3. ピーターパン・シンドローム

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◇ 「チカ、最近お母さんがいない日の夜ごはん、どこで食べてるの?」  唐突に聞かれてギクリとする。テーブルを挟んだ先にいる目の前のお母さんはニコニコとわらっていて、なんだか全部感づいているんじゃないかと思ってしまった。  夜勤のない日は、塾から帰ってきたあと毎日お母さんと夜ごはんを食べる。それはうちの数少ないルールのひとつで、そのおかげで私とお母さんはケッコウなんでも包み隠さず話せる関係でいられるんじゃないかと思っている。 「どこって…フツウだよ、フツウ。友達とファミレス、とか。コンビニ、とか。」 「ふうん、前はお母さんがいない日は料理頑張ってたのに、やめちゃったの?」  お母さんはクスクスわらう。これはきっとたぶん、全部わかってるときの顔だ。  料理を頑張っていたのは事実。翔くん先生と夜出かけるようになってからは、そんな時間なくなっちゃったんだけどね。 「やめたわけじゃないけど…」 「チカ、大切なひとでもできた?」  ふふ、って。おかあさんが私のことを全部わかっちゃうの、なんでなんでなんだろう。これは長年のナゾだ。  お母さんが今日のメニューであるきんぴらごぼうを口で運ぶ。その、きれいな箸の持ち方がすきだ。茶碗を持つ左手も、背筋をピンと伸ばした座り方も。  お父さんがいなくなってから、お母さんは前よりもずっと「ちゃんとしてる」ようになったと思う。たまにお酒を飲むけど、それ以外はおかあさん、すごいひとなんだ。いつも背筋の伸びたおかあさんの背中が、さみしいようで私の憧れでもある。 「大切なひとって…」 「ふふ、あたり?」 「ち、ちがうよ、そんなんじゃ…」 「ウソ。女の子ってね、大抵そういう事隠したがるのよ。親にはバレバレだっていうのにね」  正直言って、翔くん先生が私にとってどういう存在なのかっていうのは、ボンヤリしたランプの明かりみたいなモノなんだ。  この気持ちを表す上手なコトバを私は知らない気がする。「すき」ってカンタンに言えてしまうけど、そんなシンプルな気持ちじゃないような気もして。  というかまず、先生にとったらこんなの迷惑でしかないのにね。私は物凄く、バカなやつだ。 「隠してるわけじゃないけど、なんていうか、まだわかんないっていうか……」  しどろもどろ話す私のことをお母さんは嬉しそうに笑った。本当にうれしいときに出る笑顔だ。私は本能的にそれがわかる。 「チカがそういう話するの初めてだもんねえ、お母さんなんかうれしい」 「べ、別に好きとかじゃ、ない、もん……」 「ね、どんな人? カッコいい? 見てみたいなあ、チカの好きな人」 「だから、そんなんじゃないってば」  確かに、私がレンアイ的な話をすることなんてまずない。ていうか、今までそんなのとは無縁に生きてきたニンゲンだし、詮索されるのもあんまりすきじゃない。  でも、お母さんがうれしそうに笑う。その顔は、きらいじゃない。 「……オトナの、人」  お母さんは一瞬驚いて、そしてまた笑った。「チカってば、おませなのね」って。 「おませって、子供じゃないんだから」 「あぶない人じゃなければ、お母さんはいいと思うよ? 世間を知るキッカケにもなるし、何よりチカの年頃だもの、オトナの人に憧れるの、わかるなあ」 「……あぶない人じゃないよ、全然。最初は最低だって思ってたけど、ほんとはすごい優しくて、すごいオトナで、私なんかじゃ全然……」  ぜんぜん、遠くて届かない、先生には。 「……チカ、その人のことすごく好きなんだね」  私はゆっくりと、お母さんのコトバに頷いた。ほんとうは、そんなカンタンなコトバにしたくなかったのに、お母さんが言う「すき」って重みはなんだか私の気持ちに合っている気がした。  本当は、すごく。すごく、すごく、先生がすきだ。  いつからかな。もしかしたら、初めて先生を見たときからもうすでに惹かれていたのかもしれない。これじゃ私、先生に「キスしてください」って頼むような、アスカみたいな人たちと同じだ。  でも、どうしたって、しょうがないよ。惹かれるなっていう方が無理に決まってるよ。翔くん先生が悪いんだ。 「……でもね、年上だからっていつも奢ってもらうの、ちょっと気がひけるって言うか」 「ふふ、女の子なんだか甘えとけばいいのよ」 「そういうものなのかなあ……」  私はなんとなく、毎回お金を払ってもらうことはすきじゃない。なんて、散々払ってもらっておいてサイテイだけど。  だって、せめてそれくらいは対等でありたいんだ。私は先生に比べて、どこまでもコドモなんだもん。 「奢られるのが嫌なら、チカ、作ればいいじゃない」 「……えっ?」 「料理、前までしてたでしょ? お母さん、チカの味付けすきだけどなあ」  その考えはなかったなあと目からウロコだ。さすがおかあさん、伊達に長生きしてない。  でもだからと言って、手料理ってどうなんだろう。それに、私は家事全般得意分野だけど、その中で唯一料理はニガテだってこと、お母さんがイチバンよく知ってるくせに。 「……おかーさん、一緒につくってよ」 「えー? チカが作るから意味があるんでしょ?」 「私が、家事の中で料理がいちばんニガテって知ってるじゃん」 「ふふ、だからいいんでしょ? すきな人のためにニガテなことを克服するって、おかあさん素敵だと思うけど?」  お母さんはこう見えて料理上手だから、私の気持ちなんてわかりやしないんだ。私が頬を膨らませると、お母さんは笑って「じゃあ練習だけ付き合ってあげるよ」って言ってくれた。  あたりまえだよ、練習付き合ってくれなかったら私そんなことしないよ。  そのあともお母さんはしつこく私の好きな人について聞いてきた。ちょっと鬱陶しかったけど、楽しそうなお母さんを見るのは私も嬉しいからソコソコに答えておく。 「今度写真撮ってくること!」なんて勝手に決められてしまったし。人さまのレンアイ話をテキトウに聞くことはあったけど、話す方がこんなに恥ずかしいなんて知らなかったよ。お母さんも女のコなんだなあってちょっと変な感じがしたけれど、これはこれで楽しいかもしれない。
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