3. ピーターパン・シンドローム

4/6
前へ
/39ページ
次へ
◇ 「せんせ」 「ん、」  車の扉を開けた音で、せんせいの目がゆっくりと開いた。  すこし眠そうにあくびをした先生は腕を上にあげてぐっと伸ばす。よく見ると先生の目は赤いし、あくびをしたせいでほんのちょっも涙が溜まっている。私が先生を待たせている間に、どうやら眠っていたらしい。 「寝てました?」 「あー、いや、うん……」  まだ意識がぼんやりとしているのか、目をこすりながら「うん」なんて言葉を発する先生はこの上なくかわいい。思わず顔がにやけてしまう。胸がぎゅうって締め付けられたみたいだ。 「……なに、その顔」 「あ、目覚めました?」 「桜井がニヤニヤしてるから、覚めた」  なんだそれ。意味わからない。 「……せんせい、お腹空いてますか?」  とりあえず本題に移ろうとしたけれど、なんとなく遠回りな言い方になってしまった。  ここ1週間、私は毎日おかあさんと料理の特訓をした。1人で作っていた時よりずっと上達は早かったし、やっぱりお母さんの味付けはとても美味しい。  そんなわけで、私は昨日先生に「明日どうですか」とLINEしたわけだ。  思いの外数学の課外が長引いてしまって、今日は珍しく私の方が先生よりも遅かったせいで、こうして待たせてしまったんだけれど。 「すいてるっちゃすいてるけど。何、そんなにお腹空いたの」 「いや、そうじゃなくて、あの」 「いーよ、何食べたい? ほら、早く乗れ」 「あの、先生」 「ん?」 「……先生の家、行きたい、です」  翔くん先生が元々大きな目をさらに丸くして私を見た。「なに言ってんだコイツ」って言わんばかり。  私だって、こんな言い方をするつもりなんてなかったんだけれど。何度も夜、布団の中でシミュレーションしたはずなのに、全くもって意味を成していなかったみたい。 「いや、べ、別に変なイミじゃなくてっ! その、えっと」  あわてふためく私を見て、目を丸くしていた先生の目元がゆるりと緩んだ。同時に、先生の大きくて骨ばった手が、私の頭に落ちてくる。 「なに、なんかあったの」  ぽんぽんと、まるで小さい子供をあやすみたいに優しい言葉を吐く先生。  なんかあったの、って。チガウ、そうじゃなくて。私は先生に、いつものお礼をしたいだけなんだ。伝えられるかわからないほどの、大きなこの気持ちも。 「あのね、先生」 「うん?」 「いつも、私先生に奢ってもらったり、連れて行ってもらったりするばかりでしょ? ……だから、たまには、お礼がしたくて」 「なんだそれ、そんなのいいって言ってんのに」  ふはっ、と先生が笑う。国宝級のイケメンの笑顔に慣れてしまった自分が怖い。いちいちドキドキはするけれど。 「だめなの! ……ねえ、だからね、先生。わたし、料理……練習したんだ」  だから、食べてくれる? って。不安そうなわたしの声に先生はまた優しく笑った。しょーがねえなって、わたしの頭を撫でて。  その手が泣きたくなるくらいあったかくて優しいこと、わたしの鼓動を早めること、先生は知っているかな。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加