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夏休みの絵日記は学校で配布された天使の種の成長記録にするように言われた。アキトは天使を育てたことがなく、てのひらに乗せられた桃色の種を見つめながら不安に駆られた。
持ち帰り母親に相談すると、鮮やかな手際で天使を育てる準備をしてくれた。
真っ白な脱脂綿に砂糖水を含ませて、三日に一回鶏皮を乾燥させたものを上から撒く。朝昼晩は声を掛ける。名前もつければ、よく育つ。日当たりはあまり関係ないけれど、日なたで育てるほうが金髪になりやすく、日陰に置いておくと黒髪になりやすい。
アキトは母親の説明をすべてノートに書き写し、夏休み開始直後から、説明の通り懸命に世話をして日記をつけた。もちろん毎日話し掛けた。おはよう、今日は暑いよ、鶏の皮おいしい? おにぎりとか食べないのかなあ。話し掛けられるたびに種はかすかに震えた。アキトはよろこび、高揚して、夏の暑さを忘れるくらい世話に没頭した。
その甲斐甲斐しさは順当に芽吹いた。八月に入る前に、ふくらんだ種にぴしりとひびが入った。
中からはまず、黄土色の粘液にまとわりつかれたふたつの羽根があらわれた。
その次に肩甲骨、腰骨、臀部と下半身側が種の外に出て、最後にずるっと頭が出てきた。日陰に置くことが多かったからか、黒髪だった。全身を空気に浴びせた生まれたての天使は、棒立ちで自分を見ていたアキトへと双眸を向けた。
金色と銀色の合間を泳ぐ、月食のような目の色だった。
「あなたが、ぼくの、おかあさんですか」
天使に話し掛けられて、アキトは何も言えなかった。
はじめて自分で生まれさせた天使はあまりにきれいで、アキトは言い表せる言葉を見つけられなかったのだ。
一人と一羽の夏は、こうして始まった。
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