじゃないの」
「なんだそれも知ってたんだ。まあもうちょっと休もうかなって。べつに俺一人いなくてもいいし」
「……立花くんは待ってるんじゃない?」
川瀬はピッチャーをしているらしい。大河がボールを受けることもあるだろう。
そう思って言ったのだが、川瀬はどうでもいいという態度で言った。
「あいつはいい奴だからそりゃ待ってるだろうな」
含みのある言い方をして、ふたたびグラウンドに視線を戻す。
結局その日は川瀬と一緒に練習を見て帰った。
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