ミルカは今日も眠らない

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 この星の魂はすべて送り出し終えたと天使長は言った。 「生き物はこの地上にもう残ってはいない。星自体は残るが、動植物が生きるには過酷な環境となりすぎた」  天使長は数多の天使たちを束ねる存在だ。かつて人々を導き奇跡を見せ小さな救いとなり、いのちの運び手を担っていた天使たちは、星空の中で天使長の言葉にじっと聞き入る。  信仰や宗教によってはまた別の呼称を持つ彼ら――彼女らとも呼べるか――は、誰の心にも在りながらも存在せず、認識されず、けれど深層では強く人々に愛されていた。  そんな無垢な信心を向けてくれたいのちたちはもう、ここにはいない。人々は死に絶え、生き物は絶滅した。 「我々ももはやここに残る意味はない。運ぶべきいのちがなければ、我々に意味はない。別の星へと移動しよう」  天使長は両腕を広げた。さぁ、最後に見ておくのだ、と長きに渡り見守り続けた星を皆に示す。  天空から見下ろす大地は乾燥し枯れ果て、場所によっては海に沈み、鋭く隆起した地面に貫かれ、溶岩によって燃えさかり溶かされ、あるいは氷に閉じ込められていた。都市であった場所は砲撃や爆撃、爆風によって元の形をとどめていない。天使たちはその広い視野によって一瞬にして星のすべてを見渡した。  かつて天使たちが愛した地上とそこに生きたものたちは、彼らが愛したものたち自身の手によって破壊され尽くしてしまった。  愚かな子たち。  誰もが悲しく目を伏せる――その中に一人、あの、と小さく手を挙げる者がいた。 「どうか、発言をお許しください。あの……」  大地をきょろ、と見渡す。 「もはやここにいのちは無いと仰せでしたが、わたくしの目には、魂がひとつ残っているように見られます」  天使長はその発言に眉をあげ、自ら確かめるべくその瞳を閉じて感覚を研ぎ澄ませた。そしてすぅっと細く目を開ける。 「――いいや。たしかにここにはもう動植物はひとつも残っていない。知恵を得、発展する可能性のあるものもそのうち発生するかもしれないが、それは遠い先のことになるだろう」  そう言われ、先の発言をした天使は「はい……」と返事をした。天使長に言われてもなお、気にかかるものがあるようだ。  天使長は「これで見納めだ」と告げ、天空のさらに一段高くに浮揚した。天使たちもそれに続く。上がったそこはもはや天ではなく宇宙のはじまりだ。星の出口となる空間だった。 「さぁ、行こう」  天使長が導きの手を伸べ、天使たちと次の星へと移動しようとしたその時――。 「あの! やはり……っ」  そう声を上げたのは、先ほどの天使だった。 「やはり、おります。ここにはひとつ、魂が残っております」  首を振り、移動を拒む姿勢を見せる。 「わたくしは行けません。ここにひとつでもいのちがあるのであれば、それを導くまでこの星を離れることはできません」  天使長はすっと足を動かし、天使たちの最前の場からひと息に後方にいるその天使の目の前に立った。天使の捉えた「いのち」が何であるのかを瞳を覗き込み、把握する。 「それは、いのちではない」 「いいえ、いのちです。わたくしはいのちであると感じました」 「魂のあるものではない。生きてはいない。動植物ではない」  彼らが導くものたちの範疇にないものを、この一人の天使は「いのち」だと言った。 「……だとしても、この滅んだ星にたったひとり残していくことはあまりに不憫でなりません。どうか、わたくしをここに置いていってはくださいませんか」  震えてはいるが天使の決意は固いようだった。天使長は表情を和らげ、ゆっくりとうなずいてやった。 「それを己の使命と感じるのであればそうすると良い。息災であれ」  天使長はそう言うと、背を向けて元の最前の位置に戻る。その背に冷たさはない。けれど振り返ることはなく、星の流れに乗って皆を連れ、一瞬で姿を消した。  もはや再びまみえることはないだろう。  天使が「いのち」と感じたものは、古風な呼び方をすれば「ロボット」という。  それは人類が試みに作っただけの道具。  どれだけ長い時を過ごせるか、いわば耐久テストのために作られただけの機械だった。自己学習をするそのロボットは、アンドロイドともAIとも呼ばれる。  地上のいのちの大量絶滅に際しての強い衝撃に遭い、いまは強制停止の中にあるそのロボットを、天使はいのちであると判じた。  そしてそのロボットのために、この地上に残ることを決めたのだった。
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