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これは俺にとって遥か昔。人間共が豊かな生活を求めてバカでかい建物を乱立させ始め、汚ねーガスを撒き散らしながら四角い変な物を乗り回し、野生動物の住処が充実していた頃。
俺が、狐の霊になる前の話だ。
「はぁー」
日の入りも早くなり、肌寒くなった黄昏時。
人間が安易に足を踏み入れないほどの山の奥地に舞い降りたそいつは、流れる小川を見つめて溜息を漏らす。
いつもこの時間に現れては石垣に膝を抱えて座り込む姿に、これから先もこの仏頂面を見せ続けられたら敵わないと声をかけてやった。
「おい、根暗天使。毎日、毎日ウゼーんだけど?」
その声にこちらに体を向けてきたこいつは、白い布切れで出来た衣類をまとい、頭の上部には黄色い輪っか、背中には白く伸びる翼という邪魔そうなものを携えている。
俺を見つめる瞳は青く、肩まで伸びる栗色の髪はクネクネしていた。
「ごめんなさい。狐さん……」
そう呟き、閉じていた翼を広げるこいつ。それは天使が空に飛び立つ時にする動作だ。
馬鹿か、こいつ? 狐という、下層生物である俺にまで気を使うなんて。
「何があったんだ?」
「え?」
俺を見下ろし、目を見開くこいつ。
何だよ? 別に動物が天使と話せるのは変なことじゃねーだろ?
「何があったか聞いている」
「……こんな話しても、狐さんに迷惑だし」
「この川辺は俺の水飲み場だ。毎日、陰鬱の面見せられる方が迷惑なんだよ」
「狐さん……」
またオロオロと謝罪の言葉を繰り返すかと思えば、俺を見つめる瞳は潤み、その口角は上がっていた。
周辺の気温は下がっているのに、反比例するかのように上がる俺の体温。
「早く話せよ!」
俺はプイッと、そいつから目を逸らす。
「ありがとう。私の名前はパハリア。狐さんは?」
「名前などない。狐でいい」
「そっか。私は上天使様からの命により、この地区の人間にお告げを伝える役割を担っているの。だけど、それを聞いた人間達をいつも怒らせてしまって……」
言葉を詰まらせたこいつは、唇を噛み締めたかと思えば俯く。
何に憂いていたのかと思っていたが、予想通りくだらねー内容だった。
「どうせバカ正直に事実を告げてるんだろ? 上手く誤魔化しちまえよ?」
「天使は嘘を吐けないし、問われたことに答えないといけないと決まってるの……」
「じゃあ人間が怒りそうな解答には、知るかと答えてやれ! 返事したらいーんだろ?」
「悪い結果だとしても、事実を伝えて人間を導くのが務めだからね……」
そう言い、口角をあげるバカ天使。先程とは違いその眉は下がり、その青い瞳には光が無かった。
「お告げなんかやめちまえ!」っと言ったが、与えられた役目だからとかバカ真面目な返しをしてきた。
なんだ? こいつの理不尽な役割は?
イラついた俺は奥歯を噛み締めつつ、日がとっくに暮れ月明かりで照らされる中で、話を聞いていく。
「どうやって、お告げを伝えているんだ?」
人間は天使を目にすることも声を聞くことも出来ない、下層生物。どうやって関わりを持っているのか、そこに突破口がないかと思った。
「この国の文字数は四十六個なのだけど、それを表として並べた五十音図というものがあるのは知ってる?」
「ああ。『あいうえお』から始まる文字を表にしたものだろ?」
ふもとのガキ共の集い場に、残飯を漁りに忍び込んだことが数回ある。その時に張り出されていたのを目にしたことがあり、俺は人間の文字を知っていた。
それからこいつの説明を聞くと、以上のことが分かった。
天使のお告げを聞く方法
一つ.人間は三人以上必要。
二つ.五十音図の上に小物を置いて、そこに全員が人差し指を添わせること。
三つ.人差し指を添わせた状態で『天使に聞きたいことがある』と全員で声に出し召喚の儀を行うこと。
四つ.指を添わせている小物が、人間の意思に反して動き出す。五十音図の下に書き加えた『はい』と『いいえ』の欄から、『はい』に導かれると召喚の儀が成功した証となる。
五つ.天使に口頭で質問をするとまた小物は動き出し、五十音図に描かれた文字を順々になぞっていく。それを繋ぎ合わせた言葉が天使のお告げとなる。
つまり、そうゆうことらしい。
なるほど、だから人間は言いたい放題ってわけか。
自分達で問いをしておきながら、求めている答えじゃなかったら天使に文句垂れるなんて、身勝手な連中だ。
「その質問とは何だ? 子宝とか、豊作とかについてか?」
「まさか。それが出来るのは、あの上天使様でおられるガブリエル様だけだよ。その他にも生命に関することや天地の予言は上天使様しか予言出来ないの。だから下級天使の私達は地区ごとに分担して、個人的な問いに答えるの」
団体の中に属するほど、めんどくせーことはないと思いつつ、質問内容を深掘りする。
すると返ってきた答えは「好きな奴が己れをどう思っているかとか」とか、「試験範囲? の予言」とか、「今日の運勢」とかいうくだらねー内容だった。
「なんだそれ! くだらねーことで呼び出すなと、断れねーのかよ!」
「……天使だからね……」
また無理に口角を上げる姿に、俺の奥歯はギリギリと不快な音が鳴る。
いつの間にか俺はマジになっていた。
「それなら、お告げを伝える小物を金にしたらどうだ? 人間とは愚かな生き物だから、それだけでお前らを一目置くんじゃねーの?」
「お金か。なるほど」
「ついでに、鳥居の絵も描かないといけないルールを作れ! 神の使いなら鳥居使って良いだろう?」
「次の天使会合で、上天使様に伺い立ててみるね。ありがとう」
月に一度。天使同士が行う集まりがあるらしく、そこで議会に提案すると言っていた。
どうやらこいつだけの問題ではないのだろうと、察せられた。
それから話し合いの結果、天使を呼び出す方法に追加事項が出来た。
天使様にお告げを聞く方法
一つ、五十音図の上部に鳥居の絵を描くこと。
二つ、人差し指に乗せるのは十円玉にすること。
この二つの約束ごとを書き込んだ紙を、山のふもとにあるガキ共の集い場に置いておいた。
人間とは愚かな生き物だから、そんな根拠もないやり方でも噂を流し皆に伝わっていくだろう。
そして、このやり方が浸透していくうちに呼び出しているのは天使という自覚が芽生え、尊厳を守っていくだろう。
そう思っていたが。
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